第二章
第18話 アラハバキ1
全てが、後手に回っている。
それに気がついたネズミは苛立ちながらアボカドワッペーにかぶりつく。
「そろそろ、接触するか……」
なかなか気が進まないながらも、重い腰を上げてインターネットカフェから出た。
刺すような斜光に表情を顰めるも、逃げるようにそそくさと店から離れる。
ふと、思い立ったように足を止めたのは渋谷スクランブル交差点。今は信号が青であり、日本中の人間をここに集めたのではないかと錯覚するほどの密度で人々が行き交う。
そんな交差する人混みの中で立ち尽くす。青信号が点滅を始める。
「3、2、1……ってな」
直後、地面が揺れるほどの爆音が鳴り響く。
その音の元は先程までネズミがいたネットカフェ。
周囲の人間は悲鳴や、驚愕、それぞれの反応を示す。
再度人混みに紛れると、スマートフォンを懐から取り出し、電話を掛ける。
「ああ、もしもし?なんか、狙われててさ。拠点が爆発されたから迎えに来てほしんだけど……ああうん」
気さくな様子で話すその姿は、先ほどの爆発で慌ただしい渋谷の街と真逆の様相である。
ただ、その表情も束の間。不意に諦めたような、悲し気な面持ちに代わる。
「やっぱりいるわ、裏切り者」
とある駅前のネットカフェ。
そこに居たのは
曰く、彼は全知のネズミ。
曰く、彼は全てを操るネズミ。
曰く、彼はこの世界に繋がる道である。
そんなネズミが、動き出した。
◇
何かがあった気もするし、何もなかったような気がする。
それほどまでにあの日のことは曖昧であった。
アリスの泡沫が暴走を始めたのまでは覚えていた。しかし、そのあとはどうなっただろうか。
アラシヤマはぼんやりと考えていた。
「そろそろ起きろ!」
そう言って部屋にずけずけと入ってくるのは、ミノリ。
「ああ、今起きます」
時刻は午前11時を回っており、もう昼に差し掛かる程。
「まったく、さいきんの少年はお寝坊だねー。あんまり起きてこないとお姉さんが襲っちゃうぞ?」
獣のようにぎらついた瞳をちらつかせる彼女に、慌ててベットから飛び出た。
そういえば、と言って話し出したのはミノリ。
「今日ネズミさんが来るってさ」
「え?」
ついでのように出された情報に体が固まる。
何でも知っている男であり、「ギルド」のボスである謎の男。
そしておそらく、アラシヤマがここに来ることになった経緯の裏にあるナニカを知っている。
「大丈夫だよー。ふつうのお兄さんだから」
ミノリはケタケタと笑った。
アラシヤマの思案がまとまらないままにリビングへとつく。
そこに既にいたのはアリス。一人で静かに小説を読んでいたがアラシヤマに気が付き顔をあげる。
「あ……おはようございます」
どこかよそよそしいのはあの日以来。
アリスの暴走による負い目か、それ以外か。
あれほどまでに慕っていてくれていた少女の心は、どこか遠い所へ行っていた。
「あ、うん。……おはよう」
アラシヤマの方もぎこちない返事を返す。
それを静観していたミノリが、今日もダメか、とため息をついた。
「おっはよー。なになに喧嘩でもしたの?仲良くしてよー、おじさん困っちゃうから」
「おい、お前。どう見ても違うだろ、この状況……」
不意に現れたのはテンチョー。相も変わらず脊髄反射で出てきたような軽い言葉をペラペラと発する。
そして、その後ろには呆れたような様子のマスターがいた。
「おお!マスターが来たってことは、ネズミさん来たの!?」
それを見てはしゃいだのはミノリであった。
いつものお姉さん然としている様子ではなく、まるで少女のような反応にアリスとアラシヤマは驚きを隠せない。
「はは、みっちゃんは相変わらずボスが好きだね」
テンチョーはまるで幼い子供を見るようにミノリを見ていた。
「ああ、来てるよ」
その声が聞こえたのはマスターの後ろから。
そして現れたのは小柄な男。
身長は165センチほどで、ぶかぶかのぼろいロングコートと目元まである長い前髪。ずっと室内に引きこもっていたのが見て取れるほど不健康に青白かった。
不思議な感覚だ、とアラシヤマは思った。
一見浮浪者のようなその姿には不気味さはなく、どこか懐かしいような親しみさえも感じる。
「うわあ!ネズミさん久しぶり!」
はしゃいだ様子のミノリに、苦笑いで応える。
「相変わらず、元気そうで何よりだよミノリ」
そして、と枝のようなか細い指先を順番にアリスとアラシヤマに向ける。
「アリスとタビトだな。よろしく頼む」
それはアラシヤマの想像以上に優しげであったし、安心感があった。
別に何がといえるわけではないがその言葉には身を委ねたくなるような心地の良い響きがあった。
「まずは、挨拶だな。俺は新宿ネズミ。世間じゃ何でも知ってるだの、全知だの言われてるが、その実は何も知らないただの男だよ。それでは改めて俺の口から二人を歓迎しよう。ようこそ、『ギルド』へ」
キザなセリフと共にかかっと笑うその様に、アラシヤマとアリスの心が揺れた。
◇
「さて、タビト。いったんお前はこちらで預かることにする」
話も落ち着いてきたころ、そろそろ本題をと切り出した内容がそれであった。
アラシヤマはその発言に驚くが、周りの反応は薄い。
そして気づく、このことが知らされていなかったのはアラシヤマだけだったのだと。
「そんな顔するな。ずっと引き離そうってわけじゃない。タビトに頼みたい仕事があってな」
そう言って話し出すのは、これからの事。
曰く、これからのためにアラシヤマを一度ネズミの元で預かるとのこと。それに伴いネズミの直下の指揮でマスターと共に特殊な任務に当たることになるとの事。
「てなわけで、早速来てもらおう。色々話しておきたい事もあるからな」
「あ、あの……聞いてもいいですか?」
それに恐る恐る声上げたのはアリスであった。
ずっと暗い表情をしていた彼女が、その場の視線に萎縮しながら言う。
「また、アラシヤマさんは危ないことするんですか?」
それを聞いてアラシヤマが一番に感じたのは、安堵であった。
前回の任務以来、殆ど会話を交わしていないアリス。 それは、先日の一件で殺すことを強要して嫌われているからだと思っていたし、それ故にもう二度と彼女から好かれることは無いと思っていた。
ただ、接し方が分からなかっただけなのかもしれない。そう考えた。
だが最初にそんなことを思うのは、どこまでも利己的な思考であることにはアラシヤマ自身では気づいていない。
壊れていることは自覚していない。
「どんな任務でも大丈夫だよ。安心して、すぐ帰ってくるから」
こともなげに言う。
いや、実際に気にしてないのだ。傷つくかもしれない、一生癒えぬ大怪我を負うかもしれない、もっと言えば死ぬかもしれない事など。
だから、アラシヤマは何度だって言えるのだ。
「大丈夫。マスターもついてくれるんだしね」
強がりでは無い。本心からそう思っている。おそらく死が訪れるその時までその考えが消えることは無いだろう。
「そう、ですか……。ちゃんと帰ってきてくださいね。約束ですよ?」
口ではそういいつつも、アラシヤマの言葉ではアリスの不安を払拭することは出来なかった。言い知れぬ不安を抱えたまま、本当は引き止めたい心を抑えつつも見送る。
アリスの不安は拭えない。
「ああ、約束しよう」
アラシヤマの言葉が、余りにも軽く聞こえたから。
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