第10話 見えないものを
ルカ君を癒したあの日から、ぼくの役目は少しだけ変わった。
診療所の裏手、使い慣れた倉庫のような部屋に立つぼくの手には、診察記録の束が握られている。患者一人ひとりに目を通すバレット先生の視線が止まり、彼は静かに口を開いた。
「……今回の子は、軽い火傷のようだな。軟膏は塗っておいたが、エルヴィン君、魔法でもう少し痛みを和らげてやってくれ」
「わかりました」
それが、バレット先生との“取り決め”だ。
魔法の使用はあくまでも診察のあと、医師が必要と判断した場合に限る。加えて、擦り傷や打撲などの軽度な外傷には、ぼくが直接癒しの魔法を使う。
もちろん、すべてが魔法で解決するわけではない。薬草も道具も必要なときがあるし、体の状態を整えるには休息も大切だ。
でも、あの日——ルカくんの病を癒したあの日から、先生ははっきりとこう言ってくれたのだ。
「エルヴィン君、君の力は本物だ。そして、正しく使えば人を救える。ならば、診療所の一員として協力してもらいたい」
そうしてぼくは、診療所の一員として、週に三回この診療所に通うようになった。
◇
患者の数は日ごとに増えていった。春の芽吹きとともに、小さなケガや急な熱を訴える子供たちが訪れる。年配の人々も、膝や腰の痛みを抱えて診療所を訪ねてくる。
そんな中、町では少しずつ——けれど確かに、ある噂が広がっていた。
「診療所に、魔法で治してくれる子供がいるらしい」
その言葉に驚く者もいれば、疑いのまなざしを向ける者もいた。でも、実際に癒された人々が語る体験は、静かにその真実を証明していた。
「熱が下がらなかったのに、子供の手を取られた瞬間、体が軽くなって……」
「年寄りの腰が伸びたんだよ、あの子が手を当てただけでな」
ぼくの名前は知られていない。バレット先生と相談して、あくまでも“魔法を使える助手”という立場で通している。
でも、それでも構わなかった。ただ、誰かが救われるのなら。
◇ ◇ ◇
その日、診療所にはひとりの老婦人が娘に付き添われて訪れていた。
「どうぞこちらへ、お母様」
娘と呼ばれた女性は三十代くらいで、老婦人の手を取りながらバレット先生の前に座らせた。
「症状はいつからですか?」
バレット先生の問いかけに、娘が答える。
「ここ1年ほど、母が『視界がぼやける』と言うようになりまして……薬草茶も試したのですが、悪くなる一方で」
老婦人は微笑を浮かべながら、ゆっくりと目元に手を当てた。
「霧がかかったようで……顔も輪郭もよく見えんのですよ」
バレット先生が目元を診察し、しばらくして小さくうなずいた。
「うむ、外傷や腫れはないが、目の奥の圧がやや高いようだ。これは……厄介だな」
その言葉を聞いたとき、ぼくの中で何かが引っかかった。目の奥の圧——それは、前世で聞き覚えのある症状だった。
(まさか、緑内障……?)
前世、日本で医療機器の研究をしていたころの記憶がよみがえる。眼圧の上昇によって視神経が損傷し、視野が欠けていく病。治療法は進んでいたが、失った視野を完全に戻すことはできなかった。
けれど、この世界には魔法がある。生命の力に直接働きかけ、組織や神経を修復できる可能性がある——それが、前世にはなかった希望だ。
ぼくはそっと手を挙げた。
「バレット先生、少しだけ、魔法を使わせていただいてもいいですか?」
バレット先生は少し迷いながらも患者に尋ねる。
「ご婦人、現状あなたを治療できる手立てはありません。しかし、この子は治癒魔法を使うことができます。魔法を使うことで治すことが可能となるかもしれません。ただ、この子は見た目からわかるとおり、幼すぎるし、まだ未熟な面もあります。なので、最終的に決めるのは患者さんです。どういたしましょうか?」
「もちろん、治る可能性があるというならお願いします」
ぼくは老婦人の前に座り、目元に手をかざす。魔力の流れを集中し、静かに呪文を唱えた。
「——癒しの光よ、失われし道を照らせ」
黄金色の光が、老婦人の瞼を包んでいく。その奥、視神経に魔力が届くのを感じた。圧迫された経路を緩め、損傷しかけた組織を修復する。ごく繊細な操作。ぼくの全神経を集中させて、ほんの数分。
やがて光が消える。
老婦人はゆっくりと目を開け、あたりを見回した。そして、娘の顔を見て——
「……ああ、見える。よく、見えるよ」
涙をこぼした。
娘もまた泣きながら母を抱きしめ、バレット先生は小さく頷いて記録を記す。
「エルヴィン君、ありがとう。……これは、魔法でなければ治せなかった」
◇ ◇ ◇
それから数日後、町の噂はさらに広がった。
「もう目が見えなかった老婆が、魔法で癒されたらしい」
「信じられるか? あの診療所の子供がやったって」
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