第19章「暗闇と手のひら、心の灯火」
6月10日(土)夜――
潮守灯台の下にある資材倉庫には、湿った海風の匂いが漂っていた。
集まったメンバーがそれぞれの作業を終え帰っていく中、
最後に残ったのは雄大と有紀。
「この在庫表、こっちの分と突き合わせるね」
有紀はヘッドライト代わりの小さな懐中電灯を掲げ、メモをめくっていた。
真面目で、細かくて、きっちりしている彼女らしい姿。
雄大は脚立に乗って、棚の上段の段ボールに手を伸ばしていた。
「こっちも終わった。……あれ、電気……?」
ふいに、蛍光灯がふっと消えた。
「え?」
「うそ、ブレーカー?」
一瞬の沈黙。
そして――有紀の息が浅くなるのを、雄大は聞いた。
「……だ、だいじょうぶ。きっと、一時的な……」
彼女の声は明らかに震えていた。
“予定外の出来事”に弱い――それは雄大が知っている彼女の一面だった。
懐中電灯だけが、小さな輪郭を照らす。
その光の中で、有紀の頬に滲む汗が、宝石のように光っていた。
「有紀」
「……うん」
「手、出して」
「え……?」
「怖いとき、誰かの手を握ると、安心するって……ばあちゃんが言ってた」
一瞬の間。
それから、有紀はそっと手を伸ばした。
雄大の手は、少し冷たくて、でも――しっかりと、あたたかかった。
闇の中で、彼女の呼吸が少しずつ落ち着いていくのが、伝わってきた。
「……ありがと、雄大くん」
「うん」
ほんの短い会話。
けれど、光もない空間で交わしたその言葉は、灯台の灯よりも確かだった。
「ほんと、停電なんて……よりによって私たちのときに」
有紀の声に、まだかすかな震えが混じっていた。
けれど、それは恐怖ではなく、予定が崩れたことへの戸惑いだった。
「ごめんね、急にパニックみたいになって」
「そんなことないよ。俺も最初びびった」
雄大はそう言って笑った。
その笑いは、彼の人柄そのもののように、誠実で、相手の気持ちを包み込む。
「私ね……予定どおりじゃないと、不安になっちゃうんだ。小さいころからずっと。台本がないと演じられないみたいに。頭ではわかってるんだけど……心がついてこない」
「……俺は、逆かも。台本もらっても、読むのに時間かかる。役に入るのが苦手でさ」
「ふふ……面白いね。真逆だ」
二人は、互いの手をまだ握ったままだった。
暗闇に慣れた目では見えないはずの心の輪郭が、不思議と、はっきりと見える気がした。
「……でもね、今はちょっと思った。誰かがそばにいてくれるだけで、台本がなくても進める気がするって」
「それ、俺にも言えるかも」
倉庫の外から、小さく波の音が届いた。
どこか遠くで、町の灯りが瞬いた気がした。
「……明かり、つかないね」
「うん。ま、でも、悪くない」
「うん。……悪くない」
ゆっくりと、有紀が雄大の肩にもたれた。
小さな沈黙が、倉庫の中を包む。
不安は、ふたりで分け合えば小さくなる。
暗闇も、ふたりでいれば、光になる。
そして――その夜のあと、
有紀はスケジュール帳の余白に、小さな「予定外の時間」を書き込むようになった。
「雄大くんと、倉庫で話した夜。あたたかかった」
灯りは消えても、心には火が灯る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます