第25話 みんなが決めた青春


◇◇◇◇




 こう言っては桃子に悪いが、桃子が迎えに来てくれるより、優斗が来てくれてよほどうれしかった。


 だが。


 数学の単位を落としてしまったことと、ありしゃの熱愛報道で、心が死にそうだった。


 熱がある重い体を引きずりながら、学校の外へ出る。


 雨は幸いにもやんでいて、生ぬるい風が吹いていた。


「星名、リュック」


 前にいた優斗が手を差し出してくる。


「いいんですか?」


 正直重かったので、お言葉に甘えることにする。

 優斗はリュックを受け取り、なぜか背中ではなく、反対の胸の方にリュックを背負う。

 そして紫苑の前に背を見せてしゃがんだ。


「……いやいや、歩けますって! そんなお荷物みたいに、恥ずかしいですよ!」

「え、靴紐結んだだけだけど」

「……」


 紫苑は真っ赤になって固まる。それをちらりと見た優斗は、ガハハと豪快に笑った。


「嘘。ほら、おぶされ」

「い、嫌です。そんなからかい方されて……」

「おんぶ紐が必要か?」

「な、何で藍野さんにおぶってもらわなきゃいけないんですか!」

「だって歩けないじゃん」

「やらしい……」


 正論すぎてぐうの音も出ない。

 迎えに来てくれたのが桃子ならば車でサッと来てくれただろうか、と今更ながら考える。


 そうしているうちにも、熱に浮かされているせいで、もう体がだるくて横になりたい。真っすぐ歩けない。歩けたとしても、優斗に肩を貸してもらわなければいけないかもしれない。

 時間がかかるのは、絶対に紫苑が自分で歩く方だ。


 そう結論を出し、紫苑は渋々優斗の背中におぶさる。


 小柄な紫苑は、優斗の背中がやけに大きく思えた。優斗の体温を感じて、かあっと顔が熱くなる。


「重いな……?」

「じゃあ、おろしてください!」

「嘘だって。軽すぎる。もっと食べなきゃ」

「今日は何か辛辣ですね? 病人をからかう趣味でもあるんですか」

「心配させた罰」


 のらりくらりと紫苑の言葉をかわす優斗に、紫苑は心の中で舌打ちをする。

(なんかいい匂いするし……香水でもつけてんのかよ、クッソ……)


