物語の‟終わらせ方”を「宇治十帖」から学ぶ
「宇治十帖」には、実にモヤッとした読後感を与えられます。
「宇治十帖」は『源氏物語』の主人公光源氏の没後を描いた物語。
一般的には第45~54帖を指し、『源氏物語』はこれを含めた全54帖(第41帖「
「宇治十帖」の面白いところは、大別して二つの見解が見られるところでしょうか。一つは、紫式部が書いた。もう一つは、紫式部は書いていない。
ですが今回は、作者を追求するつもりはありません。
今回考えたいのは「物語の終わらせ方」。「結末」でも「ラストシーン」でもなく「終わらせ方」。こちらに焦点を当てたいと思います。
まず、ざっくりと「宇治十帖」の筋を。
主人公薫君は、表向きは光源氏の次男。実は不義の子であるせいか、なんとなく雰囲気も暗い。親友の匂宮は光源氏の娘を母に持ち、天皇の第三皇子として自由気ままに生きています。陰陽対照的なこの二人は幼い頃からとっても仲良しさん。反面、匂宮はなにかにつけて薫に対抗心を燃やし、ついには女を奪い合うまでに。
最初のヒロインは
彼女は薫を自分から遠ざけようと、妹
ショックから薫は、中君に大君の面影を求めるように。匂宮とラブラブだった中君は当然拒絶します。薫はあきらめるかと思いきや、ここで終わらないのが「宇治十帖」。作者は第三の女性を登場させるのです。まさに鬼の三段落ち。
三人目は浮舟。薫に言い寄られて迷惑な中君は、異母妹の浮舟を紹介します。美しい彼女は大君の面影を思わせる女。しかし彼女は薫の気を引いただけでなく、匂宮の興味もそそってしまった。彼らの板挟みになって苦悩した彼女が最後に選んだのは入水自殺。
幸か不幸か、浮舟は通りすがりの僧一行に命を救われました。やがて彼女は出家し、仏道修行の道へ。
後日、浮舟が生きていることを知った薫が接触を試みるも、あんた誰?状態で取り付く島もなかったとさ。おわり。
おわり。です。
この続きが気になりますか?
果たして作者は、続きが気になるように仕向けるため、このような「終わらせ方」にしたのでしょうか。
光源氏は最期が描かれず「雲隠」というタイトルのみの帖が用意されました。これにより彼が薨去したことを読者は知ることができます(雲隠とは貴人の死の意)。
方や薫はそれすらも用意してもらえていない。それどころか「人の隠し
学生時代、変体仮名で「宇治十帖」を読む講義を受けた際、試験で「物語の要旨をまとめよ」という設問が出されました。「宇治十帖」はあくまでもテキストであり、変体仮名についての講義でしたから内容は二の次、自分もありきたりな解答しか記述できませんでした。
作者の意図を理解したのは後になってから。教えてくれたのは、本屋で立ち読みした一冊でした。うろ覚えですが、こんなことが書かれていたと記憶しています。
<作者は、登場人物たちのこれからを想像させたかったのではなく、なぜこんなことになってしまったのか(orなぜ女たちは追い詰められなければならなかったのか)、を読者に問いかけているのではないか>
モヤッとした読後感の正体はこれか!と衝撃を受けました。が、この衝撃以上に、この手法に多くの学びを与えられたことはたしかです。
なにがすごいって、光源氏の人生にまで遡って考察させてしまうところ。
『源氏物語』は因果応報の物語と言われますが——。
女たちを追い詰めたのは優柔不断な薫と欲望を優先する匂宮。薫の慎重な性格は出生の秘密にあるのではないか。光源氏が晩年に若妻を寝取られ、若妻が生んだ不義の子が薫。その光源氏も若かりし頃、父の後妻を寝取り、不義の子を産ませた秘密の過去がある。光源氏が継母に横恋慕し、女性遍歴を重ねたのは生い立ちに関係が……。
そしてふたたび最初から読ませてしまうエンドレス。かくして読者は作者の術中にはまるのでした。
「宇治十帖」の作者が紫式部か否かなんて自分にはどうでもいい。そんなことよりも、それ以上に、本作の「終わらせ方」が強烈に焼き付いているのです。
結論。かなり高等なテクニックで、真似なんかできません。
まだまだ研鑽に励まねば。
【あくまでも読書感想文】
「もののあはれ」は「宇治十帖」がなかったら言われなかったと思います。おわり。
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