第33話 “当たり前に選べる”未来へ


 青空に白い雲が映える夏の朝だった。

 初めての試みに向けて、準備に追われる王政事務局の執務室に、緊張感が漂っていた。


 居並ぶ局員たちの視線の先には、マリアベルと王太子カザエルの姿がある。


 静かに、マリアベルが一歩前へ出る。


「本日、皆さまにお伝えすることがあります」


 その声に、誰もが息をのんだ。


「今秋、初めて実施される『女性官吏登用試験』について――この名称での実施は今回限りといたします」


 その瞬間、室内に衝撃が走った。


「えっ……?」


「一度きり、とは……どういう意味ですか?」


「せっかく始まるというのに続けないのですか?」


 ざわつく局員たちを前に、マリアベルはまっすぐに言葉を続けた。


「誤解のないよう申し上げますが、今後も女性が官吏を目指す道は開かれます。ただし、今後は“女性”という冠を付けることなく、すべての志願者に対して“官吏登用試験”として機会を提供する方針です」


 沈黙の中に、戸惑いと理解が入り混じる気配。


「“女性のための特例試験”などと呼ばれ続ければ、実力で突破した者でも“特例”のレッテルを貼られ、陰で実力を疑われ続けます。これは当人にとっても、周囲にとっても健全ではありません」


 カザエルが補足するように口を開く。


「平等とは、機会の均等であって、特別待遇ではない。最初の一歩として“女性官吏登用試験”と銘打つのは必要だったが、二歩目からは、真に男女が並ぶ制度にしていかねばならない」


 マリアベルは頷き、続けた。


「そのためにも、この一度きりの試験を“成功”させる必要があります。誰にも疑念を抱かせぬよう、採点は従来と同様、厳正に行います。どうか各局の皆さまも、その理念をご理解ください」


 静まり返った会議室に、やがて一人、年配の局員が口を開いた。


「……つまり、今回の試験は“見せかけ”でもなく、手心も加えず、真に実力ある女性を選ぶものだという理解でよろしいですか?」


「はい。そのとおりです」


 その言葉に、いくつかの局員がゆっくりと頷いた。


「採用者がいない、という現実も起こり得ますが……そうならないためにも、各教育機関などでも優秀な女性には、今回積極的に試験を受けていただきたいと願っています」


 ある種マリアベルを立てるための施策だと穿った見方をしていた局員たちもいなかったわけではなかったが、

 今朝のこの発言により、その視点も打ち消されることとなり、マリアベルの真剣度と共に納得感が広がった。


* * *


 その後、王政事務局では前代未聞の速度で準備が進められていった。


 まずは、試験官の人選。既存の試験基準に忠実でありながら、女性も配置し、また、無意識の性差別に陥らぬよう、意識改革の講義も並行して実施された。


 次に、配属予定先の部署選定。女性を受け入れるにあたり、制服の寸法見直し、寮の設置、そして何より――職場に女性用のトイレが存在しない部署もあることに、多くの男性官僚たちは驚愕した。


「ここまで“男性向け”に作られていたとは……」


 カザエルが呟いた言葉は、まさに局内の空気を代弁していた。


 トイレひとつ、制服ひとつ、食堂の更衣区画に至るまで――政務の場は、女性の存在を前提としていなかったのだ。


 マリアベルは、工程表に沿って一つひとつの対応を指示していった。


「この国の“前提”そのものを、変えていかないと」


 そんな中、王立学問院をはじめとする教育機関にも改革の波が押し寄せた。


 女性が官吏として働くには、まず学ぶ機会が必要だ。

 そのため、マリアベルはセラフィーナやアイリス、そしてクラリッサとも連携を取り、貴族学園、学問院内での女子枠拡充とカリキュラムの見直しを提案した。


「女子の入学枠が正式に広がれば、もっと多くの志ある子たちが将来を夢見ることができます」


 クラリッサは真剣に答えた。


「この国の“常識”を変えるのは容易ではないけれど……私も、やってみせます」


 アイリスは資料の束を抱えて言った。


「記録局の内部でも、女性向けの指導資料を整えておくわ。現場に出る前に心構えがあるだけで、だいぶ違うはず」


 セラフィーナは静かに頷いた。


「“女のくせに”という声がまだ消えないなら、その口を閉じさせるほどの知識と実績を身につければいい……私はそう信じてる」


 三人の支えは、マリアベルにとって何よりの心の支えでもあった。


* * *


 やがて王宮の空気にも、目に見えぬ変化が表れはじめた。


 最初のうちは、女性局員が資料室に足を踏み入れるだけで視線が集まっていた。


 だが、今ではその姿に誰も驚かない。女性の姿が執務の場にあるという光景が、少しずつ“当たり前”になりはじめていた。


「資料の要点をまとめたのは、あの若い女官らしいぞ」


「ほう……中々に鋭い指摘だった。内容に無駄がない」


 そんな声が、自然と上がるようになったのだ。


 書記局では、女性の字の美しさと構成力が評価され、財務室では、几帳面で丁寧な計算能力に助けられる場面も増えてきた。


 とある昼下がり。


 マリアベルが廊下を歩いていると、すれ違った若い男官僚がぺこりと頭を下げて言った。


「補佐官、女性の視点で作ってくださった昨季の配属調整案、大変参考になりました。……正直、初めは懐疑的でしたが、今では私自身が見落としていたことに気づけた気がします」


「……ありがとうございます」


 それは派手な変化ではなかったが、確かに――風向きは変わり始めていた。


 王宮の壁の中に吹き込んできた、新しい風。


 マリアベルはそれを肌で感じながら、静かに思った。


(改革は、声高に叫ばずとも、人の中に根づいていく)


 時間はかかる。けれど、それでも歩みを止めなければ、いつかそれは“当たり前”になる。


 そう信じていた進む毎日だった。


* * *


 そして――試験当日。


 木々が色を変え始め、秋の乾いた風がそっと吹く中、王都に設けられた複数の試験会場には、朝早くから多くの女性たちが詰めかけていた。


 緊張に顔をこわばらせながらも、一歩一歩、確かな足取りで会場に向かう彼女たちの姿。


 マリアベルは、その様子を高台から祈るように見守っていた。


 老若、身分もさまざま。

 新しい人生を選びに来た者。

 家庭を顧みられずにいた過去を超えようとする者。

 純粋に学問を愛し、政の場に立ちたいと願う若い娘たち。


 その一人ひとりの表情を、マリアベルは目に焼きつけるように見つめた。


 カザエルが隣に立ち、そっと囁いた。


「……想像していたより、ずっと多いな」


「はい。でも、きっとこれは“当然”なのだと思います」


 彼女は静かに続けた。


「これまで“当たり前には選べなかった”道を、ようやく選べるようになったのですから」


 これまでに彼女が見てきた、学問に秀でながらも「女だから」と制限されていた者たちの姿。


 今、ようやく“選択肢”という光がその手の届くところに現れたのだ。


 (この中の何人が、試験を突破し、新たな未来を手にできるだろう)


 その問いに、確かな答えはなかった。


 だが、今この瞬間だけは――希望が、確かにそこにあった。


 そしてマリアベルの中で、静かに“覚悟”が芽生える。


(私は、ここで止まらない)


(この試験を終えた先に続く道を――もっと、多くの誰かが、当たり前に歩ける時代を)


(その先にこそ、私が目指す“未来”がある)


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