第2話 ソフィア・ブランシェ
彼女が生まれ育ったブランシェ伯爵領は、ほんの数十年前までは大変豊かな土地を有していたのだが、今では見る影もないほどに荒れ野原が広がってしまっている。それというのも、その数十年前に国を襲った
(そうして今では、立派な借金を抱えた貧乏領地になってしまったのだもの)
井戸水ですら、領民のための飲料水をかろうじて確保できるほどの量しかなく。結果、野菜を育てるために他の領地から水を買い求めなければならない始末。とてもではないが、こんな高価な
だからこそソフィアは、今回の依頼を受けることに決めたのだ。なにせ契約金だけでも、残っている借金のほとんどを返すことができる額だったのだから。
(学園でどんなに多くのことを学び、知識を得たとしても、お金を稼ぐというのはそう簡単なことじゃないのよね)
それを身をもって知っていた彼女にとって、借金返済の
そもそも、ここデュロワ王国は十二歳から十六歳までの王侯貴族出身者であれば、無条件に王都にある学園に通うことができる。その間の衣食住は基本的に全て学園側が無償で提供し、そこでは貴族として必要な様々な知識を学びながら、将来のための人脈作りなども可能となっていて。今では子供を通わせないという選択をする貴族は、後ろめたいことがあるのではないかと疑われてしまうほどに、当然のこととして浸透していた。
貧しい領地生活を送っていたソフィアも、当然その期間は学園にお世話になっている。そこには領地から自分が出ることで、少しでも必要になる水や食料を減らしたいという思いもあったが、それ以上に彼女の心に刺さったのは、学園内にある巨大図書室の
(さすがに二年延長して、十八歳までの有償の高等部には通えなかったけれど。それでも十分すぎるくらいだったわ)
ソフィアはその四年間、本当に暇さえあれば図書室に入り浸っていた。それこそ必要そうな知識の書かれた本は片っ端から読み漁り、毎日必死になって知識を頭の中に叩き込んで。
だが本来であれば、伯爵令嬢である彼女にとって学園に通っている間は、結婚相手を探すための絶好のチャンスでもあった。特に貧乏領地だと知られてしまっている手前、名前だけではどこからも家同士のつながりを求められておらず、結果学園に入学するまでの間に婚約者が見つかることはなかったのだから。
しかしソフィアは、その機会を完全に領地のための知識を得ることに捧げた。それこそ、四年間の全ての空き時間と言っても過言ではないだろう。
本音を言ってしまえば、初めから貴族同士のつながりなどには期待していなかった部分も大きいが。それ以上に、ソフィアの本心としては結婚できなくてもいいからまずは領地の立て直しを最優先に、というものがあったのだ。そうでなければ、領民たちもいつ飢えて命を落としてしまうか分からない。そんな状況だったのだから。
だがそのせいで、彼女は当時から自分の身なりというものに、最低限の清潔感を保つ程度の興味しかなかった。もちろん領地の経営状況の悪さによる栄養の不足もあったのだが、それでも肌や髪を整えるための
(でもこれでようやく、領地の経営を立て直せる可能性が出てきたのだもの。このまま依頼もしっかりと完遂して、家族にも領民たちにも快適に過ごしてもらえるようにしたいところよね)
だが十八歳となった今でも、彼女のその考え方に変化はなく。むしろ先ほど揺らぎそうになってしまった決意を、改めて心の中で固めて。高額であろうものばかりが並べられている廊下を無言で歩き続けたソフィアは、やがて一つの広い部屋の中へと案内される。
「お飲み物をご用意いたしますので、どうぞお掛けになってお待ちください」
そう言われて素直にソファーに腰を下ろしたソフィアを見届けて、案内してくれた見目の良い男性使用人は応接間を出て行ってしまった。
けれど。
「……はぁ~」
実はここまで緊張しっぱなしだったソフィアからすれば、ようやく少し解放されたような気分になって気が抜けると同時に、大きなため息が口をついて出てきた。そして体の力を抜いたことで、今さらながらに気付く。
「え、待って。このソファー、なんでこんなにも座り心地がいいの……?」
実家のカントリーハウスにあるソファーは、長い間買い替えるのはもちろんのこと適切な手入れもできていなかったせいで、長時間は座っていられないほど硬くなってしまっているというのに。アマドゥール公爵邸の応接間のソファーは、しっかりとした柔らかさとゆったりとした沈み込みにより、どれだけ長い間座っていても問題なさそうなほど快適な座り心地を提供してくれていた。
「……家具一つとっても、こんなにも違うものなのね」
悲しいような情けないような、けれどどこか諦めにも似た境地にまでたどり着いてしまっていたソフィアは、今度は小さくため息をついて。せっかくならばと、その座り心地を堪能することにしたのだった。
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