第22話

 加藤さんのことが気になったのは加藤さんが学校に来なくなった頃だった。来なくなって初めて意識するようになったのは山路自身でも不思議だった。加藤さんがいつも一緒にいる葛西さんはいつの華やかな空気を醸し出している。それと対照的な雰囲気の加藤さんと仲がいいのはちょっと不思議だった。

「ちゃんとした女子」

 入学以来、加藤さんが適当に振る舞うことは見たことがなかった。課題を提出しないところは見たことがない。きっと、どんな些細なことにも正面から向き合うような性格なのだろうと思った。ただ、その性格は相手の気持ちを忖度しながら、相手が言って欲しいことを求めて会話をする思春期にはウケなかった。

「加藤さんって優等生だから、ちょっとしんどいかなぁ」

「加藤さんに任せておいたら何でもしてくれるから、全部のせでいいんじゃない」

 彼女の名前と共に囁かれる言葉は一定の悪意を含んでいた。そんな彼女に好意を持つ男子もいたが、それを表立って表明するほどの大人は少なかった。

 山路にとっても加藤さんは恋愛の対象ではなかった。何でも真面目に取り組む女子として見ていた。それに放課後はほとんどグラウンドにいるのだから、放課後の彼女の姿を意識したこともなかった。いつの間にか加藤さんには「向井に贔屓されてる」という形容が使われるようになっていた。

「なんか、中学の時とおんなじだなぁ」

 高校生になれば人間関係も成熟すると思っていた山路にとって、クラスメイトとの関係は面倒だった。だが、自分自身がターゲットになるのは避けたい。山路は中学時代と同じように「部活に夢中な男子」「ちょっと面白いことを言う男子」という道化を演じることで切り抜けることにした。ただ、この年代の女子は道化が好きらしい。好意を寄せてくれる女子も何人か現れたが、本当の自分ではない姿に好意を持たれても心が動くことはなかった。


 やっと一年生が終わろうとする頃、加藤さんが学校を休んだ。皆勤だった彼女が学校に来ないと逆に目立ってしまう。

「加藤さんも学校を休むんだ」

 初めて葛西さんに話しかけた時、彼女の顔は冴えなかった。

「うん。ひょっとすると……」

 そう言うと教室を出て行った。

 加藤さんが週に一度から週に二、三度、そして全く登校しなくなるまでそんなに時間はかからなかった。葛西さんの後ろの席はいつもガランとしていて主人を待つ忠犬のようにじっと動かなかった。

 気がつくと、葛西さんが纏っていた煌びやかな空気は、どこかに飛んでいってしまったようだった。

「葛西は今日も元気か?」

 山路はそんな声をかけるのが日課になっていた。

「加藤はどうしてる?」

「元気にしてるよ。ただ、学校に来ないだけ。特別なことはないよ」

 葛西は適当なことをいう人ではないと山路は思っていた。

「じゃ、会ってるんだ?」

「うん、週に一度は顔を見にいってるよ。向井のお使いもしてるしね」

 加藤は葛西を通じて学校と繋がっている。山路は葛西を通じて加藤を理解していった。


 不思議な転校生が来てから一ヶ月ほどして、葛西から加藤が学校に来るかもしれないと聞いた。山路は朝から緊張していた。加藤の席は右隣にある。加藤が来た時、どんな顔をして彼女を迎えればいいのだろう。気がつかないふりをして授業を聞いていればいいのだろうか。もし、自分が久しぶりに登校したとして、どんな表情で迎えられたいだろうか。そう思うと「気づかないふり」の選択肢はないと思った。だが、わざとらしく迎えられるのは加藤も望んでいないだろう。誰かが転校して行く時に渡される色紙。名前と顔が一致しないクラスメイトが「いつまでも友達でいよう」と書いているのを見つけた時。どんな顔で受け取ればいいのか、それを受け取らない選択肢はないのか……。

 山路の頭の中には様々な妄想が渦巻いた。授業が始まると、入り口のドアが開く音に聴覚が集中しているのがわかる。ドアの方は見ない。でも、加藤が入ってきたことは敏感に感じたい。

 三時間目が始まってすぐ、ドアが静かに開けられるのを感じた。山路はそっとドアの方を見る。加藤が足音を立てないように静かに入ってきたのがわかった。山路は軽く手を上げた。彼女の顔を見ると自然と笑みが浮かんだ。だが、その笑顔が引き攣ったものになっているかもしれないと思うと、すぐに真顔にもどって黒板を見ているふりをした。

「授業に集中している」

 山路は呪文のように唱えた。

 加藤さんが学校に来た数日後、部活に行こうとしていと後ろから呼び止める声がした。

「彩野と四人で宵山に行かない?」

「加藤さんと葛西ともう一人は?」

「えっと、上林くん」

「了解」

 山路は思わず了承の返事をしてしまった。これは上林と葛西のデートに付き合わされるのだとすぐにわかったのだが、そっさに上林のことをもっと知りたいという気持ちが湧いてきた。もともと葛西が一番前の席を選んだ時から、彼女の気持ちわかっていた。加藤の仲のいい葛西のことを応援した気持ちもあったが、加藤と一緒に祇園祭に行けることのほうが山路の心を動かした。山路は気のない返事をすることで自分の気持ちを誤魔化そうとしたのだが、あまりうまくできなかったと思う。多分、葛西は気付いていただろう。


 祇園祭の宵山の日、初めて上林と話した。

「上林くんって年上だって聞いたんですけど」

 運動部に所属しているとどうしても年齢で上下関係を感じてしまう。

「今年で十九」

 上林は誤魔化すこともなく答えた。

「でも、同じクラスならタメだから、敬語はやめてくれ」

「上林がよければ」

 それ以降、葛西達と合流するまで色々と話すことができた。たった十五分でずっと前から知っている親友のような気がした。

「来てよかった」

 山路は加藤のことをもっと知りたいと思って来たのだが、結局、上林と仲良くなれたことが収穫だと感じていた。だから、上林が入院していると聞いた時は驚いた。少し顔色は悪いと思っていたが、急に学校に来なくなるとは思っていなかったからだ。上林から入院しているとメールが来た時、少しでも早くお見舞いに行きたいと思い葛西に連絡した。一人で行くほどの強さはなかったからだ。補習授業を受けている時も、部活動でボールを追いかけている時も、上林のことが喉に刺さった魚の骨のように、いつも鈍い痛みを心に与えていた。少しでも早く、彼の病気が大したことではないと確認したかった。

 だが、結局、それは叶わなかった。見舞いに行くことで喉に刺さった骨は、心に刺さる杭に変わってしまった。


 数日後、加藤から相談したいことがあると言われた時、何か嫌な予感がした。

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