黒猫ミクロンと帰宅 中編



「お主は誰じゃ?」


 その言葉が頭に響いた瞬間、ぼくは言葉の意味が理解できず、何も言葉を発することなく固まってしまった。

 そんなぼくの態度を不審に思ったのだろう。

 少女は警戒心を表情に浮かべながらそろりと、二歩ほどぼくの方へと近づき、今度は慎重に、口を開いた。


「…………何者じゃ? さっき『ただいま』などと言ったな? わらわはずいぶんと古くからこの家に間借りしておるが、主のような者が住人であった記憶など、ひとつもない。主の言葉の意味は何じゃ?」


 純粋に疑問を口にする、その口調はどこか老婆のような古めかしさを感じさせ、逆に語調は童女の無邪気な疑問を連想させた。

 なんだろう、これ?

 こんなことは初めてだ。

 ぼくが家の子であることを否定されるなんて。

 こんなこと、今まで一度もなかった。

 失敗した。

 何を失敗したのだろう?

 少女の特異な格好を見て、身の置き所を失ってしまったからなのだろうか?

 どうしたらいいのか、どう応えたらいいのか、ぼくが答えを全く出せずにいると、突然廊下の脇の襖が開いて、手にハタキを持った割烹着の中年の女性が出てきた。玄関に立つぼくを見て、目を丸くする。


「あんれまぁ、坊ちゃん。玄関に突っ立って、何されてるんです? 早くお入り下さいませ」


 ぼくは目をぱちくりと瞬いた。

 あれ? ちゃんと家の子として受け入れられている?

 ちらりと奥の少女に視線を向けると、少女もぼくと同じように驚いた表情をしていた。だが、ふいに何かを考え込むような表情になったかと思えば、そのまま無言で奥の部屋に引っ込んでしまった。


「おかえりなさいませ。今日はどうでした?」

「あ、う、うん。ただいま……」


 割烹着の、お手伝いさんの言葉にもほとんど反応できず、ぼくはぼんやりと家へ上がる。

 なんだかすごく、心臓がドキドキしていた。

 和ゴス少女の、すごく整った顔が頭の中に浮かんでいる。

 突然訪れた未知の現象に、興奮しているのだ。

 この時は、そう思っていた。




 夕食は居間で、家族集まって摂った。

 家主である父と、それを支える母。父の秘書をしているという年の離れた兄と、その奥さん。兄の息子は赤ん坊で、今も離れで寝ている。お手伝いさんはその赤ん坊の傍に居るはずで、ここにはいない。後はぼくと、よくわからない少女と――

 父は話好きで、食事の間、ずっとしゃべっていた。母はずっと苦笑しながら相づちを打っていて、兄はツッコミを入れている。奥さんは兄の背中を笑いながら叩いていて、ぼくはその時々で父の味方をしたり、兄を擁護したり。

