第1章 トラキアの密約 8

 「本当は、貴方が直接、サフィーネに頼むのが一番筋が通っているんだけど、頼まれれたサフィーネも妙案が有るとは限らないから、仕方が無い!ここはあたしが一肌脱いであげる」

 「お、おお!ルフィアがその服を全部、脱いで呉れるのか?」

 「たわけ」

 ルフィアは、手元に有ったマドラーで、マクシミヌスの頭を軽く叩いた。

 「貴方と何年付き合っていると思ってるの?どうせ、貴方は今日が初対面のルフィアに、厚かましい事が言えない事は分かっいるわ。それは口下手くちべた以前の問題でしょう?」

 「流石は、俺が惚れ込んだルフィアだ!きっと何か良策が有るんだな?」

 それまで困惑していたマクシミヌスの顔が、一瞬で明るく成った。

 「貴方に対して、馬鹿、あほ、間抜け、たわけって言うのには飽きたの。だから、暫くは言わない様にしてあげる。その代わり・・・」

 「その代わり?」

 「その代わり、サフィーネを大切に扱ってね。そして彼女を全力で守って欲しいの」

 「勿論だとも!仮初かりそめにしても俺の許嫁いいなづけだし、あれだけの演技力と賢さを備えた娘を、俺が粗末に扱うものか!」

 「まあ、そこは信じているんだけどね」

 ルフィアはそう言うと、支配人のガラシアノスを呼んだ。

 「そろそろ頃合いね。奥の部屋に待機している重要人物を、ここに連れて来て頂戴」

 「かしこまりました」

 「重要人物だと?」


 ガラシアノスが連れて来た人物を見て、マクシミヌスは思わず「アッ!」と声を上げてしまった。

 「サフィーネ?」

 「マクシミヌス様、先程はお屋敷にお招き戴き、有難うございました」

 「君は、俺の館の客間にいる筈だが・・・」

 「あたしがこっそり、ここに呼んで置いたのよ」

 ルフィアは、ふふふと含み笑いをした。

 「マクシミヌス、あんたも一応は男だから、ルフィアの部屋に忍び込まないとも限らないからね」

 「ば、馬鹿な!!!」

 「冗談よ。ホント、マクシミヌスを揶揄からかうのは楽しくて仕方が無いわ。きっと、ラーマクリオスもその楽しみ方に気が付いた筈だわ」

 「らん世話じゃ!」

 二人して俺を馬鹿にしやがって!

 その内、ギャフンと言う目に逢わせてやらねば!

 

 「それよりサフィーネ、君の様な清純な娘さんが、こんなアバズレの店に出入りをしてはいけない!」

 「ちょっと~、マクシミヌス!それ、あたしへの仕返しの積り?」

 ルフィアは、マクシミヌスの太腿を思い切りつねった。

 「痛いよ、ルフィア!これは言葉の綾だよ、単なる言葉の綾!」

 マクシミヌスは、自分の太腿をさすりながら、サフィーネの方を見た。

 「マクシミヌス様からわたくしにお願い事が有る筈だと、ルフィアさんに言われてこちらに参りましたが、一体、どの様なお願い事なのでしょう?」

 「それはだな・・・」

 「良いのよ、マクシミヌスは無理しなくても」

 「実はね、サフィーネちゃん」

 「あのう、マクシミヌス様のお願い事とは、若しかしてわたくしの祖父との面会の件でしょうか?」

 「おお、流石はサフィーネちゃん!察しが早い」

 この話の流れだと、この二人に事前の打ち合わせは無かった様だ。

 だとするとルフィアは、本気で俺がサフィーネの部屋に夜這いをすると疑っていたのか?

 まさかな!


