第5話
その銀色の髪を持つ女性は、俺とフェンを交互に見て、わずかに目を見開いた。だが、その表情はすぐに柔らかな微笑みに変わった。
「ようこそ、月の雫が降り注ぐ森へ。そして……聖霊獣様とその主様」
彼女の声は、まるで澄んだ鈴の音のようだ。聖霊獣様、という言葉に少し驚いたが、フェンが特別な存在であることは間違いない。
「俺はレオン、こいつはフェンです。あなたは?」
「私はルナと申します。この森の守り人の一人です。まさか、生きている間に聖霊獣様にお目にかかれるとは……。長老もきっとお喜びになります。さ、どうぞこちらへ」
ルナさんはそう言って、俺たちを村の奥へと案内してくれた。フェンはルナさんの足元に駆け寄り、くんくんと匂いを嗅いでいる。ルナさんは少し驚いたように微笑み、そっとフェンの頭を撫でた。フェンも嬉しそうに尻尾を振っている。すぐに打ち解けたようだ。さすがはフェンだ。
村は、想像していたよりもずっと活気に満ちていた。家々は質素だが手入れが行き届いており、広場では子供たちが元気に走り回っている。彼らもまた、俺たち、特にフェンの姿に気づくと、興味津々といった様子で遠巻きに眺めていた。
「ルナ、お客様か?」
村の中心にある一番大きな家から、杖をついた白髪の老人が姿を現した。その眼光は鋭いが、どこか温かみを感じさせる。この人が、長老だろうか。
「はい、長老。レオン様と、そして……聖霊獣のフェン様でいらっしゃいます」
ルナさんの言葉に、長老はカッと目を見開き、次の瞬間には深い感動を湛えた表情になった。ゆっくりと俺たちの前に進み出て、フェンを見つめると、深々と頭を下げたのだ。
「おお……!古の言い伝えは真でありましたか……!聖霊獣様が、再びこの地を訪れてくださるとは……!わたくしは、この森の守り人の長、オルデンと申します。レオン様、フェン様、長旅お疲れ様でございました。ようこそおいでくださいました」
長老の言葉は、心からの歓迎に満ちていた。俺は少し恐縮してしまう。
「いえ、こちらこそ、突然お邪魔して申し訳ありません。俺たちは、フェンとの『契約の儀式』について知りたくて、こちらへ参りました」
俺がそう言うと、オルデン長老は大きく頷いた。
「やはりそうでございましたか。聖霊獣様とその主様がこの森を訪れる時、それは契約の儀式を執り行うため……。それもまた、我ら守り人に伝わる大切な言い伝えでございます。もちろん、喜んでご協力させていただきますとも」
あまりにもスムーズに話が進むので、少し拍子抜けするほどだ。もっと何か、試練のようなものがあるのかと身構えていたのだが。
「本当ですか!?ありがとうございます!」
「礼を言われるのは我々の方です。聖霊獣様との契約は、この森にとっても、そして世界にとっても、大いなる祝福となるはずですからな」
オルデン長老はそう言って、にこやかに笑った。その笑顔は、本当に俺たちを歓迎してくれていることが伝わってくるものだった。
「儀式は、月の力が最も満ちる次の満月の夜に行うのが慣わしです。それまで、どうぞこの村でゆっくりとお過ごしください。ルナ、レオン様とフェン様をお部屋へご案内しなさい」
「はい、長老」
ルナさんに案内され、俺たちは村の一室に通された。質素だが清潔で、窓からは森の美しい緑が見える、落ち着いた部屋だった。
「どうぞ、おくつろぎください。何かご入用でしたら、遠慮なくお申し付けくださいね」
「ありがとうございます、ルナさん」
ルナさんはにっこりと微笑んで部屋を後にした。一人(と一匹)になると、どっと安堵感が押し寄せてきた。
『レオン、なんだかみんなすごく優しいね!』
フェンが俺の足元にすり寄ってきて、尻尾をぱたぱたと振っている。
「ああ、本当にそうだな。こんなに歓迎してもらえるなんて、思ってもみなかったよ」
俺はフェンを抱き上げ、その柔らかい毛並みを撫でる。フェンは気持ちよさそうに目を細めた。この村なら、安心して契約の儀式に臨めそうだ。
満月までは、まだ数日ある。それまでの間、俺とフェンは村でのんびりと過ごすことになった。村の人々は皆親切で、俺たちを温かくもてなしてくれた。特にフェンは、その愛らしさと賢さで、あっという間に村の人気者になった。
子供たちは最初こそ遠巻きにしていたものの、フェンが人懐っこく遊びに誘うと、すぐに打ち解けて一緒に駆け回るようになった。フェンは子供たちを背中に乗せてあげたり、風の魔法で木の葉を舞い上げて見せたりして、いつも笑い声の中心にいた。その光景は、見ているだけで心が温かくなる。
『レオン、見て見て!みんなと仲良しだよ!』
フェンは得意げに俺のところに報告に来る。その姿がまた愛らしい。