 和ゴスの少女は、一言もしゃべらなかった。

 時折ぼくの方へ不思議そうな目を向けるが、終始無言で食事を取り終えて、最後に一言だけ「ごちそうさま」と呟いて、箸を置いて居間を出て行った。

 少女に誰も視線を向けないのが、とても不思議に感じられた。


「奥の障子の部屋は、何なの?」


 間接的なぼくの言葉に、父は早口で、異常なほど多くの情報をつぎ込んだ。

 開かずの間として云々。

 この家は元々岩手のさる武家が基となって云々。

 偉いお坊さんが妖怪を退治しての云々。

 当時の屋敷をそのまま再現した歴史ある云々。

 種々の呪いを封印して云々。

 自慢話とオカルティックな怪しげな話が混ざり合って、ぼくはその内容のほとんど理解できなかった。

 だから食事の後、自分の手で、ぼくは廊下の奥の襖を開けたのだ。


「入るよー」


 声を掛けるのとほとんど間を置かず、返事が来る前に扉を開ける。開かずの間と呼ばれながらも、まったく抵抗なく開く扉に、薄気味悪いものを感じた。

 薄暗い部屋。その真ん中で、少女はぼくに背を向けていた。

 なぜか、着物の裾を、大きく捲り上げて。

 薄暗いけれども、廊下の灯りを受けて、形の良いおしりはやけに白く輝いて見えた。

 ぼくはその光景を目に焼き付け。

 ばっと勢いよく着物の裾を整えて振り向いた少女と視線が合う。

 唇はきつく結ばれ、肌は羞恥で紅く染まっていた。

 ぼくは無言で襖を閉めた。

 そして、一拍。

 頭の中で再び少女のおしりを回想する。

 しっかりと白く目映い情景は頭の中に残っていた。

 あれは良いものだ。ちょっと幼すぎるけれども、文句なしの美少女のおしりだ。着やせするのか意外とふっくらとしていて、柔らかそうだった。実際に触ってそれを確かめることはできないけれども、中々見ることのできる光景ではない。その希少価値をランク付けで表現すると、特A級だろう。一生のうち、何度お目に掛かることができるか。いや、大半の人は何度人生を繰り返そうとも生で見ることは叶わないだろう。ぼくはこれで十分に満足だ。

 うん、とうなずいて、充足感に満ちたぼくは、さて今日はもう寝ようかと襖に背を向けた。


「ちょっと待つのじゃっ!」


 がらっと勢いよく襖が開き、後ろから右腕を捕まれて、部屋の奥へと引き込まれてしまった。


「おわっ、と」


 すぐに腕は放され、投げられるようにぼくは転がされ、悲鳴を上げて尻餅を付く。畳の上に転がったまま顔だけを起こすと、目の前で少女が腰に手を当てて、ぼくを睨み下ろしていた。

 和ゴスの裾――スカート状になった裾から伸びる白い足。

 見えそうで見えないけれどもやっぱり見えないスカートの中は、絶対領域によって守られている。


「……お主のぉ、乙女の柔肌を見ておきながら謝罪もなく逃げようってのは、どうなんじゃ?」

「え、ええーっと…………ごめんなさい」


 柔肌は喩えで、ずばりお尻なんじゃないかと思いつつも、少女の怒りは正当のものだったので素直に謝罪の言葉と共に頭を下げた。

 ついでに正座をして、額を畳に着けてみた。

 顔を起こすと、ぼくが素直に謝罪したのが意外だったのか、目を見開いて戸惑っている少女の顔があった。


「何も土下座しろとは言ってないんじゃがの……」

「いや、でもあれだよ。嫁入り前の女の子のお尻を、綺麗だからといって、目に眩しく輝いているからといって、まじまじと見つつ、さらには一生の記憶にせんとばかりに深く深く反復して脳内で思い返し、映像を刻みつけようなんて、あまりにも欲望に忠実で、けれども、仕方ないよね、綺麗なんだもん、と思うけれども、それは見られた側の意思を無視した感想だから、いくら綺麗だなんて思ったとしても免罪符にはなり得ないわけなのだから、とにかく罪の計量は見られた側の感情次第なのだからして、それは見られた本人でないとわからない、つまりは、ぼくにそれを測る手段はないのだからして、ゆえに最大級の謝罪の意思を示そうと、土下座であるわけなんだけども、どうだろう?」


 首を傾げて問い返すも刹那。


「やかましいっ」


 ごすっと、頭を足の裏で踏まれた。

 顔面を畳に叩きつけられて、鼻の頭を打った。目の奥に涙が滲む。痛い。

 足で踏まれるなんて、ぼくにはそんな趣味はないので、さすがに手を使って払い飛ばす。


「ちょっと待ってよ。君の気持ちもわかる…………なんて、安易に言ってはいけないのは、心理学の初歩なんだと思うけれども、何とかして共感を得て、君との感情のすれ違いを解消したいから、わかるように考えて……いや、想像できる、くらいの気持ちで言うけれども、いくら何でも足でほぼ初対面の人を踏みつけにするのはどうかと――」


 がすっと、再び足の裏で強く踏みつけられた。


「うるさいうるさいうるさいお主は、何なのじゃ。さっきからわけのわかんないことをぺちゃくちゃと喋りおって。何じゃ? それがお主の特徴か? だとしたら、すっごく気持ち悪いわい! どこの妖怪じゃ!」

