第3話 人は追いつめられると人柄が出る
その日。梅沢市は気温が四十度近くになっていた。外にいるだけでじんわりと汗がにじむ。呼吸が苦しいくらいの陽気だった。腰を落として、一つずつ草をつまんで抜いていく。北側は、木々が覆い茂っているおかげで、日陰になっているのだけが救いだった。
(事務所の蒸し暑さに比べたら、少しは過ごしやすいのかもしれないな)
時折吹く風は熱風とは言え、それでも汗ばんだ頬の熱を吸い取ってくれるような気がした。
星野は几帳面な性格だ。丁寧に一本ずつ着実に草を抜き取っていく。ところが、尾形が担当している場所は、草がたくさん残っていた。ずぼらな性格がこんなところでも出るものか、と苛立った。
文句を言おうかと口を開くが、やめておく。尾形は巨体を小さくして、せっせと草をむしっているのだ。彼は彼なりに必死なのかもしれない。そう自分に言い聞かせる。そうでもしないと、このイラついた気持ちを誰かにぶつけかねないからだ。
(尾形を見ない。尾形を見ない。尾形を見ない……)
呪文のように自分に言い聞かせながら、反対の熊谷蒼を見る。彼は時々タオルで額の汗をぬぐいながら草を丁寧に抜いている。この調子では、いつ終わるかわからない、というくらいスローだが。喘息持ちの彼にとったら、これが精いっぱいだろう。
漆黒の髪が汗で濡れている。
星野は気の毒そうに肩を竦めてから、再び尾形に視線を戻す。すると彼は「終わりましたよ」と不意に声を上げたのだ。
「お前のそれの、どこが終わったってーんだよ」
「え、見てくださいよ。おれの持ち分は終わりです。悪いですけど、先に事務所に戻らせていただきますね」
彼は「よっこらしょ」と腰を上げる。その瞬間。星野の中でなにかが切れる音がした。
「尾形。てめぇ、ふざけんなよ。この野郎! 草、残りまくりじゃねーか。もっと美しくにむしれ。じゃねえと、また課長にヘル作戦発動されんだぞ?」
「えー。そんなこと言ったって。個々人の能力って差があるわけじゃないですか。おれの場合、指が太いから細かいものがつまめないんですよ~。これ、限界っす。もう無理っす」
「そんな言い訳が通じるか。ボケ!」
星野はそばにあったタオルを尾形に投げつける。尾形は「暴力反対~」と舌を出した。星野は「ち」と舌打ちをした後、「見てみろ、蒼なんて。丁寧な仕事してんぞ」と言いながら、彼に視線を戻す。
しかし蒼の反応はない。星野は心配になって、彼の元に歩み寄った。それでも蒼は黙々と草をむしっている。
「——おおい。蒼。大丈夫かよ? 息苦しいんじゃねえの」
蒼は首にかかっているタオルで額を拭ってから、顔を横に振った。
「息、苦しいですね……。星野さんたちもですか?」
「まあな。けど、お前は喘息持ちだから。余計に辛いだろう?」
「いえ。きっとみんな一緒ですよ。大丈夫ですから」
蒼は星野を見上げると笑みを見せた。
(まったく。本当にいい子ぶるんだらかよ)
星野は「ち」と舌打ちをした。蒼は先に事務所に帰るように言ったところで聞く人間ではない。「めんどくせぇな」と星野は内心呟いた。
「仕方ないですよね。体温より気温が高いんだ。呼吸、うまくできないのは」
尾形が「体温よりも高いって。もう殺意しか感じられませんよ。これは」と地面にどっかりとお尻をついた。
「こんな時に草むしりの指令だす課長は鬼だ。あれは悪魔だ。ひどい仕打ちです。これ、人事に訴えてもいいですか?」
彼は「ふうふう」口で息をした。
「やめておけよ。人事に訴えるとお前が逆に目つけられんぞ」
「そんな~。パワハラされているっていうのに。訴えた方が悪くなるんですか?」
「組織ってーのはそんなもんだ。面倒くせー奴が打たれる。黙って上の言うこと聞く奴のほうが重宝されるんだ」
別働部隊の氏家、高田、吉田も座り込んでいる姿が見えるが、大して作業をしているようには見えなかった。
(大体やりゃいいのか。課長だって、おれたちが美しく景観を整えることを望んじゃいねーだろうし)
星野は額の汗を拭った。すると、ふと人が近づいて来る気配がして、はっと顔を上げた。
「あのぉ」
そこには、男子高校生が一人立っていた。
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