第51話「巨影から守る糧」

 午前の陽射しを浴びながら、三人は森の外れへと続く道を歩いていた。

 荷馬車の轍が残る細い街道を抜け、その先に小川のせせらぎが聞こえてくる。今日の依頼は、森の近くで壊れた用水路の修理工事──その警護だ。


「用水路の工事の警護って、地味だね」

 肩に杖を担いだリオンが、少し苦笑混じりに言った。


「でも農業には必須だからね。こういう依頼の方が信頼も得られるし、正直僕らに合ってると思う」

 アルフがスレイルスピアを握り直しながら答える。言葉は真面目だが、その顔はどこか楽しげだ。


「……森に近い場所らしいから、気は抜けない」

 エリンは淡々と付け加える。視線はすでに先の林へ向けられ、矢筒の位置をさりげなく整えていた。


 地味で、誰にも目立たない依頼。けれど三人の足取りは軽かった。

 今の彼らにとっては、こうした一歩の積み重ねこそが「冒険者らしさ」を形にしていくものだと分かっているからだ。


 * * *


 森の外れ、小川沿いに人の声と木槌の音が響いていた。

 土を掘り返す音、石を積む音、せき止められた水の匂い。そこが今日の依頼現場──壊れた用水路の修理工事だった。


 泥にまみれた職人や農民が、流れ込んだ土砂を取り除き、壁を積み直している。

 三人が近づくと、手を止めた職人の一人が額の汗を拭って笑った。


「おお、冒険者さんか。わざわざ悪いな」


「いえ、依頼ありがとうございます。作業の邪魔にならないよう、周囲を見て回ります」

 アルフが答えると、農民の一人が肩を竦めて言った。


「助かるよ。グラウエルの街じゃ滅多に雨が降らないだろ? だから山間部から水を引いてるんだが……森の近くは魔獣が多くてな」


「そういえば……霧は時々出るけど、雨は本当に少ないですね。不思議だ」

 アルフが空を見上げて呟くと、農民は苦笑した。


 別の職人が石を運びながら口を挟む。

「小麦ならまだしも、芋や豆は雨任せじゃ育たねえ。用水路が塞がっちまったら収穫が半分になる。俺たちにとっちゃ死活問題なんだ」


「なるほど……保存食が多いのは、そのためだったんですね」

 リオンが感心したように頷き、自前のノートに何かを書き留める。


「……森が近い。確かに危険」

 エリンは弓に軽く手を添え、視線を林の影に送った。


 職人はそんな三人を見て、頼もしそうに笑った。

「兄ちゃんたち、頼むよ。俺たちは工事に集中させてもらうぜ」


 * * *


 用水路には絶え間なく土砂が運ばれ、職人たちが泥にまみれながら黙々と修復を進めていた。

 木槌の音、石を打ち合わせる音、そして川をせき止めた板を押さえる農民たちの息遣い。日差しの下、現場には汗と泥の匂いが満ちている。


 アルフたちは少し離れた位置から作業を見守っていた。

 リオンは周囲の植物を気にしながら魔力の流れを探り、エリンは林の影に鋭い視線を注ぐ。アルフは槍を地に突き立て、現場を一望できる位置に立っていた。


 ──その時だった。


 森の奥で鳥が一斉に飛び立った。

 ざわりと葉が鳴り、乾いた枝の折れる音が重なる。


「……来る」

 エリンが弦を引き絞るのと同時に、アルフは声を張った。

「作業を止めて下がってください! 水路から離れて!」


 職人たちは一瞬きょとんとしたが、すぐに緊迫した声に押されて荷物を抱え後退する。泥に足を取られつつも、仲間同士で声を掛け合い避難していった。


 茂みを割って現れたのは、巨体の熊型魔獣──〈ラウドベア〉だった。

 毛並みは泥と血に汚れ、両目は血走っている。背丈は人の倍、鋭い鉤爪が地面をえぐった。


「でかい……!」

 リオンが息を呑む。


「アルフ、正面は任せる」

「了解!」


 アルフは槍を構え、地を蹴った。

 ラウドベアが咆哮と共に前脚を振り下ろす。地面が割れるような衝撃に、アルフは真っ向からは受けず、槍の石突で爪をはじき返す。


 距離を詰めようとする巨体を、鋭い突きで迎え撃つ。

 間合いを奪わせまいと、穂先を喉や眼前に突きつけては素早く引く。

 ラウドベアは怒り狂い、巨腕を振るうが、槍の射程を警戒して踏み込みきれない。


「……今だ!」

 アルフの牽制に合わせ、矢が一直線に飛んだ。エリンの矢は肩に深々と突き刺さる。

 ラウドベアが怒号のように吠え、アルフへ牙を剥いた。


「〈土障壁〉!」

 リオンの詠唱と共に地面が盛り上がり、ラウドベアの突進を阻む壁がせり上がる。衝突の衝撃で土が飛び散り、アルフはすぐに体勢を立て直す。


