第23話 濡れ衣と真実、信頼という名の盾


 毒殺未遂事件から十日。

 その日、マリアベルは自宅で静養を命じられていた。


 王政事務局の中枢で、低いざわめきが広がっていた。


 ――表向きには「調理手順の過失」とされたが、その背後にあった“確かな悪意”を、政界の誰もが感じ取っていた。


 そして今、次の一手が動いた。


「内部からの告発です。……『マリアベル・クラヴィス補佐官見習いが、制度草案に関して特定の利益団体と癒着していた可能性がある』と」


 監察局の報告を聞いたヴァレンティス宰相は、眉をひそめた。


「証拠は?」


「“匿名の提供者”による複数の文書が提出されました。いずれも、制度構築に関する草案の写しと、その傍らに記された覚え書きです。“見返りとして要職への推薦を確約”という文言が確認されています」


 宰相は、その一枚を手に取った。


 見覚えのある筆跡、けれど何かが“違う”。


「……模写か、あるいは書き写された偽造」


 これは、いわば“公的信頼”への攻撃だった。


「狙いは、“信用”そのものの失墜だな。これは、制度改革の心臓部を撃ちにきている」


* * *


 自宅で報告を受けたマリアベルは、初めて“恐怖”に似た感情を抱いた。


 狙撃でも、毒殺でも揺らがなかった心が、この“文字”による攻撃に微かに震えていた。


(瞬間的なものではなく、仕込んで筆跡まで似せた捏造。制度の記録に“改ざん”が加えられる。……私という存在そのものが、時間をかけてでも歪められようとしている)


「――負けたくないわ」


 口に出したその言葉は、ややかすれていた。


 すると、部屋の扉をノックする音が響き、侍女が入ってきた。


「カザエル王太子殿下がお見舞いにいらしたとのことで、お会い頂ける状態かの確認を頂いております」


 手早く支度をしてもらい、応接室に向かうマリアベル。


 応接室ではカザエル殿下が父・レオンと難しい顔をして座っていた。


 レオンは無言のまま、卓上の文書を一読していたが、やがて低く重い声を落とした。


「筆跡は巧妙だが、政務文書の記録管理の手順に照らせば、これは外部の者による模倣と見て間違いない。……これは、我が家の娘ひとりを陥れるためのものではない。制度そのものの“芯を折りに来ている”」


 その言葉には、父としての感情を抑えた冷静さと、公爵としての警戒があった。


「殿下、制度を守るためには、今後さらに精巧な“仕掛け”が仕組まれるでしょう。……どうか、すでに政の只中にある娘を、“仲間”として扱っていただきたい」


 カザエルは静かに頷いた。


「もちろんです。彼女は、すでに『志を共にする者』ですから」


 カザエルはマリアベルに向き直り話しかけた。


「突然の訪問で申し訳ない失礼しました。……少し、話せますか?」


 マリアベルは驚きながらも、深く礼を取った。


「殿下……。はい、もちろんです」


「“殿下”はやめてくれ。ここでは、同じ志を持つ仲間だ」


 その言葉に、マリアベルの表情がほのかに緩んだ。


「……ありがとうございます」


 カザエルは、机の上の書類を手に取り、数枚をざっと確認した。


「これは精巧な偽造だ。筆跡も、インクの色の差も、“作られた記録”だよ。王家の影が既に動いている。今のところ、仕掛けた者の“意図”は特定できていないが、文書の出所は……某公爵家の傘下文士のものらしい」


「やはり、“改革”が脅威になる者がいるんですね」


 マリアベルの声に、カザエルは頷いた。


「だが、これはチャンスでもある。“公の場”で、真実を証明することができれば、制度そのものの信頼性も高まる」


「――公の場?」


「議会だ。次回の“政策審議会”で、制度草案に関する正当性をあなた自身に説明してもらう。その場で僕が後押しする」


「……審議会で、私が?」


「怖いか?」


 短い沈黙のあと、マリアベルは笑った。


「怖くないと言えば嘘になります。でも、ここで退いたら、制度が潰される。私は……声を届けたい。まだこの制度が、“彼女たち”に届いていないから」


「ならば、共に立とう」


 その言葉は、盟約に似ていた。


* * *


 一方、クラヴィス家の書斎。


 父レオンと母カトリーナは、今回の件を受けて、家の立場としても動きを強めていた。


「事実を歪めて潰す。それが今のやり口だ。……ある意味、最も厄介な手だな」


「でも、うちの娘は、“記録”を残す子よ」


 カトリーナは微笑みながらも、手にした草案の写しを見つめた。


「マリアベルの文書は一貫してる。“どこで、誰と、何を決めたか”。あの子は、証明できる子よ」


「ならば、我々は静かに“後ろ盾”となろう。裁定が下る前に、“真実”の通路を確保しておく」


 それは、娘を信じる者たちの、静かな戦いの始まりでもあった。


* * *


 そして、政策審議会当日。


 王政議場の空気は、冷え切っていた。


 旧来派の議員たちはあからさまな敵意を隠さず、若き補佐官見習いに向けて不穏な視線を送る。


「証拠は出揃っている。補佐官見習いクラヴィス嬢の制度は、“私的利益のための政治的道具”にすぎないのでは?」


 反対派の議員が、嘲るように言った。


 だが、マリアベルは顔色ひとつ変えなかった。


「その写しは、私の手によるものではありません。王宮文書館には、原本が全て保存されております。日付、筆跡、文言の差異、どうぞ比較してご確認ください」


 静かな声が、議場に響いた。


「私は、制度の“公正”を貫くためにこの場に立っています。そして、その証明こそが、この制度の未来の信頼となります」


 会場の空気が、揺れた。


 そして、席の一角からカザエルが立ち上がる。


「我が王家も、制度改革の推進を後押しする。これはマリアベル・クラヴィス一人の声ではない。民の声が、制度を必要としている」


「殿下……!」


 その一言が、風向きを変えた。


* * *


 翌日。


 議会は「文書偽造の可能性が高く、制度の正当性には疑いなし」との見解を発表。


 マリアベルの名誉は回復され、制度は無事存続することとなった。


 だが――


「彼女の側に、“王太子が立った”……」


 その報告に、どこかの貴族の屋敷の一室で、ひとりの男が苦々しい笑みを浮かべた。


「ならば、次は“王家”ごと、包囲しなければな」


 その影が、ゆっくりと次の策を練り始めていた。


* * *


 夜の王宮。


 マリアベルとカザエルは、静かな回廊を歩いていた。


「助けていただいて……ありがとうございました」


「助けたのは僕じゃない。君が、自分を信じ抜いたからだ」


「でも、殿下が手を差し伸べてくださらなければ、きっと私は……」


「僕もまた、“誰かの手”がなければ動けなかった。それが、今の政の仕組みだ」


 マリアベルは、ふと足を止めた。


「……殿下。私は、殿下の力になることができるでしょうか?」


 カザエルも立ち止まり、柔らかく微笑んだ。


「もちろん。君は、すでに“道をつくる人”だ。その道の先が、王家と交差するなら――僕は、迷わずその手を取る」


 二人の視線が、わずかに交錯する。


 その先にある未来を見据えながら。


 夜風が、静かに彼らの背を押していた。

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