第24話 アラハバキ7
それは彼女からしたら異変であった。
「どうしたのですか?クレオパトラ?」
「いえ、なんでもないわ」
おかしい、確実に何かがおかしい。
ここまで堕ちたならば効くはずである。
「ギルドの情報を吐きなさい」
「……」
なぜ、コイツは何も発さないのか。
見たところ、他の泡沫で保護がかかっている様子もない。
ただ、魅了の泡沫がかかっていない様子もない。
「何も言わないようですが……」
「煩いわね!黙って待ってなさい」
思わずヴラドを怒鳴りつける。
やれやれ、と肩すくめるヴラドに余計に苛立ちが募る。
目を瞑ったまま、何も発さないこの男に段々と殺意すら芽生えてきた。
「なにか話しなさいよ!」
そう言いながら蹴りを入れる。
すんなりと蹴りが入り、後方へと吹き飛ばされる男。
抵抗はなかった、やはり泡沫は効いている。
今一度情報を引き出そうと近寄った時、男から発せられた言葉に背筋が凍える。
『我思う、故に我あり』
何故、今それを発したかはどうだっていい。
言葉の意味なんてのはどうだっていい。
そこにあったのは圧力であった。
圧倒的な力が放つ時特有の、全身に鳥肌が立つような危機感。
倒れた男が、ゆっくりと立ち上がる。
◇
意識が浮上する。思考のまどろみから、段々と現実の表層へと。
自然とそれは口をついて出た。
「『我思う、故に我あり』」
それは恐らく泡沫の言葉であった。
今なら分かる、この泡沫の本質が。
これは、他人に成る力。
だから、本来泡沫が使えないはずはなかったのだ。
「例えば、こんなふうにね?」
マスターの姿がヴラドへと変わる。
今まで後ろで静観していたヴラドだったが、その圧倒的な存在感からクレオパトラの前に出る。
「何を今更!」
先程のやり取りからマスターが変身相手の泡沫を使えないことは分かっていた。
だからこそ、戦闘の得意ではないクレオパトラを前に出したのだった。
今度は、躊躇しない。
初っ端から全力で刃を向ける。
だが、その意思は不意な足元の爆発に阻まれる。
そのまま数メートル転がる身体。
何が起きたか分からない。
新手かと、周囲を見渡すがその気配は無い。
それならば答えは一つだけ。
「まさか!本当は泡沫を使えたのか!?」
マスターは、楽しげに口角を上げる。
「いや、使えるように
その言葉と共にマスターの姿が再度変わる。
そして、そのまま姿が消えたかと思うと背後からの声。ヴラドの背筋に悪寒が走る。
「いやぁ、ごめんねぇ」
やけに軽いその口調に振り向いた瞬間、とてつもない衝撃。吹き飛ばされる時にヴラドが見たのはベストジャケットを着た小太り中年の男。
「常在不在の能力か!」
「ああ、大切なダチの力でねぇ。そういや、三百円返さなきゃいけねぇんだったな」
そう言ってははっと笑うマスター。その時、背後から忍び寄っていたクレオパトラが刃物を突き立てる。
「何を意味のわからないことを!」
だが、それが刺さることは無い。
空振りに終わるその攻撃は、勢いのままにクレオパトラ本人の体制を崩す。
そして、それに追い打ちをかけるように入れられる蹴り。その戦い方は、テンチョーそのもの。
威力も申し分なく、クレオパトラの体は数メートルも吹き飛ばされる。
「ああ、そうだよな。お前らにはわかんねぇだろうよ。それにしても……」
マスターは不思議な程に使いこなせている泡沫に驚きつつも、どこか当然のように感じる。
何にでもなれるその力は、もはや能力と呼ぶには過ぎた力。そう、最早権能といっても差し支えない。
「ああ、そうか」
マスターは気づく。力の先にあるものを、泡沫の存在意義を。
「泡沫はただの力じゃねぇ、試練だったんだ」
マスターは解釈する。
心が壊れた人間には泡沫が発芽する。
もはや人間ではないその心の行き着く先はどこなのか。
泡沫は、そこに至るための筋道である。
「そうか、絶望の先にあったんだ。俺は、
それは、自然と口から漏れ出た言葉であった。
「なん、だと?」
それに酷く反応したのは、ヴラドとクレオパトラの二人。
「まさか、まさか自力の身で成ったというの!?泡沫のその先に、辿り着いたというの!?」
マスターは解釈した。
泡沫は絶望の副産物ではない。
それは、人が自分を取り戻すための痛みである。
痛みを乗越え、自分を取り戻した時。
泡沫持ちは神へと至る。
「いいか、クソ野郎ども!ここからは神罰の時間だ」
変幻の神が猛威を振るう。
◇
「ああ、目覚めたか。だが……ハズレか」
そんな呟きを発したのは横柄に玉座に座る組織の王。外の喧騒を気にする様子もなくただ座っていたが、不意に席を立つ。
周囲には誰もいない。
ただ、空っぽの玉座を前に一礼。
「我が主よ。神に手をかけし不届き者を消してまいります」
玉座は何も応えない。
帰ってくるのは沈黙のみ。
だが、王は満足そうに笑う。
「ああ、我が神が喜んでおられる」
深い夜のような黒衣を翻す。
◇
その凄惨たる光景は、フラメルの意思の者から見れば悲惨であったし、ギルドの面々から見れば喜ばしき光景であっただろう。
それ程までに、マスターは強かった。
血反吐を吐きながら倒れるヴラドに、腹に風穴を空けて絶命するクレオパトラ。
這いつくばり、逃げようとするその姿に声をかける。
「なあ、もう終わりにしようぜ。お前らは全滅して、日常は元通り。そうだろ?」
そう言って、右手を振りかざすマスター。
その手がヴラドの命を絶つために迫る。
その時、世界から色が消えた。
「ずいぶんと……元気がいいようだな」
マスターの右手はヴラドの命を絶つことはなく、それどころかはるか後方に吹き飛ばされる。
そう、腕だけが。
動けなかった。吹き出す血液、止めることはできない。
それは圧倒的な力による圧力。
呼吸は圧迫感により潰され、視界はあまりにもの存在感から色を失う。
神へと成ったマスターすらも太刀打ちできないほどの力の塊。
「かの主。ニコラ・フラメルに王冠を賜いしセフィラが一人。
それは、あまりにも強すぎた。
生物が受容できる知覚を超えている。
「下賤なる神よ、我は汝を屠るために来た」
いつの間にか回復したクレオパトラとヴラドが首を垂れる。
マスターは何とか耐えようと片膝をつく。そして、それがくしくも首を差し出す形になる。
なにも、できない。それは限りなく絶望を与える恐怖であった。
「よくぞ自力でここまで登ってきた。その研鑽は見事なり。だが、主に逆らった為死罪に処す」
黒衣の王が、懐から一本の黒刀を抜き放つ。
ヴラドとクレオパトラは幻視する。処刑台に縛られたマスターが、王のもとに首を垂れる姿を。
爛々と光を反射する黒刀は、さながら血に飢えたギロチンのようで――――マスターの首を両断した。
「無力は、時に罪である」
王は何事もなかったかのように踵を返す。
冷や汗を垂らしながら、小刻みに震えるヴラドとクレオパトラ。彼らの視界には未だ色が戻らない。
響き渡る王の足音。
驚きのまま固まっていたマスターの顔だけが、鈍い音を立てて地面を転がった。
倒れた体から零れ落ちた三枚の百円玉は、赤く、ただ赤く染まった。
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