第二十四話:呼び込まれし者


青い霧の奥で、銀と黒の影が動く。

その視線が一瞬、霧越しにこちらを射抜いた気がして、シンは息を呑んだ。


「シン、離れて」

ミュリナが低い声で告げ、肩を押す。

「助けに行かないのか?」

思わず口をついた問いに、彼女は小さく首を振った。

「この領域……外からじゃ干渉できない。たとえ、中に入れてもCARD同士の戦いに私達が加勢できるはずがないわ。無理に踏み込めば、逆に足手まといになる」


それでもシンの視線は、揺らぐ霧の奥から離れなかった。

胸の奥で何かが脈打ち、皮膚の下を電流のような熱が走る。

(……これは、なんだ?)



――クラウン・リバース領域の中


ヴァレクの血の匂いがまだ空気に残っている。

Aは握った柄に力を込め、銀の刃を正眼に構えた。

目の前のジョーカーは、仮面の下で笑みを浮かべたまま、静かに間合いを詰めてくる。


「さっきの一撃、なかなか効いたよ。でも――」

残像が二つ、三つと重なる。ジョーカーが一瞬ごとに短い時間停止を挟み、Aの反応を鈍らせていく。

「削るには、これで十分」


Aは息を殺し、相手のリズムにあえて飲まれた。

刃が閃いた瞬間、空間位相切断フェイズ・ベクター・セヴァランスを重ね、時間停止の位相ごと切り裂く。

火花が散り、ジョーカーの肩口に裂傷が走った。


「やっぱり、あんたは面白い」

それは愉悦というより、獲物を確かめた捕食者の声だった。

かつてジュリアだったときのスレイドを捨て、赤と黒のカードを取り出す。

カードは瞬時に巨大な鎌の形状になり、ジョーカーの手のひらに収まった。


「あぁ……やっぱり手になじむ」

流れるように弧を描く鎌の回転速度が速く、風圧が生じていた。

そのまま、刻んだ時間を止め瞬時にAの懐に潜り込む。


下から刈り取るように振り上げられた鎌はAの仮面の右目付近を破壊する。

破片が右瞼に刺さり、血がAの首筋まで流れる。


「くっ……」

振り払うようにスレイドで払うが、いつの間にか側面に移動したジョーカーの動きに

合わせるのがやっとだった。


(やつの能力に対しては多少耐性がある……ただ、ジュリアの姿で発動したイデアフォースの効果が続いているのが問題だ)


青い粒子の濃度は薄くなっているが、それでも完全に解除されていない。


(理力の消耗が激しい……この状態では勝てない)


刻印操作マーキング・トランスファーも使わないといけないから、いい加減終わりにしようか」


ジョーカーの連撃を受けきれず、致命傷を避けるが徐々に削り取られていく。

(俺ではやつに勝てない……)


「少し俺の賭けに付き合ってもらうぞ」


仮面を剥がし、スレイドの柄にあるトリガーを引く。

黒い理力が練り上げられ、滴る血すらも黒く変色して見える。

Aの周りの青い粒子が徐々に黒色へと変わっていく。



一刻いっこくは 呪縛じゅばくに、永劫えいごうは くさりに。──穿うがて」


「──相転分断フェイズシフト・ディスジョイント



空間そのものが悲鳴を上げる。

銀黒の斬撃は直線ではなく、位相をずらしながら幾重にも折れ曲がり、未来と過去を同時に裂いた。

触れた床石が消失し、残った断面は“存在しない時間”に溶け落ちる。


「……っ」

ジョーカーの瞳が初めて大きく揺れた。

一瞬

咄嗟に身を反らし、鎌で軌跡を逸らす。


轟音。

だが――刃はわずかに軌道を外れ、ジョーカーには掠り傷しか残さなかった。


「……残念、危なかったけどね」

道化の仮面の下で、ジョーカーの目が細まる。


Aは血を滴らせたまま、不敵に笑った。

「外したんじゃない……“開けた”んだ」


振り返れば、背後の領域壁に巨大な亀裂が走っている。

青い霧が渦を巻き、裂け目の奥から外の光が差し込む。

その穴は、内部と外部をつなぐ唯一の通路となっていた。


――クラウン・リバース領域の外。


シンは突如走った衝撃で足を取られ、揺れる霧の中心にぽっかりと穴が開いたのを見た。

中から吹き荒れる圧力が全身を叩く。


「な……領域に、亀裂が……!」

ミュリナが驚愕に目を見開く。


裂け目の向こうで、血に濡れた仮面の男――Aがこちらを見据えていた。

口元がかすかに動き、声にならぬ声が届く。



シンの心臓が一際強く脈打った。


ジョーカーがゆらりと鎌を構え直す。

「……なるほど。外から“切り札”を呼び込むつもりか」

その声音には焦りではなく、愉悦が混じっていた。


Aは血に濡れた刃を再び構え、シンの姿を背に隠すように立った。

「さて……ここからは読みあいはなしだな、ジョーカー」


霧の裂け目から吹き込む風が、戦場に新たな気配を呼び込む。

その瞬間、閉ざされた戦いは大きく局面を変えようとしていた。

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