 優斗は、近所を散歩するかのように、紫苑を背負ったままぶらり、ぶらりとゆっくり歩く。その規則的なリズムに、紫苑は何だか眠くなってくる。


「……何で具合悪いのに無理したの」


 ふっと耳に入った優斗の声に、寝そうになっていた意識が浮上する。


「だって……数学の、単位が……」


 自分で口にした途端、涙がじわりとこみ上げる。


 体調を考えて、進級できるぎりぎりの単位数を履修したから、一つでも単位を落としたら命取りだ。よほど頑張らない限り、留年になって三年で卒業できなくなる。


 だったらもっと最初から、詰め込み過ぎるくらい多く単位を取って、無理してでもなんでもいいから、留年を免れるようにしなければならなかったはずだ。


 自分が情けなくて、紅里や桃子に申し訳なくて。


「もうダメだ……なんでもっと頑張らなかったんだろう……」


 涙が、優斗の肩を濡らす。



 高校生になったら、もっと元気になっているはずだった。

 学校が、楽しくてしょうがなくなっているはずだった。


 こんなはずじゃなかったのに、と後悔とやるせなさばかりが湧き上がる。



 ちょうど、すれ違うようにして前から歩いてくる人がいた。


 高校生だった。制服を着て自転車を押して、男女四人、楽しそうに騒いでいる。


 恥ずかしかった。えぐえぐと泣きながら、優斗にしがみついている自分が。

 欲しかった。この人たちに負けないくらいの、青春が。

 何となく、消えたかった。


 このまま、優斗の背で、粒子になってバラバラに消えてしまっても、誰も気が付かない。


「青春。したかったなぁ……」


 ポツリとつぶやけば、体の輪郭が、ふわふわして。

 そのまま風に飛ばされれば、楽だったのに。

 体は、手は、しっかりと優斗の肩を掴んで離さなかった。



***



「星名。着いた」


 優斗の声で目が覚めて、目の前は家だった。

 涙が出たら、疲れたのか。いつの間にか、紫苑は優斗におんぶされたまま、眠っていたらしい。


 ゆっくりおろされて、コンクリートの感覚を確かめる。長い間、自分の足で歩いていなかったような。地面の固さが靴を通して伝わった。


「藍野さん。ありがとう、ございました」


 ペコリと頭を下げて、リュックを受け取る。

 優斗の肩は、紫苑の涙と鼻水でぐっしょり濡れていた。


 顔が引きつっている優斗につられ、少し笑みが漏れる。


「すみません。洗います」

「いいよ、別に。熱は? 楽になった?」


 こんな鼻水をぶちまけた女でも、優斗はまだ心配してくれている。彼は、なぜ紫苑にここまで構ってくれるのだろうか。


 学校で友達に囲まれ、成績だって良くて、彼女もいて。


 紫苑は優斗にとって不要なのに。


 妹みたいに手のかかる紫苑が、完璧な優斗に無理矢理付き合って「もらっている」ような。そんな情けなさが襲ってくる。


「はい。大丈夫です。それじゃ」


 紫苑は再度頭を下げて、家の鍵を取り出す。


「星名」


 優斗の声が飛んできて、ドアをあけながら振り返る。


「なんですか」

「星名、青春、青春って言うけどさ。それって、誰が決めた青春だ? 『みんな』じゃないのか?」


 そう言った優斗は、紫苑より先に自分の家に入ってしまった。

 その言葉が、ふっと紫苑の胸を突く。紫苑の中にあった、矛盾。褐平にも言われたこと。「みんなと同じ」と流されることが嫌なのに、「みんなと違う」と悩んでいると。


 血反吐が出るくらい嫌だった。「みんな大変なんだから、あなたも頑張りなさい」、「みんなそうなんだから、あなたも我慢しなさい」という言葉。

 同じだからといって、苦しいものがなくなるわけじゃない。そんなの慰めの一滴にもならない。


 我儘、だと思う。自分だけじゃない、と自分を鼓舞して頑張れることだってあるから。でも、紫苑は卑屈で、それがどうしてもきれいごとに聞こえてしまう。


 それが、優斗には分かっていたのだろうか。

 普通の学生になれず、高すぎるプライドとコンプレックスが凝り固まり、「みんな」という言葉が嫌いな癖に、「みんな」と違う、自分が置かれた状況を受け入れられなかったこと。それゆえに、できるわけがない「大多数」が決めた「青春」に囚われていたこと。


 目から鱗だった。

 ずっと否定していた。自分が不登校? 社会のレールから外れた? 脱落者? そんなこと、信じられない。受け入れたくない。

 本当に、何がいけなかったのか分からない。自分のせいで親が疑われるのも耐えられない。人の上に人を作らないなんて、信用できない。


 中学時代、そう思っていたことを思いだした。


 それが分かったところで、どうしたらいいか、紫苑には分からない。

 そのコンプレックスを全て凌駕するような何か。

 

 紫苑はそれをずっと求めている。



***



「だからね、褐平さん。紫苑には、もっと厳しくならなきゃいけないと思うの」


 家の中に入り、廊下を歩き、リビングのドアノブに触れようとしたとき、扉の向こうの桃子のそんな声が聞こえた。


「そうかなぁ。紫苑は十分頑張っているよ」


 桃子と話しているのは、褐平だ。


「そうだけど。あの子の将来を思えば、の話よ。最近だって勉強もしないで好きなことばっかりやってるじゃない。今の学力だったら、大学も行けないわよ」


 桃子の言葉は、嫌というほどはっきりと耳に入ってくるのに、意識だけが遠のいていく。


 ドアノブを掴もうとする手が、しびれる。

 視界が、滲んでいく。


「このままだったら……週一の学校もまともに行けないようじゃ、きっと働けない。私は、あの子が将来お金に困るような生活は、してほしくないのよ。いい年して親のすねかじりになったら、どうするつもり?」

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