「ナイスだ、リオン!」

「まだ保つ!」


 壁の陰から再び矢が放たれる。矢は片目をかすめ、ラウドベアが怒り狂ったように前脚で壁を叩き割った。


「ここで止める!」

 アルフは声を上げ、槍を低く構える。ラウドベアが壁を突破した瞬間、渾身の突きを腹部に打ち込んだ。


 鈍い手応え。呻き声があがり、巨体がよろめく。そこへリオンの魔力弾が胸を直撃し、エリンの矢が咽喉を射抜いた。


 ラウドベアが大地を揺らして崩れ落ちる。

 息が止まったような静寂のあと、森に再び鳥の声が戻った。


「ふぅ……やったな」

 アルフが肩で息をつき、槍を土に突き立てる。

「ケガ人は──」


「大丈夫だ! みんな無事だ!」

 職人たちが泥まみれの顔で答える。その声に三人は小さく頷き合った。


 血の匂いがまだ漂う現場で、職人たちは安堵の息をついた。

 泥にまみれた顔でこちらを振り返り、誰からともなく声があがる。


「助かった……命拾いしたよ」

「冒険者さん、本当にありがとう!」

「本当に依頼しておいてよかった」


 年配の農民は目尻を拭いながら、崩れた水路を指さした。

「ここが塞がったままだったら、収穫は半分どころか壊滅だった……。家族を養うにも困るところだったよ」


「気にしないでください。俺たちは依頼をこなしただけです」

 アルフは肩に担いだ槍を軽く叩き、照れくさそうに答えた。


「でも……無事でよかった」

 リオンが胸に手を当てると、農民の少年が泥だらけの両手で彼に握手を求めた。

「お兄ちゃん、ありがとう!」

 赤面しながらも、その手を握り返す。


「……作業に戻って。私たちが見ている」

 エリンが静かに告げると、職人たちは安心したように頷き、再び木槌や石を持ち上げた。

 血の匂いが残る現場に、再び木槌の音が戻り始める。


「折角なので警戒しながらラウドベアの皮だけでも回収しましょう」

 そう提案するエリン。アルフとリオンは倒れる血生臭い巨体を見て、これから自分らに待ち受ける試練に乾いた笑いを浮かべる。

「ち、ちょっと解体修行のハードルが上がりすぎじゃない?」

「生きてるときより手強く感じるのは僕だけ?」


 修復の音が戻る現場に、ほんのりと平和な空気が再び流れ出した。


 * * *


 夕刻、疲れ果てた三人はギルドに戻った。

 受付に報告し、回収したラウドベアの皮の売却を済ませた彼ら。

 いつもと違い、ホールの空気が妙にざわついているのに気づく。


「……何かあったのかな」

 リオンが小声で首を傾げる。


 酒杯を片手にしていた中年冒険者が、ひそひそ声で仲間に話していた。

「見ただろ? さっき奥に入っていった連中……Aランクだぞ。間違いねえ」


「なんでまた、こんな辺境に?」

「さあな……でも、ただ事じゃねえだろ」


 ざわめきは広がり、受付嬢たちも落ち着かない様子で奥を行き来していた。


 三人は互いに視線を交わした。

 用水路での泥臭い一日が、一瞬で遠いものに思える。

 街に訪れた新たな波が、自分たちの歩みにどう関わるのか──胸の奥に静かな高鳴りが生まれていた。




【第51話 成長記録】

筋力:11(熟練度:90 → 92)【+2】

→ ラウドベアの巨体との死闘、解体負荷。

敏捷:11(熟練度:72 → 74)【+2】

→ 巨獣の爪や突進に対応し瞬発的な身のこなしが強化。

知力:11(熟練度:36 → 37)【+1】

→ 農民・職人から用水路や農業の事情を学び、依頼背景を理解し、微増。

感覚:15(熟練度:4 → 7)【+3】

→ 警戒による感性強化や死闘における経験。

精神:13(熟練度:83 → 87)【+4】

→ 巨獣との恐怖の中でも仲間と連携を崩さず、達成した経験が自信と責任感を育てた。

持久力:16(熟練度:66 → 68)【+2】

→ 用水路現場での長時間警戒・巨獣戦・解体作業と一日を通して疲労に耐えた。


【収支報告】

所持金:1,615G

内訳:

・前回終了時点:1,405G

・依頼報酬+ラウドベア皮売却:+250G

・食費(携帯食・夕食など):−30G

・宿泊費:−10G


【アイテム取得/消費】

取得:ラウドベア皮(売却済)

消費:携帯食


【装備・スキル変化】

武器:スレイルスピア

防具:軽革製防具

補助装備:解体ナイフ+革鞘

スキル:《間合制御》

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