「妖怪? 何それ? ばっかだなぁ。そんなの、いるわけないじゃないか」


 再びぼくは足を払いのける。

 なんだ。すごく気の強い子みたいだけれども、妖怪なんてあほみたいな迷信を喩えに出すなんて、やっぱり子供だ。

 ぼくは妙に安心して、気持ちに余裕が出てきて、少女の足で人の頭を踏みつけるなんて行為も笑って許せそうな気分になった。


「馬鹿って何じゃ! じゃあ、わらわやお主の存在はどう説明するって言うのじゃ!」

「んー? 何言ってるのさ? ぼくは普通の人間だよ?」

「とぼけるのも大概にせんかっ! お主みたいに見知らぬ人の家に当たり前のように入ってきて受け入れられる人間が、どこにいるんじゃっ!」

「はっはっは。何変なこと言ってるんだよ? ぼくはこの家に帰ってきたんだから、この家がぼくの家なのは当たり前じゃないか?」

「そんなはずあるかーっ! 昨日まではこの家に、お主みたいなのはいなかったわいっ!」

「昨日は友達ん家に泊まってたんだよ」

「一昨日もおらんかったわーっ!」

「一昨日ー? 確か、兄ちゃんの家に帰ってたんだっけなぁ? あんまり印象に残って無いなぁ。帰り甲斐のない家だったからなぁ」

「意味わからんわーっ!」


 再び少女は足を振り上げ――あ、パンツが見えた、黒かぁ意外と大人っぽ――ぼくは振り下ろされる足をさっと避けた。


「避けるなっ」

「まあまあ、落ち着いてよ。ねえ、それで結局のところ君は誰なの?」


 少女を宥めようと、笑顔で手を振るが、少女はどうしてもぼくを蹴りつけたいのか、すぐに体勢を整えて足を横へ払ってくる。


「お主こそ、誰じゃ!」


 さすがにぼくは正座を崩して、少女の足を避けた。


「ぼく? 普通の人間だよ? さっきも言ったじゃん?」

「お主……ひょっとして、本気で言っておるのか?」

「本気って……どういう意味?」

「理解してないのか? ひょっとして、生まれたばかりなのか? まあよい。ならばわらわも先達として、先に名乗ってやるのも吝かではない」

「はあ……なんだかよくわからないけれども、どうぞ?」

「じゃが、とりあえず先に、蹴らせろ」


 そう言って少女は畳を蹴った。

 思ったよりも軽やかな動きで少女は横へと体をスライドさせ、ぼくの死角へと姿を隠す。


「えっ?」


 少女を見失ったぼくの耳に、軽やかな声がどこからともなく響いた。


「わらわは"座敷童"じゃ」


 言葉と共に、ぼくの頭の左側面に強烈な衝撃が走り――ぼくはテレビのスイッチが切れるようにぷっつりと、意識を失った。





 座敷童だから「ざっちゃん」と呼んだら再度蹴られた。

 きっと濁音が嫌だったのだろう。

 そう思って「さっちん」と呼び直したら、少女はそれでも不満そうに表情を怒らせていたが、代案も無かったのかため息をついて「それで良い」とうなずいた。

 そんなさっちんは妖怪であるところの座敷童らしい。

 そんな馬鹿なと思ったのだが、さっちんの表情はどこまでも真面目で、自らの言葉を心底信じているように思われた。

 ――まだ若くてかわいいのに、可哀想に。

 沈痛な気持ちを表に出さないように笑顔を作ってさっちんを見ていたのだが、ぼくのそんな表情の裏に何を感じたのか、さっちんはとてつもなく疲れたように、深々とため息をつかれた。


「んで、何で『座敷童』なのさ?」


 なぜさっちんが自分を『座敷童』などと思い込むように至ったのか、その原因が知りたいと思って尋ねた。

 やはりさっちんは疲れたような表情のまま、少しずつ説明してくれた。


 ――座敷童。

 主に岩手県を中心として、東北各県で伝えられる精霊的な存在。

 座敷、または蔵に住む神とされ、座敷童のいる家は栄え、去った家は衰退するとされる。

 一種の福の神のようなもの。家人はそれを手厚く遇し、周囲の人間もまた座敷童のいる家に対して一種の畏敬の念を持って接する。

 家の者以外には見えず、子供には見えても、大人には見えないという説もある。


「はい、ダウトー!」

「だ、ダウ、ト?」

「岩手県の妖怪なのに、なんで瀬戸内なんかにいるんですか?」

「この家は元々岩手が地元だったのじゃ。わらわは家に憑く妖怪故に、戦前の移設の折に共に移ったのじゃ」


 苦しい言い訳だな、と見ているとさっちんに凄い勢いで睨まれた。

 しかし睨んでくる中にも、若干のばつの悪さらしきものが感じられるのは、さっちん自身も自分の言動に苦しさを感じているからではないのか。

 だがツッコミどころは多々あり、無理矢理こじつけ感が漂っているものの、さっちんの説明に決定的な矛盾は見えない。急場しのぎに慌てて取り繕っただけの言い訳に聞こえるが、逆に言えば取り繕える程度の矛盾でしかないのだ。

 さっちんの思い込みを破棄してあげるには、もっと決定的な論理の綻びが必要だと思った。

 けれども今のぼくにはさっちんの、自分が座敷童であるという妄想を、一〇〇%否定させてあげるだけの矛盾を見つけることはできない。

 だから今日の所は、さっちんの説明に軍配を上げて、受け入れてあげよう。


「わー、すごいなー大変だったんだねー」


 手を叩いて労ってあげると、さっちんは目を細めてぼくを睨んだ。


「……何やらすごく馬鹿にされたように感じるのじゃが」

「そんなぁ、心外だよ!」


 大きく手を広げて驚いてあげた。

 さっちんは益々目を細めた。


「まあよい。明日になればわかることじゃからな」


 ため息と共にさっちんはうなずいて、部屋の隅に畳んである布団を広げた。


「ほれ、今日はもう遅い。お主も自分の部屋に戻って寝るのじゃな」


 どうやらぼくを追い出しに掛かろうとしているみたいだ。

 まあいいや。

 どうせこのまま話を続けたって、妙に噛み合わない会話が続くだけだろう。


「一緒に寝ちゃ、ダメ?」


 訊いてみた。


「アホ」


 やはり一言で切り捨てられた。

 その言葉は予想していたので、ぼくは「やっぱり」とつぶやくと、さっちんに頭を下げて部屋を出た。


「おやすみ、また明日」


 襖を閉めた後で、室内に届くように声を掛ける。


「……おやすみ」


 さっちんの憮然とした調子の返事を聞きながら、そう言えばこの場合、さっちんとぼくの関係は一体どういうことになるのだろうと、首を傾げるのだった。




 一晩寝て、考えてみた。

 どこかの巨乳のお姉さんの教えによると、他者と自分との関係を表す時、考えるより感じた方が正しい可能性が高いとのことだった。

 よく意味がわからないけれども、こうして考えている時点できっと、出てくる解答は、それがどんなものであろうとも間違いなんだと思うのだった。


「というわけで、感じてみようと思います」

「帰れっ!」


 朝ご飯の席で提案してみたのだけれども、一言の元に切り捨てられてしまった。


「帰れと言われても、ここはぼくの家なのですが?」


 小さくつぶやくと、とても鋭い目で睨み付けられた。

 これまで以上の鋭さに、さすがにぼくも一瞬怯み、わずかに身体を引く。そんなぼくの感情の変化を敏感に感じ取ったのか、さっちんは心底疲れたようなため息をついて頭を左右に振った。


「……おぬしは、自分の言動に矛盾を感じぬのか?」


 矛盾?

 何がどう矛盾しているというのだろう?

 ぼくはぼくの言葉を考える。

 ぼくはぼくで、この家の子供。

 なぜならば、帰ってきた家がここだからだ。

 子供は家に帰る者。

 だから、帰ってきたこの家はぼくの家。

 そんな、ひどく単純で、当たり前の論理に、矛盾なんてどこにも感じられない。


「じゃあ、違和感の欠片も浮かばぬと?」


 それは感じている。

 さっちん、君はぼくにとっての何?

 さっちんはここの家の人だけれども、だからこの家に帰ってきたぼくにとって、さっちんは家族であるはずだ。

 なのに、ぼくにとってさっちんがどういう存在なのか、さっぱりわからない。座敷童なんて、とても信じられない。妖怪なんて、いるはずもない。そんなの常識だし、迷信なんて言葉、現代に生きる少年であるところの自分にとっては、もう言葉の意味すら忘れ果てるほど古くささを感じさせるものだった。

 家族であるはずの存在の中で、さっちんの存在だけがわからない。

 見た目はぼくよりも若いから、妹なのかと思うけれども、納得できない。

 居候、養子、従妹、下宿生、色んな関係を示す単語が浮かんでくるけれども、どれひとつとして無条件にうなずける単語はない。

 こんなことはこれまでになかった。

 今までは、家に帰ると、自動的にぼくの存在はその家にとって最適な立ち位置に設定される。

 弟だったり、息子だったり、孫だったり、息子の友人だったり。

 今はまだ子供だから、だいたいいつも似たり寄ったりの立ち位置になるけれども、このまま順当に成長していけば、いつかはぼくも、夫であったり、父であったりして、どこかの自宅に帰ることもあるのだろう。

 この家にも、当然いつものように、子供として、お手伝いさん曰く『坊ちゃん』として受け入れられた。

 けれども、さっちんだけは違う。

 幼い容姿の、BBA言葉の彼女だけがぼくを『誰だ』と問う。

 彼女とぼくの関係は築かれていないのだ。

 思えばこれまではいつも他人任せだった。

 ぼくがすることと言えばただ家に帰ることだけで、そうすれば帰宅先の住人がぼくを所定の立ち位置に、勝手に当てはめてくれた。ぼくが特に何をしなくとも。努力などしなくとも。

 これからはそうはいかないのかもしれない。そういう時代ではないのかもしれない。

 ただ与えられるだけの時代は終わったのだ。

 与えられるだけ、受け入れるだけではなく、今後は自分から働きかけていくことも重要なのかもしれない。

 なんか、そんな感じの論調の文章を、週刊誌か新聞か何かで読んだことがあるような気がする。

 どこで読んだのかわからないけれども、その時は何となく、そういうものなのかと流してしまっていた。けれどもいざ自分がその立場に立ってみれば、なるほどこれは確かに実感を持てる文章だと思えた。

 ただ与えられるだけではダメだ。自分で努力して、つかみ取らなくては。

 ぼくはそう決心し、先ほどからじっと睨んでぼくの解答を待つさっちんに、語りかけた。


「じゃあこうしよう。さっちんはぼくの妹だ!」

「なぜじゃっ!」


 またまた蹴られた。

 なんて乱暴なんだ。

 こんな乱暴なのは、ぼくの妹なんかじゃない。

 反射的にそんなことを思ってしまったのがはたして悪かったのか、当然のようにさっちんはぼくの妹にはならなかった。


「困ったな。じゃあ〝義妹〟とかどうだろう? 実は結婚できるんだよ的な」

「何が『じゃあ』とか言っておるのじゃあああああっ!」

「なんだよー。さっちんだっていつも語尾に『じゃあ』って付けてるじゃないか。ぼくにだけ禁止するのは不公平だよっ!」

「わらわのは接続詞じゃないわっ!」

「じゃあ、どうすれば良いんだよっ!」

「逆ギレかっ! そもそも、人と人との関係を、自分で決めることなんで出来るわけなかろうがっ!」

「知ってるよ! だから、ぼくとさっちんとで一緒に決めようって言ってるんじゃないかっ! もう、妹がいやなら、希望の関係をさっちんからも出してみてよ。まったく、わがままなんだから」

