第六話 佐川壮亮『ウェブ小説って楽ですか?』
「佐川くん、小説、書いてるんだって」
これは由衣が言っていたことだ。俺の物語の中の由衣も言っていたし、現実の由衣もまったく同じことを言っていた。俺たちふたりはあれから頻繁に会うようになっていた。偶然、バイト先が一緒になったのだ。俺の働く文具店に、由衣が新たにバイトとして雇われる。これも俺が物語に書いたことだ。それをきっかけに俺たちは仲を深めていく。
ありがち、と言えば、ありがちだ。だけど奇を衒っていないものにこそ本質は現れるのだ、と俺は自分に言い聞かせる。断じて俺に都合よく現実を進めたいから、この物語を書いているわけじゃない。……まぁ仮にそうだっていいじゃないか。現実逃避と願望充足が原動力の物語があったって。
俺はあの後、名前を、
『西条』→『佐川』
『リナ』→『由衣』
に変えただけではなく、思い切って物語の大部分を消去した。そしてまったく違う方向性の物語を書きはじめた。『佐川』が現実の佐川と寄りかかるように、『由衣』が現実の由衣と寄りかかるように。
多少、不安に思うことはあった。
消した瞬間、それまで存在した『物語』はどうなってしまうのだろう。これはただの『物語』ではない。『現実』と置き換わってしまったかもしれない『物語』だ。まぁ、いいや。仮に消えてしまったとしても、それは『西条』の人生だ。俺の人生じゃない。別に法を犯しているわけでもない。それに物語を書きはじめてからも、何度も『西条』の顔は見ている。ただ見掛ける頻度は明らかに減った。俺の新たな物語では、一応出てくるが、脇役に追いやられてしまったからだろうか。
……いや、それは『物語』に縛られすぎているかもしれない。まだ俺の感覚では、『現実化した物語』が一部混ざってしまっているだけで、それとは別に、普通の『現実』も残っている。この間も、物語に一度も登場していない尾根先輩と遊びに行ったりもしたし……。んっ、あれはいつの記憶だっただろうか。んっ、うーん。
ま、まぁ、そんなことより、由衣だ。
俺にとっての一番の重要事は、彼女なのだから。
バイト中、俺は由衣と話している。嫌な客と接して、落ち込んでいる彼女を、俺は慰めている。レジで横に並んで。確かにあの最初から嫌な雰囲気だった。レジ皿にお金を放るように出していたし、俺はああいう奴が一番嫌いなんだ。……しかしあんなにも激昂するとは。由衣のお釣りの返し方が気に入らなかったらしい。
「まぁ気にするなよ」
「佐川くんは大丈夫なの。私、こういうの駄目で。なんか傷付かない良い方法ないかな」
「人間だと思うからつらいんじゃないか。野菜かなんかと思ったら、いいよ。そうしたら相手の顔も自分の中の嫌な気持ちも消えてくれるから」
なんか偉そうに語っているが、俺は客から怒鳴られたら、分かりやすくしゅんとしてしまうタイプだ。そして俺は客を野菜に見立てたことなんて一度もない。嫌いな客の顔は絶対に忘れない。この目の奥に焼き付けておく。いつか復讐するチャンスが訪れた時のために。俺は執念深いのだ。といっても、そんな日なんて訪れないだろうが、その気持ちだけは持っておくようにしている。
「優しいね。佐川くんは」
優しくないよ、俺は。ひとつも。
だってこんな言葉を、きみに無理やり言わせているんだから。ちくり、と罪悪感で胸が痛む。だけど俺はもう止めることができない。せめて罪悪感くらいはこれからも持っておきたいが、たぶんこの気持ちをそのうち消えてしまうのだろう。
「そんなことないよ」
笑顔を取り戻した由衣が急に何かを思い出したかのように、
「そう言えば、西条くんから聞いたんだけど……。佐川くん、小説、書いてるんだって」
と言った。俺はその言葉に慌てた態度を取る。「あいつ、そんなこと言ったのか」と。もちろん由衣の言葉は俺にとって急でもないし、俺は『慌てた態度』を取っているが、心の中ではひとつも慌てていない。
物語の中での『佐川』と『西条』はそれなりに仲が良く、俺が小説を書いていることを『西条』は知っている設定になっている。とはいえ、俺が直接、『西条』に、「小説を書いているんだ」と打ち明けるシーンなど存在しない。そんな場面を描写するなど、死んでも嫌だ。さっきも言ったが、俺と由衣の直接のやり取り以外は、必ずしも起こるとは限らない。というか起こらないほうが多い印象だ。だから俺がこの辺の事情を細かく描写したとしても、現実には起こらない可能性も高い。ただ万が一でも、起こって欲しくはないのだ。あいつにそんなことを話している自分なんて、想像するだけで耐えられなくなる。
「すごいね。小説が書けるなんて。私には絶対、無理だよ」
由衣が尊敬のまなざしで俺を見る。俺は書いた後に気付いてしまった。俺はこう思われたかったのだ。書いているだけで偉い、書いているだけで素晴らしい。
『佐川くん、知ってる? 西条くん、小説の賞で最終選考に残ったんだって。すごいよね。やっぱり教養……っていうの? そういうのがあるひとっていいよね』
西条のことが気になっていると言っていた頭からっぽ女の言葉がよみがえる。あの時、俺は小説を書くことの何がすごいんだ、と思った。ただキーボードで文字を打っているだけじゃないか、って。そんな俺はいま、彼女から、『偉い』『すごい』『素晴らしい』と褒めそやされることを望んでいる。
心の底にいる俺が叫んでいる。ただキーボードに文字を打っているだけのお前の何がすごい? 誰にも読んでもらうことのない、妄想の垂れ流しの何が素晴らしい? 他者から評価を得たこともない小説の何が偉い?
