第3話 きっと大丈夫、たぶんね
楽屋に戻ると、椅子に深く腰掛ける。
自分の心があの興奮を忘れさせてくれない。
呼吸を忘れるから、さらに呼吸が深くなる。
何をしていいのかわからない、放心状態。
頭の中全て出し切って空っぽになっていた。
どんな色も、今は白く映る。
ふと、アンチの親友家族から贈られた花に目を向ける。
コンコンとノック。
スタッフの方が、親友の妹と自分の家族を楽屋へ案内して来た。
中へ入るなり、
「まさかまさかだよなぁ。ここがお前の楽屋か。立役者がお前だなんて信じられないよ」
楽屋なんて聞いたことあったけど、自分に用意されるとは思ってもいなかった。
父親は緊張が解けず、笑顔の作り方を忘れてしまったようだ。
自宅を出たときより、すっかり老けている。
一方、母親は、キャッキャと嬉しそうだ。
こちらは、何歳か若返って見えた。
親友の妹は抱き着いて号泣してきて、何を言っているのかわからない。
一人気持ちよく余韻に浸りたいのだ。
自分に酔いしれたいのだ。
とりあえず両親は早く帰ってほしいなぁ。
少し時間が経ち、落ち着きを取り戻す。
ドアから、コンコンとノック。
ドアからひょこりと顔だけ出すスタッフが、
このあと打ち上げです、
この時間に集まって下さいと案内された。
家族たちは、先に帰るから楽しんでこいと告げると、先に帰路へ着いた。
しばらく待ち、時計が約束の時間を告げる。
廊下を歩いて、案内されたホール関係者の大部屋へ向かった。
ここ⋯かな?
廊下には人影を見なかったので、まだ人は、全員集まっていないようだ。
中で待つかなと思い、ドアノブを回す。
ドアを開けて瞬間に、たくさんの目がこちらを見てきた。
「「「ブラーボー!!」」」
広い打ち上げ会場。
テーブルに、気持ちばかりのごちそう。
部屋中から一斉に湧き上がる歓声。
スタッフ、演奏者、指揮者が自分を出迎える。
「本日の一番の功労者、きもと君です!」
⋯⋯演奏してないのに。
パチパチと拍手で、よくは聞き取れないが、どうやら褒められているようだ。
涙いっぱいのスタッフがハグしてくる。
うわ、またお前か。
でも、嬉しい。
「さあ、皆さま、グラスをお取りください」
自分にもグラスを渡される。炭酸グレープかな?
大人のみんなは、ビールやワインらしい。
「お疲れ様でした。えーようやくここまで来られて感無量です。思えば⋯⋯」
長えーよ!と、お約束のチャチャと笑い声が入る。
「さ、じゃあ今日の大成功と、今後の皆さまのさらなる発展を祈念しまして⋯」
「カンパーイ!」と歓声!
グラス同士のカチンという合図がお互いを称え合う。
少しの間を置いて、みんなが拍手。
みんなが、さっきまでの興奮を語り合った。
それからは、いくつかのことしかはっきりと覚えていない。
たまらずに男泣きした。笑い泣いた。
一生分泣いた⋯そんなに長くまだ生きていないけど。
海外の若い女性の方は、ハグしてくれてホッペにキスしてくれた。
海外では普通らしいけど、照れる。
みんながめちゃくちゃ誉めてきた。
みんなが自分とハグを求めてきた。
照れる。恥ずかしい。
誉め殺しを聞いたことがある。
親友アンチの、まだこっち来んなと声が聴こえる。
称賛は凄い。人をダメにしちゃう。
当たり前だけど、お酒は飲めない。
なのに、顔が真っ赤だったらしい。
この時間だけは、モテモテだった。
自分も一生懸命にみんなに心からの拍手を送った。
一人で、ここには立っていない。
みんなが立たせてくれた。
スタッフや演奏者、コーラスの皆さん何人かと、指揮者の方と硬い握手を交わし、帰路に着く。
送迎のタクシーに乗せられてまでは記憶にある。
ホテルの部屋までの道中、どうやって帰ったのか。
地面を歩く足取りもおぼつかない。
なぜならフワフワして、足が地に着かないから。
ホテルの部屋に辿り着き、やっと自分の時間に戻ってきた。
誰もいない部屋なのに、心の中にはまだみんながいた。
寝ようとしても眠れない。
心を会場に置いて来てしまったらしい。
寝るのがもったいない。
目が覚めたら夢でしたなんて、あってたまるか。
この高揚は、一生大切にしよう。
数年前の名も無い動画を始めた若造と、突然コメント欄に居着いた常連のアンチは、やがて意気投合してゲームサウンドの道へ進む。
二人でスタートを切った矢先に、ゴールはどうやらお前一人になりそうだと聞かせられる。
アンチの才能を全て貰い受けたのと代わりに、絶対に眺めの良い場所を見せたいと約束した。
自分が彼女の横に相応しいかどうかはわからないけど、君の兄貴と辿り着いた場所の報告には行かないとね。
ホテルの部屋のベットに戻って横になるが、いろんなことが思い出されて眠れない。
⋯⋯この、まるでおとぎ話は、行き先の見つからない進路に発散したいと始めた出来事と、
わざわざコメントで噛み付く、アンチコメント常連との二人から始まる。
たった数年前の、思いつきと腹の立つ出来事。
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