「ああああああああああああああああああああほかぁっ! それと『さっちん』言うなっ!」








 さっちんは肩で大きく上下に動かして、荒く呼吸を繰り返していた。

 顔も真っ赤で、額には大きく汗の粒が見える。

 なんだか、すごく大変そうだ。

 ぼくは何故にさっちんがここまで興奮しているのかまるで理解できずに、首を傾げるのだが、とにかく一生懸命さだけは然りと伝わってきたので、なんだか頑張ってるなあと、さっちんに拍手をあげたい気分になった。

 それをやると、なんだかまた蹴られそうな気がしたので止めといたけれども。


「まあよい。わらわとお主の関係なぞ、どうでも良いわ」


 しばらく深呼吸をして気を落ち着かせたさっちんは、ぼくの方をキッと睨むと断言した。

 どうでも良いとはぼくは思えなかったけれども、さっちんの意志は固そうで、同意を得ることは難しそうだ。仕方ないのでさっちんの出方を探ろうと、しばらく様子を見ることに決めた。


「この家を出ようとすれば、アホなお主もいい加減自覚せねばなるまい」

「自覚ってなんだよ?」

「無論、わらわとお主が『妖怪』であるという自覚じゃ。お主がどんな特性を持った妖怪なのか、いまいち不分明じゃが……まあ、自覚すれば自ずと明らかになるじゃろう」


 まだ『妖怪』なんてわけわからないことを言ってるのか。

 そんなもの、迷信に決まってるのに。

 可愛そうな子だな。

 だから家の皆からもいないように振る舞われてて、こんな部屋に閉じ込められてるんだな。

 同情はするけれども、この子の意志は変な感じに固い。頑固だ。ビバッ、頑固だ。ウルトラ頑固かもしれない。ファイナル頑固ということにしてしまおう。つまりは、ぼくに出来そうなことは何もないのだ。だからぼくは、何も言わずに彼女の妄想にしばらく付き合ってあげようという気になったのだ。

 さっちんは立ち上がって襖を開けて部屋を出て行く。


「ほれ、ついてくるのじゃ」


 どこに行くのかと思えば玄関。

 さっちんは靴も履かずに玄関へ下りて、引き戸をスライドさせて開ける。

 そしてぼくの方を見て、にんやりと歪んだ笑みを現した。


「この家にはな、幸福の象徴の『座敷童』であるわらわを外へ出さぬよう、『結界』が張っておるのじゃ」


 そう言ってさっちんは右手をゆっくりと、扉の外へと伸ばす。

 小さな指先がゆっくりと伸びていき、家の内と外の見えない境界線を越えようとする。と――。


 ばしんっ、とまるで音が聞こえるような勢いで、さっちんの腕が跳ねた。


「おおぅ」


 大げさな動作に少しびっくりして、ぼくは小さくよくわからない声を漏らす。

 えっと、何のパントマイムだろうか。

 つまり、引き戸の内と外の境界線に、結界とやら張ってあるという演技だろうか。

 さっちんはどこか得意げな様子でぼくに向かって小さな胸を張った。

 すごく小さな胸なので、張られてもそんなに嫌みな感じはしなかった。

 むしろ幼子が背伸びをしている感じで微笑ましい。

 いや、薄い胸ってのに和装は良く似合うから、好ましいと思うけどね。


「ほれ、お主もやってみるが良い」


 ああなるほど。

 これで同じようにぼくも弾かれたら、ぼくはさっちんの言うとおりに何かの妖怪だってことなのか。

 小さい子の考えることって、どうしてこんなに可愛らしいんだろう。

 さて、どうしようか。

 ここでこの子の妄想を打ち破ってあげるのか、将来的にもこの子のためになるだろうか。

 それとも大人の余裕っていうか、まあそんな感じの上から目線での度量で、一緒に遊びに乗ってあげて、演技をしてあげるべきだろうか。

 よし、流れで決めてしまおう。

 そんな適当な気分で、ぼくは玄関に下りて、ちゃんと靴を履いて、引き戸のあった空間へ、家の内と外を隔てる見えない境界線へ、右手の指を伸ばしていった。


 ばしゅんっ


 そんな感じの、どこか気が抜ける音が脳内で響いて、ぼくの利き腕は大きく弾かれた。


「……………………あれ?」


 よくわからない結果に、ぼくは首を傾げた。


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