第10章:見えない糸


穏やかな朝が訪れたが、樹の心の中は混乱で満ちていた。

父の言葉、任務の重圧、そして……ユメ。

彼女に近づけば近づくほど、罪悪感と疑念という見えない糸が、彼を別々の方向へ引き裂こうとしていた。


階下に降りると、久しぶりに見る光景が広がっていた。

テーブルは散らかり、シリアルの残り、半分に切られたパン、倒れたコップ。

混沌とした光景なのに、不思議と懐かしく、少し心地よく感じられた。


突然、背後から腕が回される。


「おはよ、寝坊助さん。」

まだ眠たげな声で、ユメが背中に頭を預けてくる。


樹は少し驚いたが、振り返った瞬間、時間がゆっくりと流れ出す。

どうして、こんな彼女を裏切れるというのか。

たとえ直接の意図がなくても、本当のことはまだ胸の奥に隠したままだ。


ユメは彼の目に一瞬の迷いを感じたが、何も聞かず、いつものように朝食をとり始めた。


食後、二人は一緒に学校へ向かった。

校門で樹はマイキロと合流し、談笑しながら教室へ。

ユメはアヤセと連れ立ってトイレへ向かった。



---


トイレを出たところで、クロエとすれ違う。

その瞬間、クロエが低く囁いた。


「あんたなんか、彼にとって特別じゃないわよ。」


ユメは反射的に足を止めるが、クロエは何事もなかったように通り過ぎていった。


「え……?」

聞き間違いかと思った。


「ユメー!置いてくよ!」

アヤセの声に促され、首を振って歩き出す。

“気のせい、気のせい”と、自分に言い聞かせながら——。



---


教室では、マイキロが興奮気味にスマホを見せていた。


「見ろよ!今度出るこのキャラ、闇の女神だぜ!」


画面に映るキャラクターを見た瞬間、樹の動きが止まった。

その瞳、その髪、その眼差し——一瞬、ユメに見えた。


瞬きをして、気を取り直す。きっと気のせいだ。


「このキャラ、物語で重要な役なのか?」

何気ないふりで尋ねる。


「いや、ただの中ボス。必殺技の演出がカッコいいだけ。」

マイキロは相変わらずノリノリだ。


その時、ユメとアヤセが教室に入ってきた。

視線が合いかけた瞬間、樹はそらす。——まだ話せない。


ユメはその視線の逃げ方に、小さく笑みを消した。



---


休み時間。

樹とマイキロが廊下を歩いていると、草薙が現れた。


「おや……この前の話で、少しは思い出したみたいだな、大事なことを。」


「お前、本当にしつこいな。」

樹は眉をひそめる。


「掲示板を見てみろ。面白いものがある。」


半信半疑で向かった先に、ユメとアヤセの姿があった。

彼女たちが見ている掲示板には、大きな告知が貼られている。


「……何これ?」


「三年生のクラス対抗トーナメントだって。」

ユメが視線を外さずに答える。


「優勝クラスには賞金、大学進学支援……それから、校長の屋敷で開かれる限定パーティー。」


その最後の一文に、樹の目が見開く。

絶好の調査チャンス……だが、ユメの横顔を見ると躊躇が走る。


それでも息を整え、言った。


「なぁ……俺たちも出場してみないか?」


「は?ただの学校行事じゃん。」

マイキロは気乗りしない。


「うちのクラス、やる気ない人多いしね。」

アヤセも肩をすくめる。


「でも考えてみろ。賞金も名誉も……そして校長の屋敷でのパーティーだ。楽しいかもしれない。」

本心を隠しつつ、説得する。


しばし沈黙が落ちた。


「……負けても損はないし、勝ったら……」

少し間を置く。


「歴史に残るかもな。」


その言葉に、空気が変わる。


「……いいよ。面白そうだし。」

ユメが腕を組み、口元に笑みを浮かべる。


「しゃーねぇな。お前がそこまで言うなら。」

マイキロが肩を叩く。


「あんたたち、ほんとバカだね。でも……見てみたい気もする。」

アヤセも笑って頷いた。


樹は小さく安堵の息を吐く。仲間が揃った。


4人が廊下を歩きながらトーナメントの話をしている横で、ユメの心には小さな棘が残っていた。


——どうして……そんなに出たがるの?


クロエが植えた疑念の種は、静かに根を張り始めていた。


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