理をめぐる陰と光

夜が更ける。理沙は、魔導書失われた理の冒頭章を何度も読み返していた。


 ページをめくるたびに浮かぶ数式は、異世界の魔術語でありながら、どこか懐かしい。

 まるでかつての同僚と、もう一度議論しているかのようだった。


「この構造、エネルギー循環の制御理論に似てる……。でも、自然界の“魔素”をどうやって定量化したのかしら」


 考え込む理沙の背後に、足音が近づいてきた。


「まだ眠っていなかったのか。……お前らしい」


 振り返ると、そこにいたのはカイル。マントの裾から夜風が入り込んできて、理沙の髪がそっと揺れた。


「……あなたも、眠れなかったの?」


「お前のことが気になってな」


「また、唐突ね。王国の騎士って、こんなに直球で言うの?」


「俺は不器用だ。それに、理屈より先に、行動が出る方だ」


「研究者と正反対ね。こっちは、理屈の山から出られないタイプよ」


「だが、お前の瞳には理屈以上の“熱”がある。……それが、俺は好きだ」


 理沙はふと顔をそらした。思わず、心のどこかが揺らいでしまったから。


「ねえ、カイル。……もし、私がこの魔導書の力で、王国の力のバランスを変えてしまったら。あなたは、私を止める?」


「……ああ。もし、それがこの国を危険に晒すなら、俺はお前の前に立つ」


 はっきりとした答えだった。理沙は息をのんだ。


 けれど


「それでも俺は、今のお前を信じたいとも思ってる。……この国のためじゃなく、俺自身の意思で」


 騎士としての責務と、一人の男としての想い。その狭間で揺れる瞳が、まっすぐ理沙を見ていた。


「……バカみたいに正直ね。そんな人、こっちの世界でもなかなかいないわ」


 思わず、理沙は微笑んでしまった。


 


 その瞬間。


 塔の外で、爆音が響いた。


 重く鈍い轟音とともに、石壁がわずかに揺れる。


「っ……何!?」


「来たか……!」


 カイルが剣に手をかける。

 レヴェントが階段を駆け降りてくるのとほぼ同時だった。


「急げ、魔導防壁が破られた。敵だ!」


「敵って……誰?」


「“理を求める者たち”——錬理術の力を奪うために暗躍している、禁術派の残党だ」


「そんな連中までいるの!?」


「彼らは“術核”を手に入れるためなら手段を選ばない。君が狙われるのは、時間の問題だった」


 レヴェントの声に、理沙の背筋が凍る。


 魔導書を、術核を、そして——彼女自身を狙って。


「俺が連れていく。外に出る道を確保する!」


 カイルは理沙の手を取る。その手は固くて温かく、信頼できる感触だった。


「待って! 魔導書は?」


「持って行け。ただし、絶対に読まれるな。術核と接続すれば、それは君の命そのものになる」


「了解……!」


 理沙は胸に魔導書を抱え、塔を駆け出した。


 

 夜の闇を裂いて、紅蓮の魔炎が塔の一部を焼く。

 空から舞い降りた黒衣の術士たち。その中心にいたのは、仮面をつけた女だった。


「——錬理術核は、この手に収める」


 彼女の名はセリア・ヴァルハルト。かつて王国を追放された異端の理術師であり、“禁理の継承者”を自称する人物。


「異界の娘。貴様の術核は、我らの未来の扉だ」


 その冷ややかな声に、理沙は一歩も引かなかった。


「だったら——私が“理”を正しく使うって、証明してみせる」


 背後のカイルが剣を抜く。


「一歩でも近づけば、命はないと思え」


「ふふ……ならば、見せてもらおう。異界の研究者の“誇り”とやらを」


 


 炎と理が交差する夜。

 その闇の中で、理沙の中の“何か”が確かに目覚めようとしていた。


 それは知識でも力でもない。

 この世界に生きようとする意思、そして誰かとつながるための“想い”だった。

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