 「そのお願い事なら簡単に叶います」

 「簡単に叶うの?サフィーネちゃん!」

 「ええ、わたくしは週に1回、祖父への差し入れを蟄居先に持って行く事が許されています。そしてその差し入れは従者が持って、わたくしと一緒に入りますので、マクシミヌス様がその従者に成り済ますのです」

 「俺に、君の従者をしろと?」

 「そうです。今度はマクシミヌス様が演技をなさる番ですわ。ほほほ」

 「ほほほって、おい、ルフィア、何とか言って呉れ!」

 「それは名案だわ」


 その日は朝から雲が低く立ち込めていて、今にも雨粒が落ちて来ても可笑しく無い天候だった。

 マクシミヌスは従者の衣装を着て、ルフィアの後ろから荷物を抱えて付き従っていた。

 マクシミヌスは、ルフィアにも一緒に来て欲しい旨を嘆願したのだが、「化粧をしている従者なんて怪し過ぎるでしょう?」と一蹴されてしまったのだ。

 ルフィアが化粧を落とせば良いだけの問題に思えたが、マクシミヌスはそれを言う勇気を持ち合わせていなかった。

 「マクシミヌス様、もう少しで祖父の邸宅に到着します。それにしましてもマクシミヌス様の従者姿は凛々りりしくて素敵ですわ」

 「そ、そうか?」

 マクシミヌスは、サフィーネに乗せられているだけの様な気がしたが、兎に角、自分はサフィーネを大切に扱わなければ成らない事を思い出していた。

 「ベリガウス殿の邸宅は、随分とエディルネ市の外れに有るんだな」

 「ええ、祖父は蟄居中の身の上ですから」

 「成程な。だが次回は、邸宅の近くまでは、俺の馬車で来る事にしよう。いくさの最中だと、気が張っているからどんな強行軍にも耐えられるのだが、その分、戦が終われば只のヘタレに成ってしまうんだ」

 「まあ、天下の大英雄のマクシミヌス様から、そんなお言葉が聞けるなんて!とても可愛らしいですわ」

 サフィーネはそう言ってから、ふふふと笑った。

 サフィーネとは18歳も年が違うから、世代間の隙き間が有って当然なのだが、どうも自分の方が調子が狂ってしまうみたいだと、マクシミヌスは思った。


 「ベリガウス殿は領主を引かれたから収入が無く成った筈だが、追放したダンダリオスが金銭的な面倒を見ているのかい?」

 「まさか!ダンダリオスは強欲のかたまりみたいな男ですよ。幽閉こそすれ、金銭的な支援などする筈も有りません」

 「じゃあ、ベリガウス殿や君はどうやって生計を?」

 ルフィアが、サフィーネを守って欲しいと言ったのは、この事だったのか!

 ベリガウス殿の一族が何人いるかのかは知らないが、彼らに恥ずかしく無い生活をさせる事など、今の俺に取っては容易たやすい事なので、マクシミヌスは彼らの支援を行う事をひそかに決めた。

 「わたくしが幼い頃に亡くなった母方の一族は、歴代、医者を営む家系で、わたくしの叔父はあの有名なガレノス師とミュシア地方のペルガモン市で一緒に医学を研究していたのです」

 「君は幼くして母上を亡くしたのか?嫌な事を思い出させて済まなかった。だが君は今、ガレノスと言ったか?」

 「ええ、医聖として、ローマ帝国の領域内だけでは無く、エジプトや小アジアでも有名なあのガレノス師です」

 「ほう、それは驚きだ!」

 「ガレノス師はギリシャ医学がその基盤ですが、わたくしの母の家系は密教的な霊感から得た医学の知識なので、ガレノス師は年下の叔父から特殊な啓発を受けたらしくて、何かと可愛がって呉れたのです」

 サフィーネは一気に喋ったので、恐らくその話は嘘では無いだろう。

 だが、密教的な霊感から得た医学の知識とは?

 マクシミヌスは、何か狐にでもつまままれた様な気分に成った。

 「その叔父が、エディルネ市に薬屋を開店していて、その収益でわたくし達は何とか暮らしています」

 う~ん、ガレノスに啓発を与えたのが、サフィーネの叔父上か?

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