第20話 愛してるよ
温泉巡りから戻ったのは午後九時を過ぎた頃だった。旅館の人が用意してくれたふかふかの布団に、姉と二人で倒れ込む。うつ伏せのままスマホを開くと栞子さんからラインが来ていた。
『また佐藤さんの顔を見たくなっちゃいました』
本当にかわいい人だ。布団から起き上がって笑顔で自撮りした。
『はいどうぞ』
『あの、後ろで冷蔵庫開けてる人誰ですか……?』
思わぬ返信に写真を確認する。ほんとだ……。私がピースをする後ろで姉がビールを取り出していた。
「ちょっとお姉ちゃん?」
振り向けば、天を仰ぎ見て怒涛の勢いでビールを飲んでいる。本当にこの姉は……。
『姉だよ』
『あっ、お姉さんなんですね。髪が短いからてっきり若い男の人かと……』
ほっとする猫のスタンプが送られてきた。もしかして浮気を疑ってたのかな……?
『浮気なんてしないよ』
『分かってます。でもあんまり恋人らしいやり取りできてない気がして』
そうかな? まぁでも恋人は恋人でも仮の恋人だから、遠慮してるところはあるかもしれない。
『もっと恋人らしいやり取りがしたいです』
『例えばどんなこと?』
『電話で「愛してる」って言い合ったりとか……』
確かにドラマとかで結構あるよね。私も興味はある。けど場所が悪い。姉に目を向ければ、二本目のビールを飲みながらニヤニヤしていた。何を言われるか分からない。流石にここでやるわけにはいかない。
『いいよ。でもちょっと待ってて。場所移すから』
『私も移動します。今はホテルの部屋で親と一緒にいるので』
『りょうかい』
親指を立てた犬のスタンプを送った。
「お姉ちゃん、私ちょっと出てくる」
「おねえちゃんもいく!」
もうろれつが回っていない。顔も真っ赤だ。
温泉で血行が良くなってるからアルコールの巡りも早いのだろう。
「来なくていいよ。ほら、ここで寝といて」
指を指すとニコニコ笑いながらぼふんと布団に倒れ込んだ。部屋を出て鍵を閉める。エレベーターに乗って一階まで下りた。人気のない場所を探しているうちに、旅館の片隅にある古ぼけたゲームコーナーにたどり着く。
壁に寄りかかって電話をかけた。
「もしもし栞子さん」
「あっ、佐藤さん……」
大人びたかわいい声が聞こえてくる。
「栞子さんの声聞くのすごく久しぶりな気がするよ」
「私もです。佐藤さんの声たくさん聞きたいです」
「じゃあ今日あったこと話そう。栞子さんはどこ行ったの?」
「あしびなっていうアウトレットモールと、あと国際通りにも行きました。あしびなでは広いフードコートで分厚いお肉を食べて、国際通りでは美味しいソフトクリームを食べたりしたんです」
「いいねぇ。私も夕ご飯は豪華だったよ。すき焼きのお肉がすごく美味しかった」
それにしても「あしびな」や「国際通り」はどんな場所なのだろう。
上手く想像できずにいると、画像が送られてきた。ASHIBINAAの文字のオブジェ前で栞子さんがピースをしている。背景にはパルテノン神殿みたいな柱で支えられた建物が、奥まで伸びていた。
国際通りの写真では、大きなハブが入ったお酒の前で、サングラスをかけた栞子さんが手を振っていた。めちゃくちゃはしゃいでいたみたいだ。それにしても相変わらずスタイルがいい。サングラスも相まってモデルさんみたいだ。
「らしくないですけど、ちょっと気分が上がっちゃって」
「気にしなくていいよ。どんな栞子さんでも栞子さんなんだから」
けどやっぱり心配だ。前髪を半分あげてからは整った容姿を隠し切れなくなっている。
「でもナンパとかされてない? 大丈夫?」
「結構声はかけられました。そのたびにお父さんが睨んでくれたので大丈夫です」
「よかった……」
「じろじろ見られるのはちょっと嫌でしたけどね」
私はかわいいものが好きだ。栞子さんにももっとかわいくなって欲しいと思っている。でもそのせいで色々な視線にさらされるのを想像すると、胸がざわめいて落ち着かなくなる。ずっとそばにいて守ってあげたい。
「栞子さんは私のなんだから、みんな変な目向けないで欲しいよ……」
なんて冗談半分につぶやけば、照れくさそうな声が響いてきた。
「そっ、そうですね……! 佐藤さんだけのものです!」
顔を真っ赤にしながらこくこく頷いている姿が目に浮かぶ。ほんと栞子さんってかわいい。
「あの、佐藤さんも私のですか……?」
「そうだよ。大切にしてね」
「全力で大切にします! あのっ、愛してます佐藤さん……!」
「私も栞子さんのこと愛してるよ!」
よく分からないテンションで、お互いに甘い言葉をささやき合う。
言われるのは意外と恥ずかしくないけど、口にすれば照れくさい言葉。それが私にとっての「愛してる」だった。初体験の余韻はそうそう消えそうにない。顔にほんのりとした熱を宿しながら、大好きな声に耳を傾ける。
「なんかすごいこと言ってしまった気がします。佐藤さんと話せたのが嬉しくて……」
正気に戻ったのかもしれない。しぼんだ風船みたいに、声はすっかり勢いを失っていた。
「ちょっと恥ずかしいね」
くすくす笑って目を閉じる。
「でも栞子さんのこと知れて嬉しいよ」
「私を……?」
「情熱的に愛をささやいてくれたでしょ。電話越しじゃなくて直接言ってくれてもいいんだよ?」
「それは流石に無理です……!」
「えー。残念」
まぁ私としても電話越しの方がいいんだけどね。直接だと色々な意味で耐えられそうな気がしない。愛おしさが爆発して確実に抱きしめてしまうだろうし、それだけでは到底満足できなくて、もっと凄いことをするかもしれない。
周りの目を気にする余裕もなくて、街どころか学校でも、思う存分栞子さんを愛でてしまいそうだ。
早く連休最後の日になって欲しい。休みが早く過ぎるのを望むなんて初めてだった。
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