やめろ。やめろやめろやめろ。
「何もすごくないよ。ただ、ちょっと小説が好きで」
俺は、心の入ってない空っぽの言葉を返す。
「あっ、謙遜してる。……ふーん、読んでみたいな」
「まだまだ、そんなレベルじゃないよ。それにちょっと気恥ずかしいし。また、その、いつか」
これは『物語』だから、こういうふうに書いた。だけど本心を語るなら、俺は顔の知っている相手に小説を読まれたくなんてない。作品の先にある自分を透かし見られたくない。そんなことしないよ、と言っても、そうやって読んでしまう奴は絶対に出てくる。
まぁそれはそれとして、由衣に俺のこの『物語』を読んでもらうのは、さすがにまずい気がする。たとえその反応さえも、こっちで調整できるとしても。何が起こるか分からない。
「そっか、残念。でも誰かに読んでもらったことあるの」
「いや、実は一度も」
「西条くんは? 彼も小説を書いてるんでしょ。しかも、コンテストにもよく出してる、って。毎回一次選考で落ちてる、って嘆いてたけど」
仮に『物語』であったとしても、由衣が西条のことを持ち上げる姿は見たくない。だから俺は、俺の『物語』の中で、西条が『最終選考に残った』という事実を消した。だからひとつの現実の中に、『一次選考で落ち続ける』西条と『最終選考に残った』西条が併存することになる。『西条』と『リナ』の関係同様、こんなこと書いて大丈夫なんかな、という不安もあったのだが、なるようになれ、と結局、書いてしまった。毒を喰らわば皿まで、だ。
「せっかくなんだから、どこかに出してみれば?」と由衣が言う。
「コンテストとか?」と俺が聞く。
「うん、まぁコンテストもそうだし、別にコンテストに限らなくてもいいんじゃない。たとえばネットに無料で読めるサイトとかあるでしょ。『小説家になった』とか」
「『小説家になった』?」
俺は首を傾げる。だけどもちろん知らないわけではない。何度も言うが、この会話は俺が事前に創ったものをなぞっているだけ、なのだから。『小説家になった』はウェブ上に存在する大手小説投稿サイトのひとつだ。
小説投稿サイト。誰でもお手軽に自分の書いた小説を投稿できる場だ。
実は俺自身、最近、知ったばかりだ。
こんなのがあるのなら俺も載せてみようかな、と。小説投稿サイトのひとつである『カケヨメ』のアカウントを作った。投稿する前に、俺は由衣に背中を押してもらいたかったのだ。
「そういうサイトがあるんだ。私もたまに読むんだけど」
「調べてみるよ」
そんな話をしているうちに、バイトの時間は終わりになった。俺は家に帰る。
調べてみるよ、なんて俺は由衣には返したが、そんなのとっくの昔に何度も調べている。下らなくて、ゴミみたいな文章の集積場だ。タイトルが長いだけで、一、二話で終わっているファンタジー、こけおどしみたいに大量の擬音を放り込んだだけの肩透かしホラー、解決篇を前に完全に息切れして放り出されてしまったミステリ、どれもこれも本当に真面目に書く気があるのだろうか、という代物だった。心底、不愉快だった。こいつら何年小説を書いてるんだろう。まだ書いて、数ヶ月しか経っていない俺のほうが、ずっと良いものを創っている。
何よりも許せなかったのが、佐藤蓮って奴の書いた『言葉の裏側』とかいう小説だ。小説を書いている奴をただただ馬鹿にしただけの空虚な小説だ。いやこんなもの、小説とも呼びたくない。こんなのが文学然とした態度を取っているのがムカつくのだ。俺のほうがずっと文学じゃないのか。しかもこいつ、『XXX』では字数制限の140字の短い小説を書いているのだが、文章は粗いし、オチの付け方も下手で、こんな小説を書いて恥ずかしくないのだろうか、といつも思ってしまう。
ただ投稿サイトには良いところもある。ここには透明性がある。
俺はそろそろ他者に自分の作品を見せる段階に来ている。
コンテストは前に気付いてしまった通り、出来レースが行われている可能性が高い。N文学賞だけじゃない。きっと他のコンテストだって、同じようなことがあるはずだ。密室の見えないところで決めていることなんて、信用してはいけない。
俺の作品がどれだけ素晴らしく、俺にどれだけ将来性があろうと、スタートラインに立てないまま、弾かれてしまう。そんな馬鹿なことがあってたまるか。
その点、『カケヨメ』なら、そんなことはない。すべての作品が公開されている。
しかも作品のレベルも、俺の文才を考えれば、じゅうぶんに高い評価を得られるに違いない。実際、三流以下の小説が持てはやされている。
俺は書いている、『佐川』と『由衣』の物語を『カケヨメ』に投稿する。さすがに登場人物の名前は変えた。変えたのは『カケヨメ』に投稿する分だけで、実際書いているほうはそのままにしているから、現実がそれでどうかなったりはしないだろう。
名前はまったく違う名前をした。『西条』でも『リナ』にも、もちろんしていない。最初はそうしようか、とも思ったが、結局やめることにした。俺の作品がバズってしまって、万が一、『西条』の目にでも入ってしまったら大変だ。
投稿する。
一週間が経った。
まったく読まれない。サイトの不具合だろうか。そうか、タイミングが悪かったのか。俺は運が悪かったんだな。
……もうちょっと待ってみよう。
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