代書屋ヒイラギと花言葉
クリヤ
第1話 別れと紫陽花
(1)月見坂商店街
駅の改札を通り抜けると、南口から出て小さな駅前商店街へ向かう。
商店街といっても数軒の店がポツンポツンと道路沿いにあるだけ。
急行電車の停まらない私鉄の小さな駅前のありふれた光景である。
商店街を抜けた先を右に折れる。
緩やかな坂道に向かって歩き始めるとすぐに、古ぼけた鉄製のアーチが目に入る。
白く塗られていたはずのそのアーチは、今や塗装のあちらこちらが剥げ落ちて、錆びついた鉄の茶色のほうが目立つほどになっている。
それでもアーチの真ん中には『月見坂商店街』の文字がはっきりと読み取れた。
「名前だけはキレイだわ……」
ユカリは立ち止まると、そのアーチを見上げて呟いた。長い間ひとりで暮らしているせいか、つい独り言が出てしまう。
この坂を上ると月が綺麗に見えるのかも?
でも今だと昼間だから見られないな、少し残念だわ、などと今度は胸の中で呟きながら、ゆっくりと坂の上へと進み始める。
こちらは商店街とは名ばかりで、駅前商店街よりもさらに少ない店々を通り過ぎると、あとは住宅ばかりが建ち並んでいる。
「ほんとにここで合っているのかな」
人通りもほとんど無い平日の昼間の見知らぬ道を歩く不安が、再びユカリに独り言を言わせていた。
とりあえず坂の上まで行ってみよう、そう決めてユカリは少しだけ早足になって進んでいった。
駅から5分ほどと聞いていたのに、ひどく長く感じた坂の上にようやくたどり着く。
坂の上にも住宅が続くと漠然と思っていたユカリの予想を裏切るような意外な景色が彼女を迎えていた。
突如現れた白っぽい石畳の道。それに沿うように大輪のアジサイが咲き誇っている。
小柄なユカリの胸の高さほどの大きさに育ったアジサイは、雨粒に磨かれて鮮やかに光る緑色の葉と水彩絵の具を白い紙にそのまま落としたような青の花が強烈なコントラストとなって目に飛び込んでくる。
思ってもいなかった光景に、ユカリは驚きながらも、既視感と懐かしさを感じていた。
同時に、ユカリの脳裏には甘くも渋い過去の想いが一瞬のうちに煌めいて消えた。
しばらくは息をするのも忘れたように、その場に立ちすくんでいたユカリだったが、体の強張りを解くかのように大きく息を吸うと吐く息に合わせてゆっくりと石畳の道を歩き始めた。
石畳の道の先にユカリがたどり着いたのは、こぢんまりとした一軒家だった。
ユカリが子どもの頃にはどこにでもあったような造りの家だったが、最近ではあまり目にすることが無くなった。
玄関は黒く塗られた格子の引き戸で、すぐ横には『代書 承ります』と書かれた小さな木彫りの古ぼけた看板が申し訳程度に掛かっている。
看板だというのに、まるで見つけて欲しくないかのように。
目的の場所であることは間違いなさそうなので、呼び鈴を押そうと探したが、どうにも見当たらない。
困って辺りを見回してみるものの、どうすることもできない。
「あの〜、ごめんください……」
意を決して、次にユカリが取ったのは昔ながらのやり方だった。
引き戸を開けて、直接、家の中に声を掛けたのである。子どもの頃は当たり前だったのに、久しぶりすぎて緊張したのか、心臓の鼓動が早まる。
引き戸を開けると、戸の内側に取り付けられていたであろうドアベルが風鈴のような涼やかな音を立てる。
「はい。お待ちください」
静まり返った家の中に響くドアベルの音に反応したのか、奥から落ち着いた声が答えた。
ほどなく、昔ながらの住宅特有の、ほの暗い廊下の奥から声の持ち主と思しき人物が現れる。
「お待たせ致しました。こちらへどうぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます