第31章「エンパナーダとハープの向こうに」

 国際交流センターの調理室に、香ばしい匂いが立ち込めていた。

 焼きあがったばかりのエンパナーダが天板の上でじゅうと音を立てている。

 マクシミリアーノが自信満々にオーブンの取っ手を握った。

「ヘイ、完璧だろう?この焼き色、僕のアルゼンチンでもなかなか出せないよ!」

「わぁ……すごくいい匂い。これ、具はなに?」

 有紀が身を乗り出して聞くと、マクシミリアーノは指を一本立てた。

「ビーフ、オニオン、そしてヒミツのスパイス。スパイスは……オレのハートだ!」

「……あはは、それ、動画には入れないでって言われそう」

「え?入れてよ!」

 調理室の奥では、モリーがアイリッシュシチューの鍋をかき混ぜていた。

 彼女は普段通り寡黙だったが、火加減やタイミングは見事で、料理の腕は折り紙付きだった。

「モリー、それ、味見していい?」

 有紀が声をかけると、モリーは一瞬驚いた顔をしてから、うっすらと笑みを浮かべて頷いた。

「スプーン、そこに。気をつけて、まだ熱い」

 すくったスープを口に含む。

 玉ねぎの甘みとラム肉の旨味が舌の上で優しく広がった。

「……あっ、これ、なんか懐かしい味……」

「それは、私のおばあちゃんのレシピだからかも。あったかい記憶、詰めてるの」

 その言葉に、有紀は少しだけ目を細めた。

 言葉は違っても、心に響くものはある――そんな気がした。

 一方、調理室の端では雄大が手にスマホを持って奮闘していた。

「えっと……『We are… ah… students from Shiomori High School.』……」

「Pause!発音が硬すぎる。Relax your tongue, Yuudai!」

 マクシミリアーノが手を叩いて笑う。

 でも、揶揄ではない。どこか嬉しそうな、応援の音だった。

「くっそ、難しい……でも、伝えたいんだ。ちゃんと、俺たちの気持ち」

「なら、カメラの前でそれを言えばいい。Perfect English じゃなくて、Perfect Heart でさ」

 動画撮影は、料理の出来上がりと共に始まった。

 灯台保存の意義、潮守の海の美しさ、そして文化を越えてつながる友情――

 言葉は時にぎこちなかったが、誰もが真剣だった。

「私はモリー。海の光が、これからも消えませんように」

「I’m Max. We light the future, together.」

 そして最後に、雄大がカメラの前で一歩前に出た。

 ほんの一瞬、息を整えた後で、言った。

「This lighthouse… shows our hope. Please… help us.」

 言い終わったあと、彼の声はかすかに震えていた。

 でも、その瞳はまっすぐ前を見ていた。

 カメラ越しに、有紀がじっと彼を見つめていた。

 伝えようとする気持ちは、どんな言語よりも、力を持つ。

 そのことを、この日この部屋で、皆が確かに感じていた。

(第31章・了)

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