第三章
第26話 全面戦争1
マスターの葬儀から2ヶ月が経った。
アラシヤマは客の来ない伽藍堂の店内で、皺によれた資料を見つめる。
それは、『黒衣の王についての記述』と書かれたものであった。
あの日持って帰った二つの書類の内一つはネズミに預けたが、もう一つは提出していない。あのネズミのことだ、アラシヤマがその書類を持っているのは知っているだろう。
それでも何も言って来ないのは黙認か、それとも必要ではない為か。
「少年、それは?」
後ろから声かけたのはミノリ。
アラシヤマに抱きつくように寄りかかる。
「ああ、ミノリさん。あの日の潜入時にね」
そう言って、資料を捲るアラシヤマ。
「そかそかー、あの件は……」
「もう、その話は無しだよ。アイツらは皆殺しにする。それで終わりだ」
それは全くもっての平坦。興奮も失意もなく、当然とばかりに淡々と言葉を発するアラシヤマ。
それを成長と呼ぶべきか、変化と呼ぶべきか。
大切なものを失った少年は、何処までも冷酷に変わった。全てを壊すために、全てに復讐するために。
つまらなさそうにアラシヤマから離れるミノリと入れ替わるように現れたのはアリス。
一緒に見てもいいですか、と隣に座る。
「『黒衣の王』ですか?」
「ああ、なんか気になってね。あの時に持ってきたんだ」
その中に書かれていたのは「黒衣の王」と呼ばれている者についての話。
その記述によると、時代の節目に現れる泡沫持ちであり絶大な力とともに人類を滅ぼさんと動く破壊の使徒。
それでいて、それは世界に繋がる鍵のひとつになっているとの事。
それを読んでアラシヤマの脳裏に浮かんだのはフラメルの意思に居た王を名乗る男。
マスターがクレオパトラに扮していた時に一度だけ邂逅したが、薄いレースカーテン越しの威圧感は今でも覚えている。
「世界を滅ぼす程の相手と戦わなきゃ行けないんですね……」
「本当に滅ぼしてくれるなら、案外身を任せてもいいかもだけどね」
そう言って疲れたように珈琲を啜るアラシヤマを、アリスは寂しげな瞳で見つめる。
彼は変わってしまった。
優しく、控えめだった彼はもう何処にもいない。
いや、もとより彼の本質は壊すことだったのかもしれない。
かのマスターの死は彼の中のそれを暴いただけ。
それでもアリスはアラシヤマに恋焦がれていた。
あの日、アリスを救ってくれたことも。
あの日、秋葉原で取ってくれたキーホルダーも。
全部、忘れられない。
そして同時にアリスは恐れていた。
アラシヤマの中の暴力性を。
それでいて、それを否定することでアラシヤマの心がアリスから離れていくことも恐れている。
アリスは温かい紅茶を啜る。
真剣に、資料を読み解くアラシヤマの横顔を眺める。
アラシヤマの珈琲はもう既に冷えきっていた。
私の能力が真逆であったならば、その珈琲を温めることが出来たかもしれない。
冷やすことしか出来ないアリスは、そんなことを考えた。
◇
ネズミはひとつの資料を眺めていた。
もう既に内容の確認は終わっている。
ただ、思案のためにぼんやりとそれを眺めていた。
「なあ、テンチョー。おかしいと思わないか?」
傍に控えているのはテンチョー。
マスターの後を継ぐようにネズミの右腕として働いている。
「何がですかい?」
資料をまとめながら関心の無さげに返す。
「本当に、ヤツラの目的は人類の殲滅なのか?」
何を言っているんだ、と呆れた様子で言葉を返す。
「そりゃあ、アラハバキなんて言う荒神を呼び出すんだし人類の殲滅でしょうよ」
「まあ、そうなんだが」
なんか、引っかかるんだよな。と、ネズミは思考を捻る。
資料に書いていた内容は当たり障りのないものであった。
内容はとしては二点。
一つ目が、アラハバキの降臨には世界の深部を侵す必要がある。
二つ目が、アラハバキの降臨の際は依代となる人間が必要であり、その人間に憑く形で現れる。
大まかに分けるとそれだけであり、詳しい説明等があるわけではなかった。
つまるところ、具体的な降臨方法や決行日が書かれている訳ではなかったのだ。
「あ、そういえば。魔女の婆さんがボスに話したいことがあるって言ってましたぜ。なんでも、ボスにだけ伝えたい情報があるとかで」
その言葉を聞き、ネズミは泡沫を発動する。
発動とともに部屋に鮮やかな緑の線が走った。
『yggdrasill.com』
何も無い空中を叩き、検索をかける。
対象は現在捕虜として処遇を決めかねている魔女について。
本人は泡沫持ちであり情報を探れない為、その周辺から調べる。
出てきたのは、魔女の行動履歴。
フラメルの意思に加入して、それからの動き。
「よし、魔女に会いに行くぞ」
何かを掴んだネズミはテンチョーに声をかける。
はいよ、とテンチョーは席を立った。
向かうは魔女の元。
悠久の時を生きる不老不死の泡沫持ち。
先日の護家鼠の一件で自ら捕らえられた泡沫持ち。
「魔女は何かを知っている」
そう言ってネズミも席を立った。
◇
それは、鍵のかかった個室。
ギルドが犯罪を犯す泡沫持ちを収容している非正規の監獄。一般人どころか国すらもが存在を知らないその場所に、拘留されている一人の女がいた。
「ああ、そろそろネズミのガキンチョが迎えに来る頃だねぇ」
ぼんやりと、何も無い天井を見つめながら呟くその女はそっと目を瞑り耳を攲てる。
扉についた小口の窓が開く。
「おい、面会者がお出てだ。両手をだせ」
そのまま両手に手錠を嵌められ、そのに連れ出される。
その先は面会室。中ではアクリル板越しにネズミとテンチョーが待っていた。
「おいおい、婆さん。随分な様子だね、ええ?」
「おやおや、か弱い私をこんな所に閉じ込めた男が何の用だい?お前が小さい頃はお菓子やらなんやらやったのに、薄情なクソガキめ」
そう言って毒を吐く魔女出会ったが、その表情はどこか楽しげだった。
「あんたが先代を裏切って出ていった時から情なんて残ってないよ。そんなことよりうちのボスが話がある」
そう言って立ち上がったのはネズミ。
アクリル板に目いっぱい顔を近づけ、魔女に詰寄る。
「さて、聞かせてもらおう。お前が裏切った理由と、そこで得たものを」
それを聞いて鼻で笑う魔女。
「なーに言ってんだいネズミのクソガキめ。私が裏切ったのは楽しくなかったから。私が得たものは刺激。それ以外何も無いよ」
飄々と返す魔女に、ネズミは懐から一枚の写真を取りだした。
色褪せたセピア色の写真。そこに映っていたのは何も変わらない様子の魔女と、一人の男の姿。
「……それは、ずるいよ」
魔女はそう呟いて、視線を落とす。過去を懐かしむようで、今を悲しむようで。
落とした視線の先には年齢に反して若々しい両の手。
「話してもらおうか。何をしてたのか」
「あぁ……聞いて後悔しても知らないからね。そうだね、私がまだギルドに所属していた頃。そこから話をするべきか」
そうして語り出すのはずっと遠い過去の話。
約束と、信念とそれから愛に生きた女の話。
悠久を生きる魔女のほんの一幕。
それは、マスターとテンチョーの先代が生きていた頃に遡る。
何も信じない魔女は、一人の男と出会った。
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