第3話 人類解放軍

 レオンが目を覚ました時、そこは薄暗い地下室だった。

 石造りの壁に囲まれ、松明の揺れる火だけが空間を照らしている。


「……ここは、どこだ?」


 レオンはかすれた声で呟いた。

 記憶が曖昧だった。闘技場で、ガルムが死んで──そして、自分の中で何かが爆ぜた。


「意外と早かったな」


 低くくぐもった声がした。声のする方を見ると、ひとりの男が壁にもたれて立っていた。

 フードを脱ぐと、顔には戦いの痕跡が刻まれていた。古傷が幾重にも交差し、目には静かな光が宿っている。


「……あんた、誰だ。名前は?」


「ヴァルターだ」


 男は素っ気なく答えた。


「ここは……どこなんだ?」


「地下だ」


 そういう意味で聞いたんじゃない──レオンはそう言おうとしたのをグッと堪えた。


「なぜ、俺がここに?」


「拾ってやった」


 それ以上語るつもりはないらしい。男の態度は一貫している。


「なんなんだ……何があったんだ? 闘技場で、何が……?」


「お前が暴れて、闘技場を破壊した。そして、そこにいた魔族どもを皆殺しにした」


「は?」


「そのあと、俺らが来て、回収した。それだけだ」


 レオンは混乱した。頭が追いつかない。


「皆殺しって……そんな馬鹿な。俺ひとりに、そんな力があるわけ──」


「見てみるか?」


 初めて、ヴァルターの表情が変わった。微かに、皮肉とも憐れみともつかぬ笑みを浮かべる。


「何を?」


「お前がやったことを、だ」


 レオンは躊躇いながらも頷いた。


「ああ……見せてくれ」


 ヴァルターは黙って踵を返し、歩き出した。レオンも立ち上がろうとする──その瞬間、違和感が走った。


 身体が、軽い。


 闘技場での日々、身体は常に痛みと疲労に蝕まれていた。起き上がるだけでも関節が軋んでいたはずなのに、今は、まるで羽が生えたように軽やかだった。


 思わず自分の腕を見る。

 あの無数の傷が、打撲の痕が、すべて──跡形もなく消えていた。


(……何が、起きたんだ?)


 レオンは混乱を胸に押し込め、ヴァルターの後を追った。


 地下の通路は迷路のように入り組んでいた。無骨な兵士のような男や、粗末な服を着た人々が行き交っている。どの顔も硬く、冷えた怒りを抱えているようだった。


 やがて、石造りの階段を上がり、地上へと出る。

 瞬間、レオンは息を呑んだ。


 目の前には、崩壊しきった闘技場の残骸があった。

 石の壁は瓦礫と化し、血に塗れた地面には、魔族たちの死体がいくつも転がっている。

 異形の角、爪、牙──それらが無残に折られ、黒い血が地面に染み込んでいた。


「……これを、俺が……?」


「そうだ。おかげで仕事がひとつ減ったよ」


「仕事……?」


「ああ、まだ言ってなかったな」


 ヴァルターは立ち止まり、振り返る。


「俺たちは『人類解放軍』。魔族の殲滅と、人間の国を取り戻すために戦ってる」


 レオンは言葉を失った。


「人類……解放軍……」


 レオンはしばらくの間、驚きから固まってしまっていた。


 そんなレオンを一瞥し、ヴァルターはそっけなく言った。


「いつまで突っ立ってる。さっさと戻るぞ」


 レオンは我に返り、慌ててその背を追った。


 ヴァルターは足早に廊下を進みながら、歩きながら説明をした。


「ここは本拠地じゃない。ただの仮拠点だ。お前を回収するために、無理をして設営した一時的な避難場所だ」


「……わざわざ、俺のために?」


「『お前』というより、『お前の中の力』だがな」


 俺の中の、力──一体俺の体に何が起きているのか。気にならずにはいられなかった。

 だが、ヴァルターの様子から、今尋ねられるような状況ではないことが汲み取れた。


 石の扉を抜けると、小さな作戦室のような空間に出た。地図や紙束が雑多に散らばった机、無線のような伝達装置、武器を手入れする者たち。そのすべてが、戦いに備えるための仮初めの装備だった。


 ヴァルターが室内に踏み入ると、室内にいた兵士たちはそれに気づき、無言で敬礼した。皆、顔に疲労と覚悟を刻んでいる。ここが戦場であり、安息の地ではないことは一目で分かった。


 ヴァルターは立ち止まり、決して大きくはないが、部屋全体に重く響くような声で言った。


「すぐにこいつを狙って魔族たちがここへやってくるだろう。これからすぐに移動を開始する。準備しろ」


 一瞬、空気が張り詰める。作戦室にいた兵士たちは、無言のままそれぞれの持ち場に動き始めた。荷をまとめる者、通信を始める者、銃器や剣を点検する者。まるで、これが何度目かの撤収であるかのように、全員が機械のように動いていた。


(俺が狙われる……?)


