第7話 連鎖

ある日を境に、旅の一座に“異変”が起こり始めた。


最初は、一人の男だった。

いつもセレフィーナの籠の前で唾を吐き、汚い言葉で罵っていた中年の男。

ある朝、彼の姿は消えていた。


見つかったのは、森の奥の沼地だった。

首から下が泥に沈み、頭だけが浮かんでいた。

その表情は、目を見開いたまま、何かを見上げていたという。


次に死んだのは、犬を使って見せ物を演出していた男。

夜半、狂ったような遠吠えが響いたかと思えば、男の悲鳴が風にかき消された。

朝、檻の前には血まみれの肉片と、餓えた犬だけが残されていた。


その夜から、誰もが星を見なくなった。

空は変わらぬはずなのに、見上げる者の目に映るのは、ただの“空白”だった。

光はあっても、そこには意味がなかった。


それからというもの、不可解な死が続いた。


馬車を動かす男は、車輪に巻き込まれた。

寝所を仕切っていた男は、焚き火の中で焼かれていた。

女を買って笑っていた男は、喉を裂かれたまま笑った形で発見された。


誰もが口を噤み、何も言わなかった。

だが、皆が知っていた。

“呪いの子”の籠から、目を逸らした瞬間に、それは起きるのだ。


だがセレフィーナは何もしていなかった。

泣きもせず、叫びもせず、ただじっと座っていた。


ある者は震えながら神に祈った。

ある者は逃げ出そうとしたが、森の中で迷い、戻ってこなかった。

ある者は酒に溺れ、泥の中で凍え死んだ。


そして、生き残った者たちは、囚われた見世物たちを一つまた一つと売り飛ばし、セレフィーナの籠だけを残して、静かに消えていった。


やがて、誰もいなくなった。

空っぽの天幕、錆びた鉄の檻の中。

すでに鍵は壊れていつでも開くようになっていた。

そこに、彼女だけが座っていた。


誰も見ていないのに、誰かを見下ろすように。

誰も聞いていないのに、何かを知っているように。


その夜、星がひとつ、空から落ちた。


世界が、彼女に応えたようだった。


それは、静かな朝だった。

凍てついた風がようやく止み、森に淡い陽の光が差し込んでいた。


セレフィーナは、ひとり、廃れた天幕の中に座っていた。

誰もいないはずのその場所に、かすかな足音が近づいてきた。


「……まあ、こんなところに」


それは、年老いた女の声だった。

白い髪を三つ編みにし、分厚いマントに身を包んだ、やせ細った小柄な老婦人だった。


「あなた……生きていたのね。よく、こんなに冷たい場所で」


セレフィーナは、動かなかった。

拒絶も、敵意も、なかった。ただ――何も感じなかった。


けれど老婦人は、ひるまずに微笑んだ。

そして、肩に掛けていた古びた毛布をそっと彼女の肩にかけた。


「いいのよ。怖くないわ。私は、ただの老婆よ。

あなたを連れて帰りたくて来たの。……いいかしら?」


セレフィーナは、初めて微かに、眉を動かした。

それが同意だったのか、ただの風のせいだったのか。

けれど、老婦人はそれを“応え”と受け取った。


それからの日々は、セレフィーナの中の「時間」がゆっくりと動き始めるものだった。


老婦人の家は、森の奥にある小さな石造りの家だった。

壁には乾いた草花が吊るされ、窓辺には陽の光と鳥の影があった。


はじめてその小屋に入った日。

セレフィーナは、小さな椅子に座らされ、湯を沸かされた。

ぬるま湯にひたした布で手を拭かれ、指先の泥をゆっくりと落とされていった。


「髪がこんなに……切れそうだけど、でも大丈夫。ほら、少しずつ解いていきましょうね」


老婦人の指が、やさしくセレフィーナの髪をほどいていく。

櫛を通されるたびに、絡まった髪と一緒に、胸の奥の何かが少しずつ解けていくようだった。


そして、ある日。

老婦人は洗ったばかりの小さな服を手に、そっと言った。


「あなたも……もう“お年頃”ね。胸も少しずつふくらんできてる。これは、布を当てて隠せるようにしてあるの。恥ずかしいことじゃないのよ」


はじめて誰かにそう言われたセレフィーナは、言葉の意味をすぐには理解できなかった。

けれど、老婦人が包帯のように柔らかな布を彼女の胸元に巻いてくれる手つきは、乱暴ではなかった。


生理が来たときも、セレフィーナは何も言わずに隠そうとした。

が、老婦人はすぐに気づいた。


「大丈夫、大丈夫よ。これは自然なこと。誰もあなたを汚いなんて思わないわ」


そう言って、清潔な布と水を渡し、使い方を教えてくれた。

あまりに当たり前のように接する老婦人に、セレフィーナは何も言えなかった。


夕暮れになると、老婦人はスープを煮る。

人参と豆、じゃがいもに少しの肉。

素朴で、温かい匂いが、家を満たす。


「冷めないうちに食べて。パンもあるのよ。昨日より、ちゃんと焼けたわ」


スプーンを差し出されたセレフィーナは、初めて“口に入れてもいい”と思えた。

人間のために作られた食べ物が、こんな味だったことを、初めて知った。


――こうして、セレフィーナは少しずつ、人間として扱われる日々を取り戻していった。


まだ心の底の黒い井戸は乾いていない。

けれど、老婦人の言葉と手が、ぽたり、ぽたりとその中に何かを落としていく。


ぬくもり、という名の、灯りだった。

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