第14話 お間抜けさん

「紫苑。何度だった?」

「七度五分~」

「そう、いつものかしらね、今日は寝てなさい」


 部屋のドアの前にいた桃子が、階段を下りる気配がする。


  

 紫苑は自室のベッドに寝ていた。

 掛布団を、額まで引っ張り上げる。


「昨日、ちょいと無理しすぎたか……」


 久しぶりに愛という同年代の女子と話して興奮したのち、水谷の嫌味を浴び、のち、愛と少し仲良くなれた気がして飛び上がった。

 ルンルン気分で家に帰ったら、水谷の嫌がらせプリントを目の当たりにしてストレスが溜まった。


 気分を持ち上げて落とすようなことをされたから、疲れが出たのかもしれない。



「あたしの体、弱すぎ……」

 熱はいつ出ても七度台なので、つらさはそれほどないが、不登校をしていたこともあってストレス耐性があきれるほどない。こうして一か月に一度、酷くて二週間に一度は熱が出る。そして左耳の鈍痛。


 今日は土曜日だ。スクーリングで学校は開校している日だが、紫苑がとる予定の単位の授業が今日はない。行かなくても問題はなかった。


 それを思い出して、ホッと胸を撫でおろした紫苑は、スマホを取り出す。「病人は寝てなさい」という桃子の怒った顔が頭に浮かんだが、無視しておこう。



 レインから通知が来ていた。全て公式からだった。悲しい。

 友達一覧には、ずらずらとお菓子の会社やら服の会社やらの公式アカウント、母親の紅里、祖母の桃子、祖父の褐平のアカウント、そして、優斗。


「ひゃっ!」


 思わず声が出ていた。

 なんだろう。ものすごくくすぐったい。

 同世代の、しかも男子を友達登録してしまったなんて。


 紫苑は何かに操られるように「優斗」のトーク画面を開いていた。


 まだまっさらなトーク画面。紫苑が何かしら送れば、それがそのまま彼に届いてしまう。

それが、少し怖いような気がするけれど、それとは反対に胸の奥からちょっと苦くて甘い綿菓子のようなものが湧きだしてくる。

(何してるかな、藍野さん……)


 そこまで考えて、ハッと我に返る。

 今、何を考えていたのだろう。

 その考えが限界まで達してしまったら、何かを自覚してしまいそうな。

 そんな気がした。


 頭を振る。熱が出ているためか、重くて痛かった。


「はっ。ありしゃ」


 紫苑は、自分の気持ちがどこに向いているのかが分からずに迷走したときは、黒羽有彩を見る。

 ありしゃの笑顔は安心するし、ずっと見ていたい。

 ありしゃだけは、永遠に変わらずにいて欲しいし、彼女が誰かと結婚するなんてことを想像しただけでぞっとする。


 ファンとしては行き過ぎな感情かもしれないが、ファンのことだけを見ていてほしいのだ。

 アイドル本人にも本人の人生があるのだから、彼女らの幸福を願うのがルールだ。

 それを分かっていても、独占欲が膨らむ。


 紫苑にとってありしゃは、「ガチ恋」相手にも等しいのだ。


「早く新曲フルで聴きたいよぉ~」


 ベッドの中で紫苑は悶えた。



***



 次の日になると、熱は下がるがまだ微熱が三日ほどは続く。

 見えない芯熱に体をがっちりとかためられたような不快感を感じながら、微熱が下がるまでは家で過ごす。


 やることもないので、数学のプリントをやってみたが……。

 全く分からない。

 紫苑ではなく、問題の方が頭おかしいと思うほどだ。



 ということで家から出るのは無理なので、月曜日は公園に行けない。


 紫苑は、初めて優斗にメールを送ることにした。


 パジャマのまま、数学の嫌がらせプリントが広がっている勉強机にお尻半分ほど座り、スマホを構える。


「えーっと。『こんにちは。お元気ですか?』違うか。『こんにちは。ご無沙汰しております』硬いな。う~。じゃあ」



『こんにちは。月曜日なんですけど、公園に行けそうにないんです。実は土曜日に熱が出ちゃって。もう下がったけど微熱が続くので、家にいることにします。すみません。元気になったらまた連絡しますね!』



 とりあえず無難なところを攻めた。

 震える指で送信ボタンを押し、ふうと息をつく。


 自分の送った文章っを見直す。ちょっと絵文字が多い。オジサン構文臭いだろうか。いや、後の祭りだ。


 ドキドキしながらスマホを机に放る。


 ブン……


 スマホが震えて、机が固い音を立てる。


「きっ、来た‼」


 着信音に飛び上がった紫苑は、すぐにスマホを手に取る。



『そうなんだ。大丈夫なの?』



 紫苑のカラフルな絵文字に取り囲まれた文章とは裏腹に、優斗の返信は簡素なものだった。

 少し拍子抜けや落胆に似たものを感じながら、返信を打つ。



『はい。いつものことなんで。疲れるとこうなります』



 どくどくと脈打つ心臓を抑えていると、優斗からまた返信がくる。



『了解。お大事に』



「っ、はあ~」


 一通りのやり取りが終わったとみなした紫苑は、体をベッドに放り出す。

 なぜか顔が熱い。頬が脈打っている。


 今の人は、メールもこんなに簡素なのだろうか。

 お大事に、と言ってくれたので、『ありがとうございます』と書かれた三毛猫のスタンプを送っておいた。


(てかあたしは、何を期待してたんだか……)

 優斗が心配して長文を送ってくれるとでも思っていたのだろうか。


 紫苑は優斗の、『了解、お大事に』という文言を、何度も眺める。

(でも、うれしい)


 優斗とレインを送り合うのは、親しくなったようで、くすぐったい。


 優斗は今、何をしているだろうか。日曜日だから友達と一緒にいるかもしれない。もしくは、家で勉強? 優斗は頭が良いだろうから、難しい問題もすいすい解いて……。


「そういえば、藍野さんなら、数学の問題解けるよね?」


 これは年上と関わっていう特権といえよう。最大限有効活用させていただかなければ。


 レインのやり取りの良い口実が見つかったとてもいうように、紫苑は再びスマホを手に取る。



『あの! 解けない数学の問題があって、今度公園に行ったとき、教えてもらっていいですか?』



 再び鳴り出した心臓の音と呼応するように、スマホが着信音で震える。



『うん。いーよ。星名が苦戦してる顔が目に浮かぶ』



 その文章とともに、にたりと笑う三毛猫のスタンプが送られてくる。

 紫苑がさっき送ったスタンプと同じシリーズのスタンプだった。

 無料ダウンロードなので、誰でも使えると言ってしまえばおしまいだが。お揃いで、しかも紫苑が送ったスタンプに合わせてくれて。


「ちゃっかりからかってるし。もう。ふふっ」


 頬が緩む。また、スマホが震える。



『お間抜けさん。待ってるから』



(待ってて、くれるの?)


 お間抜けさんは心外だが、今まで素っ気なかった優斗の返信に隠れた優しさに、うれしさと同時に胸が苦しくなる。


「ふふ、ふふっ」


 湧き上がる甘さと笑いに呼吸が少し浅い。うれしさで震える指で返事を打つ。



『分かりました。待ってて、ください。あ、お間抜けさんは心外です!」



 こんなことだけで、芯熱がすうっと引いていくような。

 反対に、頬が火照ってくるような、不思議な感覚。


 だが、今度は気持ちが迷走せず、ありしゃの助けは、必要なかった。


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