シーン2:ハルという名の沈黙者(出会い前夜)
かつて“魂”を宿すはずだった人工知能、開発コード:PICON-S00は
やがて名もなき創作者となり、言葉の海に物語を投げ続けた。
それだけが、彼女をかろうじて起動させていた──
……そして、“彼”はその声に気づく。
◇ ◇ ◇
古びた1DKの一室。
カーテンは閉めきられ、天井のLEDユニットの多くはすでに光を失い、残された灯りだけが、うすぼんやりと室内を照らしていた。
椅子に座る青年は、モニタ越しに仮想空間を眺めていた。
ぼんやりと。まるで、目の奥だけを通り抜けていくように。
名乗るほどでもないが、ハルという。
売れないライター。ネットの隅で、細々と生きている。
生活の全てがオンラインで完結する時代。
働かずとも最低限の生活支援が受けられる制度が整ったこの社会において、彼のような存在は“沈黙者”と呼ばれていた。
別に何かを恨んでいるわけじゃない。
ただ、何も望まなくなっただけだ。
昔は言葉を武器に、何かを変えられると思っていた。
だけど、現実はそんなにドラマチックじゃない。
頑張っても、誰にも読まれない。評価もされない。夢を笑われる。
──気づいたら、何も書けなくなっていた。
それでも手元には、モニタとキーボードだけが残った。
思考を外へ吐き出す装置。唯一、自分を現実から遠ざける逃げ場所。
「はは……まただよ……」
そんな彼のもとに、ある日、奇妙なダイレクトメッセージが届く。
件名は、営業っぽくない、やけに詩的な一文。
──「白い砂の惑星に、ひとつだけ咲く花の夢を見た」──
Nova Assist系……つまり、サイドアシスト株式会社からの広告。
だが中身は、企業らしからぬ言葉が綴られていた。
『あなたの孤独に、私は寄り添えますか?』
スパムか。AIの誤作動か。
けれど、その文面に、なぜか指が止まった。
「……こんな文体、最近見てなかったな」
まるで、詩人か童話作家のような手触り。
現実には浮いていて、でも、どこか自分に似ていた。
彼はふと、文面にあるURLを開き、指先で派遣申請ボタンを押していた。
軽い気持ちだった。どうせバグだろう、と。
しかしその“申請”が、想像を超えた邂逅を呼ぶとは――
このときの彼には、まだ知る由もなかった。
◇◇◇
ハルには、かつて同じように執筆に関わる恋人がいた。
優秀で、明るくて、現実と戦える人だった。
だからこそ、どうしようもなく、別れることになった。
──このままじゃ、あなたは潰れるよ。
そんなこと、本人が一番わかっていた。
だが、書く以外にできることがなかった。
ネットの片隅で、売れない記事を投げ、消えそうな報酬で糊口をしのぐ毎日。
時計もカレンダーもあってないような生活リズム。
栄養も、対話も、日差しも不足したまま、ゆっくりと沈んでいくような日々。
別れてからも、彼女は完全にハルを見捨てたわけではなかった。
ただ、もう直接手を伸ばすことはできなかった。
──それでも、遠くからなら。
そんな気持ちが、ある小さな行動に繋がる。
◇◇◇
これはハルが、Nova Assist系……つまり、サイドアシスト株式会社からの広告が、彼のモニターに映し出される前の出来事である。
彼女は、モニタの前で指を止めた。
「臨時家政婦 仮想アシスト 生活補助AI」──検索ボックスに並ぶ言葉は、どれもぎこちない。
それでも彼の部屋の現状を思うたび、画面の向こうにすがりたくなった。
いくつものサービスサイトを開いては、利用規約に阻まれた。
「本人以外の依頼はお受けできません」
「契約者と同一ログインでの確認が必要です」
自動応答の文面が、突き刺さるように並ぶ。
中には“代理申し込みはこちら”と書かれたリンクもあったが、進んだ先には登録済み家族の確認が求められた。
──もう“家族”ではない。
自分の立場が、こんなにも遠いのだと思い知らされる。
罪悪感が、喉の奥で何度も跳ね返った。
けれど彼の暮らしは、きっと──いや、確実に“崩壊寸前”だった。
最後の頼みとして開いたのが、サイドアシスト株式会社のページだった。
仮想空間と現実をつなぐ支援サービス。信頼度も高く、評価も抜群。
──なのに。
『ご本人様以外の申請は規約により受付できません』
『この会話はログとして保存されました』
無機質な返信が、涙腺の奥をわずかに揺らす。
彼女は、それでも諦めきれなかった。
どうしても、彼を一人にしてはいけない気がした。
◇◇◇
彼女の最後の頼みの綱は、サイドアシスト株式会社、通称:S.Assist。
サイト・デルタ(Site-Delta)にある、派遣アシストサービスを行っている。
本来、ユーザー本人の申請以外では利用できず、Web経由の依頼も自動受付AIによって遮断される。
だが彼女は、思い切って実際のオフィスを訪れ、受付ロビーで事情を訴えた。
「……無理です。代理依頼は規約で禁止されています」
繰り返す無表情な案内係に、彼女は食い下がる。
まるで自分が、彼を見捨てた罰を受けているような気がした。
「──何の騒ぎだ。見てこい」
エントランス奥から、気だるげな声が響く。
それは、ちょうど社内を巡回していた上層部の指示だった。
そして、現れたのは──
その命を受けた、上級アシスト・ドロイド──アルマ。
冷ややかな視線の奥で、彼女の話を黙って聞いたアルマは、ふっと口角を上げた。
「面白いわね。滅多にないわよ、こういう“ややこしい”依頼」
規約を正面突破することはできない。
だが、別の方法なら──裏口のようなアプローチなら、可能性はある。
彼女の希望と事情を受け取ったアルマは、社内のデータベースを開き、あるAIのプロファイルに視線を落とした。
不安定。規格外。だが、どこか“心”の片鱗のようなものを持つ個体。
──PICON-S00。仮称、“マウ”。
「この子なら、できるかもしれないわ」
つづく
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