「すごいな、フェンは。誰とでもすぐに仲良くなれるんだな」
『えへへ。だって、みんな優しいんだもん』
俺もまた、村の人々と交流するうちに、少しずつ打ち解けていった。彼らは森と共に生きる知恵に長けており、薬草の知識や動物との接し方など、俺にとって興味深い話をたくさん聞かせてくれた。特に、ルナさんとは話す機会が多かった。彼女は薬草の調合が得意らしく、俺が採取した薬草の使い道を教えてくれたり、逆に俺が知っている知識を興味深そうに聞いてくれたりした。
「レオンさんは、本当に動物たちに好かれるのですね。フェン様があれほど懐くのも当然ですわ」
ある日、ルナさんが感心したように言った。俺たちは二人で、村の近くの薬草畑の手入れをしていた。フェンは少し離れた場所で、村の子供たちや森の小動物たちと遊んでいる。
「俺には、この『動物親和EX』というスキルしか取り柄がありませんから」
「ご謙遜を。そのお力は、何物にも代えがたい素晴らしいものですよ。私たち守り人の一族も、古くから自然との調和を重んじてきましたが、レオンさんほど動物たちと深く心を通わせる方は見たことがありません」
ルナさんの言葉は、素直に嬉しかった。この世界に来て、自分のスキルに卑屈になることもあったが、こうして認めてもらえると、少しだけ自信が湧いてくる。
「ルナさんは、どうして守り人になったんですか?」
ふと気になって尋ねてみると、ルナさんは少し遠くを見るような目をした。
「私は、この森で生まれ育ちましたから。物心ついた時から、森の声を聞き、自然と共に生きることが当たり前でした。守り人になるというのは、私にとって特別なことではなく、ごく自然な流れだったのです」
その横顔は、どこか神聖な雰囲気を漂わせていた。この森と、そこに生きる者たちを心から愛しているのだろう。
「契約の儀式について、何か俺にできる準備はありますか?」
「特別なものは必要ありませんわ。最も大切なのは、レオンさんとフェン様の揺るぎない絆、そして清らかな魂です。あとは、月の力が満ちるのを待つだけ……。ああ、それと、儀式の場所となる聖域を清めるお手伝いを少しだけお願いするかもしれません」
「もちろんです。何でも言ってください」
そうこうしているうちに、あっという間に数日が過ぎ、満月の夜が近づいてきた。村全体が、どこか厳かで、そして期待に満ちた雰囲気に包まれている。村人たちは、儀式が行われる聖域を丁寧に清め、祈りを捧げていた。俺もフェンも、その手伝いをさせてもらった。
聖域は、村から少し離れた森の奥、ひときわ大きな古木の根元にあった。そこはまるで、自然が作り出した神殿のようで、澄み切った泉が湧き出ており、周囲には珍しい光る苔が一面に広がっている。夜になると、その苔と月の光が相まって、幻想的な風景を作り出すのだろう。
「綺麗だな……」
思わずため息が漏れる。フェンもまた、その神秘的な雰囲気に何かを感じ取ったのか、静かに俺の隣に座っている。
いよいよ、契約の儀式の夜がやってきた。空には雲一つなく、満月が煌々と輝いている。俺とフェンは、オルデン長老とルナさん、そして数人の村人に導かれ、聖域へと向かった。
聖域は、昼間見た時よりもさらに美しく、神秘的な光に包まれていた。泉の水面は月光を反射して銀色に輝き、周囲の苔は柔らかな光を放っている。まるで、星々が地上に舞い降りてきたかのようだ。
「レオン様、フェン様。こちらへ」
オルデン長老に促され、俺はフェンと共に泉の中央にある平らな岩の上に進み出た。ひんやりとした空気が肌を撫で、自然と背筋が伸びる。
「これより、聖霊獣フェン様とその主レオン様との、契約の儀式を執り行います」
オルデン長老の厳かな声が、静かな森に響き渡った。ルナさんをはじめとする村人たちは、俺たちを囲むようにして立ち、静かに祈りを捧げ始めた。その祈りの声は、まるで優しい子守唄のように心地よく、俺の心を落ち着かせてくれる。
『レオン、なんだかドキドキするね』
フェンが俺の顔を見上げて、小さな声で囁いた。
「ああ、そうだな。でも、大丈夫だ。俺たちが一緒なら、きっとうまくいく」
俺はフェンの頭を優しく撫でる。フェンはこくりと頷き、俺の手にそっと鼻先を擦り寄せた。その温かさが、俺に勇気をくれる。
オルデン長老が、古木の枝から作られた杖を静かに掲げた。すると、周囲の光る苔が一層強く輝き始め、まるで天の川のように、俺たちを包み込む。そして、満月からの光が、真っ直ぐに俺とフェンがいる岩の上に降り注いできた。
「聖霊獣フェンよ、その聖なる力を解き放ち、主との魂の共鳴を始めよ」
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