第9話 佐々木ひかり

 多真恵たまえからガット張りを頼まれた日の昼休み、佐々木光ささきひかり多真恵たまえの担任の鈴木先生を尋ねて職員室を訪れた。鈴木先生はひかりが1年生のとき担任だった先生である。


 鈴木先生は自分の席でお茶を飲みながら何やら仕事をしているようだった。


「鈴木先生」


 ひかりが声を掛けると、鈴木先生は顔を上げてにこりと笑みを浮かべた。


「あら、佐々木さん、なんか久しぶりね。元気にしてた?」

「はい」

「まあ、あなたのことだから元気に決まってるかな」

「はあ……」 ひかりがちょっと納得いかない表情をする。

「相変わらずバドミントンのラケットのガット張りやってるの?」

「はい」


 ひかりは1年生のときからバドミントン部員からのガット張りの依頼を請け負っている。彼女がガットを張ったラケットは凄く使いやすいと評判で、この頃では先輩や男子部員までひかりにガット張りを依頼するようになってきた。ひかりのガット張りは無料ではない。学食のA定食1回分の食券を報酬として受け取る。


 ひかりの家はテニスとバドミントン用品を扱うスポーツショップで、店主である父親は商売としてガット張りをしているから当然お金をいただく。料金はガット代別、作業料だけで1500円である。ガットは安いものでも1500円くらいするから、ガット代とガット張り代で3000円くらいの出費になる計算だ。決して安くはない。


 スポーツショップの創業者でひかりの祖父の弥一の時代ではガット張りは手張りであった。ラケットの材質も変化して今では機械張りが普通である。手張りの場合、下手するとカーボンラケットのフレームを折ってしまうことがあるのだ。昔はウッドとかスチールとかちょっとやそっとでは折れない材質で作られていたものである。だからガット張りのやり方も変わるのは仕方ないとひかりは思う。でも祖父の弥一はラケットの素材が徐々にカーボンに移行して行ってからもずっと手張りでガットを張っていた。


 店の奥で椅子に座ってガットを張る祖父の姿が目に浮かぶ。祖父はお気に入りのクラッシック音楽を聞きながら楽しそうにガットを張っていた。使う道具は千枚通し1本とガットの巻き棒1本、それだけ。その作業はまるで編み物をしているようで『張る』というより『編む』という表現の方がピッタリくるとひかりはずっと思っていた。


 まだ祖父の弥一が生きていた頃、ひかりは祖父がガットを『編む』のを横で見ているのが好きだった。するすると流れるような手つきでラケットのフェースに縦糸が張られ、次いで縦糸に交互に差し込みながら横糸が張られていく。それはまさに布が織り上げられていくようだった。ひかりはそんな祖父の作業をずっと近くで見ていたからガットの『編み方』は自然に覚えた。ガット張り練習用のラケットを使って、繰り返しガットを張る練習をした。


 祖父が見ている前で何本かお客さんのラケットのガットを張らせてもらったこともある。


「うむ、なかなかええの。ひかりは上手じゃなあ。もう一人前のガット張り職人じゃ」


 祖父の弥一からそう言って褒められたときは凄く嬉しかった。

 家業の影響もあって、小さい頃から店に来るお客さんに遊びでバドミントンを教えてもらったりしていたが、小学校3年生のときから本格的にバドミントン教室に通うようになった。中学でも当然バドミントン部に入部した。

 元々ラケットのガット張りに興味を持ったことから入ったバドミントン競技の世界であるから、ひかりのバドミントンラケットへの執着はやはり他の部員と少し違っていることはひかり自身も感じていることだった。

 

 中学で他の部員のガット張りを頼まれるようになって、報酬を受け取るようになったのは父の影響だ。ひかりにとってガット張りは趣味、娯楽と言っても過言ではなかったので、当初はお金を受け取るつもりはなかったのだ。でも、


「ちゃんとした仕事をするつもりなら報酬はうけとらないとあかん。タダでいいって言うのは無責任な作業をする人の台詞や」


 父親は常々そう言っていた。そしてひかりにもその言葉がすとんと胸に落ちたのだ。

 しかしある時そのことが学校で問題になった。校内でアルバイトしている生徒がいると。そのとき相談にのってくれたのが当時ひかりの担任の鈴木先生だった。

 校内でのアルバイトは禁止されているから、家に持って帰ってやること。報酬は現金ではなくて学食の食券にすること。ひかりの家はスポーツショップだから家業の手伝いとしてガット張りをすることにご両親の了解があれば学校としては問題はないはず。そう言って学校側と話を付けてくれたのだ。


「今日はどうしたの?」

「先生のクラスに高橋多真恵たかはしたまえという子がいると思うんですが」

「ああ…… うん」


 そこで鈴木先生もちょっと引っ掛かるものがあるような様子をした。


「その子、いじめられてませんか?」


 ひかりは直球で尋ねた。ひかりは性格上遠回しな言い方が苦手である。鈴木先生はちょっと驚いた顔をした。


「何か、あったの?」

「彼女のバドミントンラケットのガットを切ったやつがいます。午前中、私のところへガットを張ってくれって切れた、いや切られたラケットを持ってきたんです」

「そう……」


 鈴木先生は小さく溜め息をついてから口を開いた。


「高橋さん、ちょっと前に上履きを隠されたり、玉ねぎ臭いとかって揶揄からかわれたことがあるらしいの」

「玉ねぎ臭い?」

「高橋さんのお家は農家さんで、今が玉ねぎ収穫の最盛期なのね。それでお家の作業を手伝ってから学校に来たことがあったんだけど、そのとき一部の生徒が玉ねぎ臭いって揶揄からかったらしいわ」


 ひかりの目がすっと細められた。ひかりは口数が多い方ではないし表情もあまり豊かとは言えない。だからそんなひかりの表情の変化を見て取れる人は少ない。でもこのとき鈴木先生にはひかりが腹を立てていることが分かった。


「でも、高橋さんのお友達が守っていてくれてる。その子から時々報告を聞いてる。私はできたら生徒だけで解決して欲しいと思っているの。教師がしゃしゃり出ても本当の解決にはならないと思うから。でもあまりエスカレートするようなら出て行かないといけないわね。そろそろ限界かしら……」


 鈴木先生は頬に片手を当てて考えるようなポーズをとった。ひかりが口を開いた。


「いや、もう少し待ってください。私に考えがあります」

「そう? じゃあ、ひかりに任せてみようかしら」


 鈴木先生はそう言うとひかりを見てにっこりと微笑んだ。



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