再生 -勇者は魔王に負けました-

@kurohuku162564

プロローグ

 千年続いた均衡は、一日にして崩れ去った。


 人族と魔族の対立は、アリス大陸の歴史そのものだった。大地と空を二分する二つの種族は、互いの領域を侵さぬよう暗黙の了解を持って共存していた。しかし、それは真の平和ではなく、単なる休戦に過ぎなかった。いつか再び炎が上がることを、誰もが予感していた。


 その予感は的中した。魔族の新たな王、ダグラストの即位と共に、均衡は崩れた。


 ダグラストはかつてなく強大な力を持ち、魔族の頂点に立った男は、人族への侵攻を宣言した。その宣言から三日後、北方の三つの人族都市が一夜にして灰となった。十万を超える犠牲者を出し、人族は初めて本気で恐怖した。


 魔族の軍勢は圧倒的だった。様々な姿形を持つ魔物たちが、ダグラストの旗印の下に結集し、着々と人族の領土を蹂躙していった。その勢いは、まるで千年の怨念を晴らすかのように猛烈だった。


 人族の諸国は一致団結して抵抗した。彼らには優れた技術と知恵があった。魔法と鋼を組み合わせた兵器、堅固な城壁、巧みな戦略。しかし、それでも魔族の波を止めることはできなかった。


 ダグラストの力は、単なる魔王の域を超えていた。彼は古の存在から力を引き出し、禁忌の魔法を操り、不死の軍勢を従えていた。一つ一つは打ち破れても、全体を止めることは不可能だった。


 三年の間に、人族の領土は五分の一にまで縮小した。残された主要都市はわずか七つ。最後の砦とも言える王都エルミナのみが、かろうじて魔族の手に落ちていなかった。


 絶望の中、人族に一筋の光が差した。


 古代から伝わる予言、「暗黒の時代に光の勇者が現れる」という言葉が、現実のものとなったのだ。エルミナの片隅で育った一人の若者、アルトリウス・グレイスが前線に立ったのだ。


 アルトリウスは比類なき才能を持っていた。剣術、魔法、戦略、全てにおいて彼は卓越していた。そして何より、彼には「希望」があった。どんな状況でも決して諦めない、純粋な精神力。それこそが最大の武器だった。


 彼の登場により、戦況は一変した。アルトリウスは単身で魔族の拠点を次々と攻略し、不可能と言われた勝利を幾度となく収めた。人々は彼を「光の勇者」と呼び、救世主として崇めるようになった。


 しかし、その栄光の裏には影があった。アルトリウスの戦いは孤独だった。彼の力があまりに突出していたため、誰も彼の足手まといになりたくなかった。人族の指導者たちは、全てをアルトリウスに任せるようになった。彼らは自らの手を汚すことなく、ただ「勇者」の活躍を褥の上から眺めていた。


 それは致命的な過ちだった。


 ダグラストは賢明だった。彼はアルトリウスの強さを認め、それに対抗する策を練った。彼は自らの配下である「五魔将」を従え、最終決戦の場を設けた。


 魔族の首都、漆黒の塔「バベル」にて、勇者と魔王の決戦が行われることとなった。


 アルトリウスは孤独だった。彼の背後には誰もいなかった。人族の指導者たちは、「勝利したら迎えに行く」と約束したが、それは単なる建前に過ぎなかった。彼らは勇者に全てを託し、自らは安全な場所に身を潜めたのだ。


 一方、ダグラストの背後には五人の魔将がいた。彼らは主のために命を捧げる覚悟を持っていた。


 決戦の日、アルトリウスは魔族の首都に単身で乗り込んだ。彼は五人の魔将を次々と打ち破り、ついにダグラストとの対決に臨んだ。


 それは神話にも等しい戦いだった。大地を揺るがし、空を裂く二つの力の衝突。アルトリウスの聖なる光と、ダグラストの漆黒の闇。


 激闘の末、勝機が見えた。アルトリウスの聖剣が、ダグラストの胸を貫こうとした瞬間—


 それは誰も予想しなかった展開だった。


 致命傷を負った五魔将の一人が、最後の力を振り絞り、アルトリウスの背後から襲いかかった。それは自害も同然の行為だったが、魔将はためらわなかった。主のためなら喜んで命を捧げる—その一念が、運命を変えた。


 わずかな隙。それがダグラストに反撃の機会を与えた。


 アルトリウスは敗れた。世界に希望をもたらした「光の勇者」は、魔王の手によって滅ぼされたのだ。


 その日から、世界は変わった。


 残された人族の抵抗も空しく、わずか一ヶ月でエルミナは陥落した。ダグラストは勝者として全土を支配下に置き、新たな秩序を打ち立てた。


 それは、人族にとって地獄だった。


 かつて栄えた人族の文明は根こそぎ破壊され、彼らは「下等種族」として扱われるようになった。魔族の奴隷として働かされ、娯楽の道具として扱われ、実験台として使われた。


 特に残酷だったのは、人族同士を戦わせる「闘技場」の設立だった。魔族は人間の闘争を見世物として楽しみ、それを「正義の裁き」と称した。強い者が弱い者を支配する—それがダグラストの掲げた「自然の摂理」だった。


 魔族は上位種として君臨し、人間は下位種として生きることを強いられた。親から子へ、その屈辱の歴史は受け継がれていった。


 しかし、希望の火は完全には消えなかった。


 伝説によれば、アルトリウスは死の間際、自らの「勇者因子」を未来へと託したという。いつの日か、その因子は新たな器に宿り、再び世界に光をもたらすだろうと。


 その伝説を信じ、密かに抵抗の火を灯す者たちがいた。彼らは「人類解放軍」を名乗り、地下組織として魔族の支配に抗っていた。彼らの目的は明確だった—勇者の因子を持つ者を見つけ出し、再び魔族との戦いに挑むこと。


 五百年。


 それは人族にとって暗黒の時代だった。尊厳を奪われ、自由を知らず、ただ生きることだけを許された日々。


 しかし、歴史は繰り返す。


 古の予言は再び現実となろうとしていた。


 闘技場「バベルの穴」—かつての決戦の地に建てられた残酷な娯楽施設。そこに、運命の歯車を動かす一人の男がいた。


 彼の名はレオン。


 彼の血の中に、勇者の因子が眠っていることを、誰も知る由もなかった。


 そして物語は、再び動き出す—

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