その翡翠き彷徨い【第34話 聖歌】

七海ポルカ

第1話




 遠くからうっすらと鐘の音が聞こえて来る。

 

 向こうの山の頂きに森に囲まれるようにしてそびえ立つサンゴール王城――隣接するサンゴール大礼拝堂の鐘だ。


 いつもより長く打ち鳴らされる鐘は、月に一度必ず行われる王家の人間も臨席する大礼拝式の儀が終了したことを伝えていた。

 これは王室の伝統であり、必ず王家の全員が出席することと取り決められていた。

 表舞台に出て来ないあの第二王子でさえこれには必ず出て来るということだから、さぞかしその規律は厳密に守られているのだろう。

 魔術学院の神学講義室で自主勉強をしていた院生イズレン・ウィルナートは目の前で分厚い神学書を涼しい表情で捲っている、この学院内では一種毛色の違う後輩である友を見つめた。

 ふと、気づいたのである。


 ……そういえば彼もその、いと貴き王家の一員であったではないか。



「……なあ、メリク……」


「ん?」

 メリクは顔を上げた。

 その翡翠の瞳はまだあどけない光があって、イズレンは苦笑する。


 この魔術学院に女王の養子にも等しい男が入学して来ると聞いた時は、随分学院内が好奇と期待に騒いだものだが、メリクはというとそんな好奇の眼はどこ吹く風と、ひたすら勉学に専念して一学生の身分にすぐ馴染んでしまった。


 サンゴールの王家と言えば【魔眼まがん】を所有する第二王子リュティスを筆頭に、竜の血脈と高い魔統の伝説に飾られており、サンゴールの民には強く畏れられているものだが……メリクはイズレンの見た限りいたって普通の子だった。

 血は繋がっていないのだから当然かもしれないが女王の養子格、そしてあのリュティス王子から唯一魔法の手ほどきを受けたという特別な存在でありながら……。



「お前ってさあ……確か一応王家の人間なんだよな」



 一応、と付けて言った友人にメリクは軽く笑ったようだ。イズレンは今では友が仰々しく王家に関わる者として扱われるより、こうして普通に接した方が彼自身安堵するのだということをすでに知っている。


「そういえば月一の大礼拝式にはお前出ないでいいのか?」


 メリクは遠くに見える石の巨城を見つめたままふと、自分でも一瞬何かを思い出すような表情をした。

「慣例なんだろ? あの第二王子だってこれには顔出してるって聞いたぜ。人嫌いで有名なのにな」

 メリクの表情が僅かに困ったような、咎めるような顔に変わったのにイズレンは軽く詫びるような仕草をした。


 メリクの魔術の師である第二王子リュティスがどんな人間かは、イズレンにはよく分からないのだが、メリク自身は強く慕っているらしい。それはとても伝わって来る。

【魔眼】はサンゴールでは曰く付きのものだから、他から聞こえて来る雑音に、いちいち目くじらを立てても仕方ないということは理解しているようだが、友であるイズレンが自分の師を悪く言うような言葉を口にすることを、メリクは好まなかった。


「ごめんごめん。もう言わないよ。ただ不思議に思ってさ。女王陛下はそういうことであんまりお前を外したりしない方だろ?」


 周囲は出自が虚ろなメリクに対して色々言うらしいが、メリクの話を聞くと昔からそういう陰口に耳を貸さず自分を庇護してくれていたのは女王アミアカルバだったという。


 メリクが魔術学院の寮に入った今でも、彼は週に一度王城に戻って必ず女王や王女ミルグレンと夕食を共にする約束をしている。血の繋がらない自分の庇護する少年を、女王アミアカルバは今でも自分の実の子であるミルグレンと何ら分け隔つことなく扱っているのだ。

 そういう女王がメリクに対して「お前は王家の人間ではないから礼拝に出るな」などと言うとは、イズレンには考えられなかったのだ。となると、何か特別な事情があるのかと考えたのである。


「ちょっと不思議に思ってさ」


 メリクは微笑んだ。

「礼拝には一度も出た事無いんだ。城に来てから」

「そうなのか?」

 ちょっと意外そうな声を返す。

「一度も?」

「うん」

「根本的なことを聞くが……何で?」


「……何でだったかな……」


 メリクはもう一度サンゴール城を見つめた。


 広い石の城。

 壁に多く彫られた竜の紋、彫像。

 幼い頃はそれを怖いと思っていたこともある。


「……なんとなく、そんな感じで来て」


「はぁ?」


「ほら、僕は元々辺境の村からサンゴールに来たから。いきなり王宮に入って最初は色々戸惑いもあったんだ。それで女王陛下が気を遣って下さったんだよ。月一の大礼拝式には王宮の偉い方々大集合だし。その席には僕の王宮入城に大反対だった元老院の方々もいるから……慣れるまでは嫌な思いまでして、出ないでいいということにしていただいたんだ」


「うん」


「それでまぁ、何となく今日まで来てしまったというか、出ないことが習慣になってしまって。女王陛下はいつでも出ていいって言って下さっているんだけど。……深い理由はないよ」


 イズレンは苦笑した。メリクらしいと思ったのだ。

「おまえなあ……ほんっとサンゴール王宮で育ったのに信じられんくらいのんびりしてるよなぁ。ま、それだけ大物なんだろうが」


 友はその話はそこで納得し、笑いながら手元の本に視線を戻したのだった。


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