第4話 迷いの森と歌姫の警護団
ぎしり、ぎしりと軋む馬車の音が、闇に沈んだ森に微かに響いていた。
馬車の荷台には奴隷用に捕まえたばかりの村人達が詰め込まれている。
御者台に座る男が、前を行く馬の背に鞭を当てる。
その隣の男が、歯を剥いて笑った。
「今回の収穫は上出来だな。子どもも多いし、元気なやつが揃ってる」
「うるさいのはさっき捨てた。あとはこのまま、静かに山を越えるだけだ」
森を抜ければ勝ち。そう思っていた。
「この辺の言葉は変わってるからな。悪巧みされてもわかんねぇし、何か話してるやつや怪しいやつは早めに捨てるのが一番だ。警護団に捕まるわけにいかねぇ」
「警護団? あいつらは間に合うわけねぇ。駐屯地は遠いんだ」
「夜の森じゃ、俺たちが食われる側だ。騒がれたら、化け物が来る……警護団どころじゃねぇよ。」
男は馬車の後ろを振り返る。
村人たちが両手両足を縛られたまま押し込まれていた。
何人かは意識が朦朧としているが、生きている。
「村では狼煙が上がってたが……警護団が気付いた時には、俺らはもう山の向こうさ」
笑いながら、御者の男は頭を掻いた。
狼煙を上げられることも想定内。この辺の道や警護団の位置は調べ尽くしている。
奴隷狩り達の行動は速い。逃げ道は一本道だが、変に迷ったりでもしなければ、警護団に追い付かれることはない。
「一年は遊んで暮らせるな。何に使うか……ふふっ」
「俺は女を買う。毎日抱いて、飽きたら次だ。連れ去った女達にも手ぇ出したいが……今は我慢だ。帰ってからたっぷり遊ぶ」
下卑た笑いが夜に溶ける。
月明かりすら届かない森道。
そのときだった。
先頭の馬が急に脚を止め、甲高い声でいなないた。
御者が立ち上がる。
「おい、どうした!?」
他の馬も騒ぎ始め、馬車が止まる。
後ろでも仲間たちの声がざわめいた。
「……おかしい。ここ、さっき通った場所じゃねぇか?」
三又の樹、倒れた木。
確かに見た景色だった。
「迷ってる……? この森は把握してたはず……!」
汗が滲む。
地面は柔らかく、空気は湿っている。
遠くで耳鳴りのような音がする。
何かが違う。
簡単に逃げられるはずだった。
だが今、彼らは――迷っていた。
夜が明け始め、不思議な旋律が、どこからともなく微かに響いていた。
何度道を確かめても、元の場所に戻る。
時間だけが過ぎていく。
空は明るみ、焦りが胸を締め付ける。
追いつかれる――捕まる……!
絶望が顔を覗かせた、その瞬間だった。
“ピシュッ”。
乾いた音と共に、隣の男がのけぞる。
額に黒羽の矢が突き刺さっていた。
「……なっ!?」
血が飛び、馬が暴れ、悲鳴が上がる。
森が、ざわめき始めた。
***
凛人は馬車の中で、異様な気配に息を呑んだ。
“ピシュッ”。
また風を裂く音。続いて、何かが倒れる音。
「イル ヌ ザタック!!?」
奴隷狩りたちの怒号が飛び、騒然とし始めた。
静かな恐怖が、破られた。
「まさか……」
隣にいた男が小さく呟く。
「来たぞ……! 警護団だ! 歌姫様の警護団だ!」
その言葉が、囁きのように広がっていく。
「本当に……?」
「助かるのか……?」
「あの姫様の……!」
絶望に染まっていた人々の表情に、かすかな光が差し込んだ。
――凛人は重い瞼を開いて馬車の周りを確認してみた。
まばゆい光の中、混乱が目に飛び込んでくる。
三台の馬車。
その周囲で、兵士たちと奴隷狩りが激しくぶつかっていた。
既に何人もの奴隷狩りが倒れ、地に伏している。
森から現れた七人の兵士たちは、圧倒的だった。
訓練された動き、息の合った連携。
誰一人として声を荒げず、淡々と敵を制圧していく。
まるで戦場の舞だった。
「さすが、姫様の警護団……」
凛人の隣の男が呆然と呟いた。
――そして、目が止まる。
指示を出す、若い女性兵士。
凛とした声が、森に響いた。
「拘束を解け。捕虜の状態を確認、負傷者は後方に。車輪を点検、馬車ごと回収して引き上げる!」
兵たちは迷いなく動く。
その指揮官に、絶対の信頼を寄せているのが伝わった。
「あれが……指揮官……」
視線が彼女に集中する。
年は若そうだが、目に迷いはなかった。
やがて、凛人の手足の縄が解かれた。
自由が戻ってくる。
涙を流す女、地に座り込む男、親子で抱き合い泣く声――
喜びと安堵が広がっていった。
そのとき、誰かが凛人の腕を掴んだ。
「……あんた……」
凛人が庇った、あの少年の母親だった。
「言い方は悪いけど……あんたが代わりに殴られてくれたから、この子は助かったよ」
その手には、感謝と、申し訳なさが込められていた。
「……本当にありがとね」
母親の手が、凛人の腕をしっかりと握っていた。
何も返せなかった。ただ、頷くことしかできなかった。
痛みも、恐怖も、胸の奥にまだ残っている。
けれど、その言葉は、それでも——真っ直ぐに心を打った。
子どもが小さく震えている。
——せめて、この子の心に傷が残りませんように。
安堵が、静かに体を包んでいく。
崩れかけていた気持ちに、あたたかな何かが触れた気がした。
命の危険さえあったのに、今の自分は――他人を心配している。
あまりに不思議で、不意におかしくなった。
凛人は、ほんの少しだけ笑った。
車輪の軋む音が再び響く。
馬車が動き出す。
殴られた痛みはまだ残る。
けれど、「助かった」という安心に包まれ、凛人の意識はゆっくりと遠のいていった。
――どれほど眠ったのか。
目覚めの間際、耳元で優しい歌が、確かに響いていた。
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