灯をつなぐ、君のとなりで

mynameis愛

第1章「春の教室に、灯がともる」

 桜の花びらが、風にのって教室の窓からひらひらと入り込んできた。潮守高校の始業式。新しいクラスの発表が終わり、生徒たちは掲示板の前でざわついている。

「え、あたしあの子とまた一緒!」「まじかよー、3年連続!」――そんな声が飛び交うなか、雄大は廊下の端で静かに自分の名前を探していた。目立つのは得意じゃない。でも、内心ではいつも期待してしまう。誰かと“つながる”きっかけを。

「……五組、ね」

 貼り出されたクラス表の中に見つけた自分の名前。その下、すぐ隣にあるもうひとつの名前に目が留まった。

 ――木村有紀。あの、柔らかい雰囲気の……。

 少し胸が高鳴ったのを、自分でも意外に思った。彼女のことを深く知っているわけではない。けれど、吹奏楽部の演奏でソロを務めていたのを、去年たまたま文化祭で見ていた。きりっとした表情と、演奏が終わった後の安心した笑顔が、なぜか印象に残っている。

 教室に入ると、既に何人かが席を決めて鞄を下ろしていた。窓際から三列目、雄大の名前が書かれた札の隣に「木村有紀」の札。隣、というだけで妙に意識してしまい、無意味に机の角を指でなぞる。

「えっと……こんにちは。あ、同じクラスになったの、初めてですよね?」

 その声に、思わず顔を上げた。有紀が、春色のカーディガンを羽織って、ほんの少し不安げに立っていた。

「あ、うん。俺は……寺島。寺島雄大」

「うん、知ってる。去年、図書室で何回か見たかも。いつもひとりで本読んでたよね」

「……あ、そっか」

 会話が止まった。気まずさを避けるように、雄大はカバンから教科書を取り出してみせる。だが有紀は、それ以上は話しかけてこなかった。隣の席に腰を下ろし、鞄を整えてからノートの余白に日付を書く。几帳面な文字。線の引き方ひとつに、性格が出ている。

 始業式が終わり、担任がざっと自己紹介と連絡事項を読み上げた後、配られたプリントの中に一枚、カラフルなチラシが混ざっていた。

《潮守灯台保存プロジェクト・高校生ボランティア募集》と大きな文字が躍る。

「これ、なんだろ……」

 有紀がぽつりとつぶやく。雄大も、手元のチラシに目を落とした。夕暮れの灯台が写った写真。空に朱が混ざり、波のきらめきとともに白い灯台が静かに佇んでいる。

「この灯台、たしか……」

 雄大の声が自然と漏れる。そう、小さい頃に祖父が連れて行ってくれた場所。そこで聞いた言葉が、今も頭の隅に残っていた。

『潮守の灯台の灯は、願いを照らす。』

 たったひとつの灯りが、誰かの心を照らす。そう信じていた幼い日。あれから何年も経って、忘れかけていた記憶が、いま目の前のチラシによって呼び起こされた。

「行ってみようかな……」

 雄大がぽつりと呟くと、有紀は驚いたように顔を向けた。

「え、今の言葉……本気?」

「……ああ、いや、なんとなく。昔、行ったことがあるんだ。あの灯台」

「へぇ。あたし、実は……行ったことないかも。気にはなってたけど」

「じゃあ、もしよかったら、一緒に……」

 言いかけて、喉がつまった。どうしてこんなにも声が出にくいのか、自分でもわからない。心を開くのに、時間がかかる。自分の言葉が、相手をどう受け止めるかが怖い。

 でも有紀は、少しの沈黙のあとで、ふっと笑った。

「今週末、説明会があるって書いてる。……行ってみようか」

 その笑顔は、春の光よりも柔らかく、どこかでずっと見たかったものだった。




 土曜の午後、潮守の風はまだ少し冷たい。だが、潮の香りは春の海の匂いになりつつあった。説明会の当日、雄大は自転車で灯台近くの広場に向かった。

 風を切る音のなかに、遠くからブラスバンドの音が微かに聞こえた気がした。有紀がどこかで練習しているのだろうか。そんなことを思っている自分が少し不思議だった。

 広場にはすでに数人の高校生が集まっていて、ヘルメット姿の女性がホワイトボードを立てていた。短めの髪と、はっきりした口調。――鮎美という名前が、すぐに耳に入った。彼女がリーダーのようだった。

「今日来てくれた皆さん、ありがとう! 潮守灯台の修復は、自治体と地域住民、そして――君たち高校生の力にかかっています!」

 気負いすぎない明るい言葉に、周囲が少しずつほぐれていく。雄大は少しだけ離れた場所に立ち、全体を眺めていた。そこへ、有紀がやってきた。

「遅くなってごめん、部活が押しちゃって」

「……ううん、大丈夫」

 言葉が短くなる。だが、彼女は隣に並んで立ってくれた。それだけで、少しだけ安心した。

 ヘルメットを渡され、灯台の裏手の補修現場を案内される。潮風にさらされた鉄骨、ひび割れた階段、錆びた手すり。思っていたよりもずっと老朽化が進んでいた。

「これが、願いを照らす灯……か」

 雄大の言葉に、有紀が振り向く。

「さっき言ってた話、聞かせてくれる? 昔、来たことあるって」

 雄大は、小さくうなずいて話し始めた。祖父に手を引かれて登った階段。真夏の陽射しと、灯室から見た眩しい水平線。

 そして、「願いを照らす」という灯台の伝説。

「……でも、灯りなんて、どうせ遠くの誰かのためにあるだけで、自分のことなんて誰も見てないって……思ってた」

 その言葉を、有紀は黙って聞いていた。

 風が吹いた。スカートの裾がふわりと揺れた。彼女は、ゆっくりと口を開いた。

「でも、灯って、そこにあるだけで、安心できるよ。……あたし、そういうの好きかも」

「安心、か」

「うん。予定通りじゃないと不安になるタイプだから」

 彼女は冗談のように笑った。でもその言葉の裏に、何かぎこちなさのようなものが見え隠れした。

「じゃあさ、ここで……一緒に灯せたら、いいね」

「え?」

「本当に願いを照らせるか、確かめてみようよ。――一緒に」

 その一言は、雄大自身も驚くくらい素直だった。

 有紀は、目を丸くしてから、少しだけ頬を赤らめた。

 そして、まっすぐにうなずいた。

「うん……一緒に、やってみよう」

 この春、潮守の風はまだ冷たい。けれど、ふたりの間にともった灯は、確かに小さなぬくもりを持っていた。

 ――灯台のように、誰かの願いを照らすために。

 そしてきっと、自分たち自身のためにも。

(第1章 了)

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