19話 海と恋と、ざわめく波 (3)
魔物騒ぎが収まり、浜辺にはようやく静けさが戻っていた。
御堂と柚月は、残りの見回りや後片づけを終え、皆と簡単な夕食をとったあと――
ようやくふたりきりの時間を得て、夜の海へと足を運んだ。
空はすっかり暮れ、波の音だけが穏やかに響く。
砂浜に敷いたブランケットの上で、御堂と柚月は肩を寄せ合って座っていた。
見上げれば、雲ひとつない夜空に、無数の星が凛と瞬いている。
まるで、世界がふたりだけのものになったように――周囲には、深い静寂が満ちていた。
「……きれいだね」
柚月がぽつりと呟く。
「ああ。――でも、柚月のほうが、ずっと綺麗だよ」
「っ……!? も、もぉ……駿ってば……!」
目を見開き、慌てて視線を逸らす柚月。
その反応を楽しむように、御堂はふわりと笑った。
「……思ったことを言っただけだよ」
何気ない口ぶりとは裏腹に、その瞳はまっすぐで、揺るぎない。
見つめ返された柚月の頬が、ゆっくりと赤く染まっていく――
まるで、星明かりよりも熱を帯びるように。
くすぐったさと、心の奥に広がるあたたかさに、柚月は静かに目を伏せた。
そして小さく息をついて、夜空を仰ぐ。
やがて、何かを決めたように言葉を紡ぎ始める。
「駿」
「なに?」
視線が絡んだ瞬間、柚月は言葉を飲み込み、一瞬迷うように目を泳がせた。
その揺れに気づいた御堂は、そっと髪へ指を滑らせ、やさしく撫でる。
ぬくもりに触れ、柚月は戸惑いながらも微笑み、小さく息を吐いて――ようやく続けた。
「……ねぇ、駿。駿が強いのは、わかってる。
でも……ちょっと、強すぎると思うの。
奥多摩のときも、今日も……あんな魔物を一人で倒すなんて――
私でもわかる。きっと、現役のレギオンだって、簡単にはいかないよ」
いつか、この問いを受ける日が来るとわかっていた。
目立ちたくないのなら、もっと慎重に立ち回っていただろう。
……けれど彼女には、最初から“隠しきるつもり”なんてなかったのかもしれない。
ほんのわずかの間を置いて――
御堂は、いつもの人のよさそうな笑みをほんの少しだけ誇張して見せた。
「そうかな? たまたま、相性が良かっただけだよ」
――まだ。
まだ、今はその時じゃない。
御堂のはぐらかすような返事。
けれどそれ以上は、踏み込まないほうがいい――そんな直感が働いたように、柚月は小さく笑った。
「……そっか。ふふ、変なこと聞いてごめんね」
納得していない顔なのは、御堂にもわかっていた。
だけど、それでも彼女が自分を信じていることは、よく伝わってくる。
御堂はそれに答えるように、そっと柚月の頭を撫でた。
――まるで、黙って「ありがとう」と伝えるように。
夜風が頬をなでる。
柚月の髪がゆるく揺れて、その一房が頬にかかる。
御堂は指先でそれを払うと、優しく顎を持ち上げた。
「……っ」
触れそうなほど近づいた距離に、柚月は思わず目を伏せる。
けれど、唇が触れるかというその瞬間、御堂はふと笑みを浮かべた。
「ねぇ、柚月。こないだテスト勉強、見てあげたよね。
その対価、まだもらってないんだけど?」
唐突な言葉に、柚月は目を瞬かせたあと、慌てて身じろぐ。
「……え、えっと……そうだね、ごめん!
私にできることなら……なんでもするよっ」
真剣なまなざしで返す柚月に、御堂の目が細められる。
どこか意地悪く――でも、優しさを宿した瞳で。
「……じゃあさ、柚月から――キスして?」
「っ……えっ!?
な、なにそれ……ずるい……!」
柚月の顔がみるみる赤く染まり、視線が泳ぐ。
両手で頬を覆いながら、柚月はぷるぷると肩を震わせる。
「言ったよね? なんでもするって」
御堂はゆっくりと身を寄せ、いたずらっぽく小さく首を傾ける。
そして、耳元で囁くように、低く甘い声で続けた。
「……じゃあ、してよ。今」
「~~っ……ちょ、ちょっと待って……心の準備が……っ」
「待たないよ」
くすっと笑う御堂の声が、彼女の鼓膜をくすぐる。
その声色は、明らかに楽しんでいた。
「ほら」
静かに彼の手が柚月の肩に添えられる。
逃げ場をなくしたようなその距離感に、柚月はぎゅっと目を閉じた。
そして、震えるようにそっと身体を寄せて――
御堂の頬に、かすかに触れるくらいのキスを落とす。
「……も、もう……ほんと、イジワル……っ」
言葉とは裏腹に、頬がじんわりと赤く染まっていた。
柚月の触れた唇の感触を確かめるように、御堂は自分の頬に指を添える。
すこしだけ、名残を惜しむような仕草で――そのまま、口端を緩やかに上げた。
「……柚月は、それで満足?」
挑発するように、わざと低く抑えた声で囁く。
「~~っ! わ、私は……駿が言うから、仕方なく……っ!」
ぷいっと顔を背けたその唇を――御堂が、不意に奪った。
すっと伸ばされた手が、柚月の後頭部をやさしく支える。
強引なくせに、ひどく優しい。
触れ合うだけのキスなのに、逃げ道すら与えず、呼吸までも絡め取るようで――
柚月の鼓動が、ひときわ強く脈打つ。
やがて唇が離れると、御堂は吐息が触れるほどの距離で彼女を見つめ、艶やかな笑みを浮かべた。
「……仕方なく?」
その声に柚月が返す間もなく、今度は抱き寄せるようにして、深く口づけた。
――舌先で探るように、まるでゆっくりと味わうように。
柚月の背中が震え、御堂のシャツをぎゅっと握りしめる。
けれど、拒めなかった。ただ彼の熱と気配に、そっと身を委ねていた。
夜の静寂の中、波音すら遠のいていく――
そこにあったのは、ふたりの鼓動と熱だけだった。
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