第十九章 ― 傷跡と記憶



「樹…どうしたの? どうして血が出てるの?」

夢は心配そうに目を大きく見開き、樹のもとへ駆け寄って、ぎゅっと手を握った。


樹はしばらく黙っていた。言い訳を考えようとも思ったが…彼女の目を見つめると、真実を話すことにした。

「ライアンのこと、覚えてる? 帰り道で偶然会ってさ…。それで…あいつ、退学になったことをまだ根に持ってたんだ。」


夢は衝撃を受けた。こんなことが起こるなんて、思いもしなかった。

彼女は樹の手を離し、急いで自分の部屋へ向かう。戻ってくると、手には医療キットが握られていた。


「一体何様のつもりなの? こんな時に警察はどこなのよ!? もう…腹が立つ!」

夢はそう言いながら、樹の傷を拭き、怒りをこらえた。


樹は思わず小さく笑った。

「なに? どうして笑ってるの?」夢は眉をひそめて尋ねた。

「いや…君がこんなに怒ってるの、初めて見たからさ。」樹は微笑んだ。


夢は一瞬顔を赤らめ、視線をそらして小さく呟いた。

「だって…心配なんだもん。あなたのこと…。」


その言葉は、樹の胸に深く刺さった。母の姿が頭に浮かび――彼は考えるより先に、夢を強く抱きしめた。

「心配かけてごめん。」

まるで離したら消えてしまいそうなほど、彼は強く抱きしめ続けた。


夢は一瞬驚いたが、次の瞬間には力を込めて抱き返した。



---


数分後、夢は彼の手当てを終えた。

樹がシャワーを浴びている間、夢は夕食をテーブルに並べる。

彼が出てくると、部屋中に美味しそうな香りが広がっていた。刺身や揚げ物が美しく盛り付けられている。


「うわっ…すごい!」樹の目が輝いたが、最初の一口を食べようとした瞬間――

「待って。まずは包帯。」

「わかった、わかったよ…。」彼はうつむいて苦笑した。


準備が整い、ようやく食事の時間が始まる。

「うまい…本当に美味しい!」樹は一口一口を噛みしめながら言った。

「本当? そんなに気に入ったの?」夢は驚いて尋ねた。

「うん…母さんが刺身好きでさ。いつの間にか俺も好きになったんだ。」


「あなたの…お母さん? あまり話してくれたことなかったよね?」夢は不思議そうに言った。


樹は深く息を吸い、ゆっくりと話し始めた。

「母さんは、本当にすごい人だった。働き者で、優しくて…いつも俺のそばにいてくれた。

でも…俺が八歳の時に亡くなったんだ。」


「あ…樹、ごめん。そんなこと聞くつもりじゃなかった…」夢は俯いて謝った。

「いや、大丈夫。むしろ、思い出せてよかった。

母さんが君に会えたら、きっと気に入ったと思うよ。」

樹は心からの笑みを浮かべた。


夢は頬を赤らめ、微笑んだ。

「きっと素敵な人だったんでしょうね。」

「うん、そうだった。」樹は穏やかに答え、また箸を動かした。

「会ってみたかったな…。」夢は優しく言った。

「母さんも、君に会えたら喜んだと思うよ。――ほら、冷めないうちに食べよう。」

樹は冗談っぽく言い、重い空気を和ませた。

「うん!」夢は笑いながら答えた。


二人は穏やかで親密な空気の中、ゆっくりと食事を終えた。



---


翌日


樹と夢はほぼ同時に目を覚ました。

樹がシャワーを浴びている間、夢は朝食を準備しながら、ふと二人の生き方の違いを思い返していた。


夢は質素ながらも、家族の絆に包まれた家庭で育った。

一方、樹は裕福な家庭に生まれたが、家族との関係は冷たく、どこか遠かった。

――彼のために何かしてあげたい。そう思っても、どうすればいいのか分からなかった。


樹が食事を終えると、夢は身支度を整え、彼がコーヒーの仕上げを引き継いだ。


「母さん…君のこと、きっと好きになったと思う。」

樹は静かに呟き、微笑んだ。



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その頃――

別の場所では、樹の父・リョウマが校長と電話で話していた。


「まさか…私をスパイするために彼を送ったんですか?」

校長は苛立ちながらも、どこか含みのある口調で言った。


「何のことだ? 君の考えすぎだよ。ただの偶然さ。」

リョウマは無邪気を装って答えた。


「いつもそう言うのね、リョウマ。」

「言っただろう、偶然だ。」

その声には、かすかな怒りが混じっていた。

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