第9章「波の音と焼きそばの煙」
5月3日、水曜日。憲法記念日。
潮守市の海沿いに広がる小さな広場には、朝から人の流れができていた。
「潮守フリーマーケット」──灯台修復プロジェクトの資金集めの一環として、生徒と市民が協力して行うイベントだ。
「うわ、焼きそばのソースがもう香ばしい……」
有紀は風に乗って流れてくる匂いに、思わず空を仰いだ。
海の近くなので風は強く、テントの屋根がしきりにバタバタと揺れている。
その中心近く、鉄板の前で腕まくりをしていたのは、雄大だった。
水泳部で鍛えた腕と体幹を活かし、黙々と麺を炒め続けている。
「寺島くん、補充頼んだよー! ソース追加!」
「了解」
「ついでに笑って~!」
「……無理」
厨房担当の郁也が茶化しながら指示を飛ばし、雄大はそれに黙って応える。
焼ける音、笑い声、行列。いつもの教室では見られない彼の姿に、有紀は少しだけ立ち止まってしまった。
「おーい有紀ー!キャンドルコーナーも準備急いで!」
愛未の元気な声が飛んでくる。文化連携班が出すブースでは、手作りキャンドルや写真ポストカード、灯台グッズなどを販売していた。
「は、はいっ!」
気持ちを切り替えて、段ボール箱からキャンドルを並べていく。海をイメージした青と白のグラデーション。紙タグには、有紀が一つずつ書いた“灯りをあなたに”というフレーズが揺れていた。
「素敵ね、このデザイン」
「ありがとう……ございます」
「中学生の娘が灯台ファンでね。贈り物にちょうどいいわ」
市民の女性が笑顔で購入してくれたとき、有紀は自然に「ありがとうございます」と頭を下げていた。
少しずつ、人と交わることに、肩の力が抜けてきていた。
一方その頃、焼きそばテントでは別の戦いがあった。
「郁也、火力強すぎだって。焦げる」
「いやいや、これくらいが“香ばしさ”ってやつよ」
「香ばしいっていうか、もはや黒い」
「ビジュアルよりスピード重視! 寺島は真面目すぎんの!」
「……もうちょい真面目にやってくれ」
いつも通りのやり取り。けれど、郁也は時折、ちらりと観客席に視線をやる。
「なぁ、お前、有紀ちゃんのこと、気になってるだろ」
「は?」
「ま、いいや。今は焼く。語るのは夜にしな」
雄大は答えず、鉄板に視線を落とした。
そのとき、有紀がちょうど前を通った。
目が合いそうで、合わない。
けれど、一瞬だけ、風が吹き、その間の距離がふわりと近づいた気がした。
午後二時。陽が高くなり、会場の活気も最高潮を迎えていた。
観光客、地域の親子連れ、校内ボランティアたち。
潮守の浜辺に、こんなにも人が集まったのは久しぶりだ。
「キャンドル、あと10個で完売だよ!」
愛未の声がはずんでいた。
有紀は、手に持っていた釣銭袋をぎゅっと握る。
(売れる、ってこんなに嬉しいんだ……)
汗ばんだ手のひらと、潮風。
灯台に「灯りをともす」ために、一人ひとりが誰かの手に火を渡しているような感覚があった。
そのとき、愛未がスマートフォンを構えながら言った。
「ラストスパートで配信回すね!有紀、インタビューいける?」
「えっ……あ、あの……」
「……私が代わろうか」
静かに背後から現れたのは朱音だった。
「やっぱり“できること”を並べるって言ったでしょ? 有紀は今、それをちゃんとやってる」
有紀は戸惑いながらも、小さくうなずいた。
「うん……ありがとう」
その頃、焼きそばテントでは、ついに用意していた麺のラスト1パックが鉄板に乗せられていた。
「これでフィニッシュか。あー疲れた」
郁也がタオルで額をぬぐいながら声を張る。
「最後のお客さーん、今日イチうまいの作るよー!」
雄大は黙々と鉄板に向かいながら、ある一人の姿を探していた。
──有紀は、どこかにいるだろうか。
──あのとき、図書館で言った「違う景色」、見えてるだろうか。
ふと、音楽が聞こえてきた。
生徒会の有志が、即席のステージで演奏を始めていた。
吹奏楽部の仲間も数人、ホルンとクラリネットで海風に乗せてメロディを流している。
有紀は立ち止まって、それを聞いていた。
そのすぐ近くに、キャンドルが並ぶ机がある。
紙タグが風に揺れ、“灯りをあなたに”の文字がきらめく。
「……あ、これ、手書きなの?」
「はい。全部、自分で書きました」
「すごいね。灯台って、本当に守られてるんだなって感じる」
市民の声に、有紀は照れくさそうに笑った。
そして、目を上げる。
焼きそばの行列が少しずつ減っていき、その向こう側。
汗だくの雄大が、ふとこちらを向いていた。
お互いの視線が重なる。
遠くからでも、それは分かった。
──ありがとう。
──ちゃんと、やれてるよ。
言葉ではなく、目が伝え合っていた。
夕方。バザー終了のアナウンスと同時に、拍手が広がった。
灯台修復資金、目標額の“半分”に到達。
けれどその数字以上に、今日一日で得られた“熱”は、ふたりの胸にしっかりと残っていた。
後片付けのあと、有紀はそっと雄大のそばに立った。
「……焼きそば、お疲れさま」
「ありがとう。……キャンドルも、すごくよかった」
「うん。……なんか、ちゃんと“並べられた”気がする」
「俺も、今日の景色、覚えておく」
それは確かな“約束”だった。
潮風の中でかわされた、言葉にしない誓い。
明日もまた、灯台に向かう道を歩いていく。
別々の足取りであっても、同じ光を見つめながら。
(第9章 了)
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