新人局員リリアナの初任者研修記録

第5話

 石畳を踏みしめる靴音が、朝の澄んだ空気に高く響く。王都中心部、王宮の裾にそびえる中央議会庁舎。白灰色の石で築かれたその建物は、幾度の政変と歴史の重みによってなお威厳を失わず、まさに王都の守護者としての風格をもって聳えていた。


 今日、この由緒ある建物の一角にて、中央議会総務局の入局式が行われる。


 リリアナは、緊張にやや強張った表情を隠すことなく、重厚な扉をくぐった。正面ホールの天井は高く、漆黒の鉄で縁取られたアーチの窓から、朝の光が斜めに差し込んでいる。光の筋が回折して床の石に映し出す模様は中世文字による一文、『汝、礎たれ』。誰もが国家平穏のために身を粉にして働くのだと、自然に背筋を伸ばす。



 中央議会庁舎の正面大階段を登りきると、天井高くそびえるアーチの中央に、七つの柱の紋章が刻まれている。それはこの国の統治を担う七部局、すなわち「七支柱しちしちゅう」を象徴する、中央議会の紋章である。


七支柱とは、行政の中枢を担う「総務柱」、法を司る「法務柱」、国の財布を預かる「財務柱」、防衛を担う「軍務柱」、情報と諜報を扱う「情報柱」、国民生活を支える「民政柱」、そして国際関係を統括する「外務柱」の七部局を指す。この七つの柱が国家の機能を支え、その均衡と相互監視によって王国は安定して運営されている。


各局の長は「柱官(ちゅうかん)」と呼ばれ、議会における実権を握る国政議会議員でもある。入局式で新人たちが誓いを立てるのは、この七柱への忠誠である。




 会場にはすでに数十名の新入局員が集まりつつあった。皆、名門出身か、あるいは各地方都市の王立大学を首席で卒業した秀才たちだ。一様に洗練された身なりをしているが、入局式らしく漂う空気は張り詰めている。


 そっと隣の人物に目を向けると、濃紺のスーツに身を包んだ長身の女性がじっと前を見据えている。涼しげな眼差しと、一本軸が定まった真っすぐな背筋。軽く挨拶するのも気後れして、リリアナは静かに前に向き直った。これらの同僚の中のだれと一緒に仕事をすることになるのだろうかと思いを馳せる。



やがて、式典の開始を告げる鐘が三度、厳かに鳴り響いた。


 登壇したのは国政議会議長。銀髪の老紳士で、文民の証である黒のローブ準礼装が体に馴染んでいる。彼は一人一人を見渡すようにゆっくりと視線を巡らせると、口を開いた。


「諸君。今日より君たちは、国家の理を紡ぐ一員として歩みを始める。才覚はもちろん、心根と誠実さが問われる場だ。汝、礎たれ。国家平穏のため如何なる務めをも果たす者を、議会は歓迎する。」


 もの静かだが芯のある声に、皆自然と襟を正した。



 式典が終わって新入局員たちはホールを後にし、石造りの廊下を抜けた先の大講堂へと集められた。

 現れたのは、軍人然とした姿の長身の女性。深緑の上着に金属製の階級徽章を胸に着け、黒の乗馬ブーツが床を打つたび、カツン、カツンと鋭い音が響く。濃茶の髪は短く刈り揃えられ、瞳は新入局員たちを照準に合わせた。

 凛とした声が、広々とした講堂の空気をぴんと張り詰めさせる。


 「これより、中央議会総務局における初期導入研修を開始する。私語は一切厳禁。では整列。」


 一瞬のためらいの後、新入局員たちはそれぞれに振られた個人識別番号順に整列した。


 「貴様らは、貴族であろうと平民であろうと今日から“局員”である。国家に仕える者として、すべて平等に指導する。私の名はアグリィ・ユベール、総務局所属。初期教育指導官だ。」


 誰も、息を呑んだまま口を開こうとしなかった。


 「まずは基本の礼儀から。中央議会における敬礼は、無駄を削ぎ、理に適うものとする。形式がすべて。個を捨てよ。」


 ユベール指導官が見せた礼の所作は、簡潔そのものだった。両手を揃えて体の横に置き、背筋を正して、深く一礼。ただそれだけ。けれどその一連の動作は一点の淀みなく迷いなく。視線、角度、時間にまで厳格な型がある。


 「これを、全員揃うまで繰り返す。遅滞なく、角度を誤らなくなるまで何度でもだ。」


 一同、驚きの色を隠せなかった。だが命令は絶対のようで、平民出身らしき者たちに動揺が走ったのが分かった。礼儀作法などは、教育機関でも習わない。身の処し方を重視するのは貴族の世界で、貴族子女は礼儀作法をそれぞれの実家で賄う。平民 は、それに食らいつくために実学を必死に磨いてきたのだ、礼の正しいやり方など不得手分野である。ここでも不文律で貴族が優遇されるのかという不満の眼差しを、リリアナも感じとった。


 だが、愚痴をこぼす暇もない。


「礼!」


 カンッ。




 何の音かと恐る恐る顔を上げる。指導官が手にする赤い杖が大理石の床を叩いたのだった。

 最初の一回だった。こんな簡単なこと、と余裕を見せて貴族出身の子息が軽く一礼するのを指導官は見逃さなかったというわけだ。


 「貴様、名は。」


 「はい、ハロルド伯爵家次男イゼ…っ!」

 

 はたして名乗りの途中の貴族子息の目の前に、赤い指導杖が振りかざされる。


「私は何と言った?」

「名は、と…」

「耳は聞こえているようだな。貴様は局員だ、家の名ではない、貴様の名を答えよ。これより家の名を振りかざす者は特別訓練プログラムの対象者とする。片時も忘れるな、家の名を語るのはそれが『国益に利する場合』のみだ。」


 一気に講堂内の緊張度が上がる。



「貴様の礼は“王族に仕える者の姿”か?その膝は何だ。礼は、誠実さを形にするもの。形を崩せば、中身まで軽く見られる。やり直しだ、全員初めから!」


 「は、はいっ!」


 あちこちから息を飲む音がした。リリアナも、思わず拳を握り締める。


 貴族としてそれなりに厳しい礼儀作法は習ってきたつもりだった。けれどそれは「見栄えを整えるための美しさ」であって、「職務に必要な誠実さ」を身につけるためではなかった。


 それから数十分にわたり、礼の訓練は続いた。


 背中を叩かれる者、呼吸が乱れやり直しを命じられる者、足を揃えて立つことすらできず咎められる者。

 講堂は、静寂と靴音、そしてユベール指導官の指導の声が一時も緩まることなく厳格に響く。







 ようやく全員が揃って礼を終えたとき、誰もが額に汗を滲ませていた。


 「次に移る。発声。」


 講義は続く。挨拶一つ、名乗りの順番、上官とのやりとりにおける語尾の扱いまで、事細かに規定がある。

 たとえば「よろしくお願いいたします」は、相手が民間か上官かで変化し、「精励いたします」「任に尽くします」と使い分ける。


 そして遂に、研修一日目のプログラム終了と告げられる。その時に、翌日以降の予定表を配る局員に油断して発した一言が、リリアナにも試練をもたらす。


 「お疲れ様でし」


 「それは」


 ユベール指導官の氷のように鋭い声にリリアナは肩を跳ね上げる。


 「対等の関係に使う言葉だ、二度と上官に向かって使うな。」

 「申し訳ありません。精励いたします。」


 リリアナは、まさに先ほど見に叩きこまれたばかりの立礼で答える。屈辱ではなかった。腹立たしさもない。なぜ屈辱と感じるのか、礼儀指導中に考えたからだ。

 貴族子女は生まれてから今日にいたるまで、高い門塀に守られ傅かれて育てられてきた。魔法学院での生活ですら、衣食住の世話を焼かれメイドやポーターが敬語で接することを当然として暮らしてきた。その貴族子女としての矜持が却って驕りとなって表に出てくるのだ。礼儀指導の終盤になっても指導杖を向けられたのは、殆どが貴族出身の者だった。

 リリアナは今、己が新人局員としてこの場に立っていることを強烈に自覚した。


 「礎は均されてこそ。初心を忘れるなよ。」


 ユベール指導官の言葉に、リリアナは己の甘さを強く悔いた。


 この日一日礼儀と所作、言葉遣いを徹底的に叩き込まれた新人たちは、終わるころには誰一人として朝の優雅さも気高さも保ってはいなかった。翌日の予定を確認しながらげっそりと帰路に就く。

 リリアナも、疲れ果ててずっしりと重い体を引きずるようにして講堂の出入り口へ向かう。


 そこで、リリアナはゆっくりと一呼吸ついた。



(…これくらいで、音を上げるなんてしないわ!)



 リリアナは顔を上げる。両手を思い切り上に伸ばして丸まった背中をぐいっと伸ばした。


 礎は俯かない。

 俯く暇などないのだ。


 リリアナは胸を張ってみる。今日の自分は、今の自分に出来る限りを尽くした。


(よし、明日また朝から動けるように、いっぱい食べて早く寝よう。今はこれだけだわ。)


 そしてリリアナは、背筋を伸ばして帰路についた。




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