 ヴァルターはレオンの方を向いた。


「お前には勇者因子についての説明をしよう」


「勇者?」


 レオンは聞き返した。


「勇者なんて……ただの昔話だろ? 光の英雄がいて、魔王と戦ったとか……」


「違う。昔話じゃない。勇者は実在した」


 ヴァルターは立て続けに言った。


「昔、勇者は魔王と戦って敗れた時、自分の魂の一部を未来に送った。それがお前というわけだ」


 ヴァルターの説明に、レオンは愕然とした。


「俺が……勇者?」


「正確には勇者の転生体だな。だからあんな力を発揮できた」


「……理解できない」


「ああ、しなくていい。どうせできないだろうからな」


 ヴァルターは肩をすくめると、淡々と続けた。


「ただ一つ確かなのは、お前があの闘技場でやったことは、常人には絶対にできないことだ。そして――今の人類にとって、喉から手が出るほど欲しい力だ」


 ヴァルターは腕を組み、レオンに真正面から向き直った。


「お前には、戦ってもらう。……できるな?」


 静かながら、抗えぬ圧をもって問いかけてくるヴァルターに、レオンは目を伏せたまま、短く答えた。


「……わかった、やるよ」


「それでいい」


 ヴァルターは満足げに頷き、傍の机から一枚の地図を引き寄せた。指先で、ある一点を示す。


「目指すのはここ。本拠地だ」


 そして、すーっと地図上を指先でなぞった。


「お前は今回、敵を引きつけてもらう。いわば『囮』だな」


「俺なんかが?」


 ヴァルターは露骨に面倒くさそうな顔になった。


「なんだよ、その顔は」


「ああいや……そこまでバカだとは思わなくてな」


「は?」


「お前は己の重大さを理解してないらしい」


「どういうことだ」


ヴァルターはビッとレオンを指差した。


「お前は『希望』なんだ。人族と魔族、どっちにとってもな。魔族どもは血眼になってお前を奪いに来るだろう」


「だから、それがなんで──」


「作戦内容を続ける」


「……」


「お前を一番目立つ囮として使うことで魔族どもを引きつけて、他の奴らを本拠地に帰す。そして、後に合流する」


 レオンは顎に手を当てて、首を捻った。


「囮、いるか? この作戦。全員で隠密行動すりゃいいんじゃねえか?」


 ヴァルターはため息をついた。


「最近俺たちは派手にやりすぎてな……奴隷に対する規制が厳しくなってしまった。奴隷が一人で歩いているだけで大騒ぎだ。監視も増えた。見つかったら大騒ぎじゃ済まないだろう」


 (法律や規制を変えるほどの影響力……この組織はどこまでの規模なんだ……?)


 レオンは湧き出る疑問を飲み込んだ。


「俺ひとりで囮になるのか?」


「いや、俺が後ろからついて行ってやる。だが、手出しは一切しない。お前が本当に“使える”か、確認する必要がある」


「……試されるわけか」


「当たり前だろ。奇跡は一度起きただけじゃ意味がない。再現できなきゃ、ただの幻だ」


 ヴァルターは皮肉めいた笑みを浮かべた。


「安心しろ、死にそうになったら助けてやる。貴重な資源だからな」


 俺は資源扱いか──レオンがため息をついたとき、別の兵士が扉を叩き、小声で報告を入れた。


「魔族の斥候にここがバレました。既に二名が接敵しています。――時間がありません」


「……了解だ。レオン」


 ヴァルターはゆっくり振り向き、レオンに一つの剣を投げ渡した。


「持っていけ」


 レオンはそれを無言で受け取り、鞘ごと腰に下げた。


 重さは……感じない。まるで、手に吸い付くようだった。


「準備はいいか?」


「ああ」


 ヴァルターは背後の兵士に先程の作戦を伝えた。


「こいつと俺が、囮になる。本隊は、別で隠れながら本拠地を目指せ。戦闘はなるべく避けろ」


 確認が取れると、兵士たちはどこかへ行ってしまった。


 ヴァルターは深呼吸をした。


「生きてたどり着ければ……お前の居場所がある」


 レオンは、剣の柄を確かめるように握り直した。


 ガルムが死んだとき、闘技場で燃え上がった激情と、あの力の正体。まだすべては分からない。


 だが──


(俺は、進むしかない)


 一歩、地上へと踏み出した。







ーー



 高所にある黒い玉座。その前に、数人の影が跪いていた。


「確かなのか?」


 声は低く、冷たい。


「はい。南部、闘技場にて……かつての“勇者因子”に酷似した魔力の波動が観測されました」


「波動の残滓ではなく、実体か?」


「……ほぼ間違いありません。暴走の痕跡と、反応の規模。いずれも通常の人間では説明がつかない」


 玉座に沈む主は、長く黙した。

 誰も口を開かない。


「“因子”は消えたはずだ……だが、もし再び現れたのだとすれば」

 

 指先が玉座の肘掛を、カツリ、と鳴らす。


「早急に捕え、私の元へ連れて来い。場合によっては殺してしまってもかまわん。必要な兵力は任せる、すぐに向かえ」


「はっ」


 跪く影が消えた。


 もう一人が残り、静かに問う。


「……いかがなさいますか。自ら出られますか?」


「まだ早い。今は観察の時だ」


 沈黙が満ちる。主の瞳だけが、遥か南を見据えていた。


「“勇者”よ。今度は……何を守る?」

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