04-08


  *


「『やくさいさま』の……復活? それはどうして、何の為にそんな、恐ろしい事を……」


 志恵は恐怖に顔を歪めた。祭壇に祀られた像と理事長達を交互に見遣る。いつの間にか、野槌と黒塚が祭壇の傍から離れ、理事長の側へと歩み寄っていた。何が起きているのか理解出来ず、他の『やくさいさまの集い』会員達はその場に立ち尽くしている。


「羽々木君、と言ったかな。君が理解する必要は無い。君はただ、受け入れるだけで良いのだよ。この崇高なる悲願の要石となれるのだ、誇りに思うがいい」


「っ、何を、勝手に……」


 志恵はいよいよ粘度と深さを増した泥濘から足を抜き、呪法陣からの脱出を試みる。しかし陣の周囲にはまるで硝子の壁があるかの如く、逃亡を阻む結界が張られていた。絹田さんを抱えたまま志恵は体当たりを試みるも、結界はビクともしない。絶望に蒼褪める視界の隅で桐野が身を揺らし、そして更に幾つもの腕が泥から突き出すのが見えた。


 りりん、ちりちり、と絹田さんが尻尾を揺らし鈴を鳴らす。桐野達は鈴の影響か近寄っては来ないものの、隙あらばと泥をぼとぼとと垂らしながら蠢いている。その数は全部で八体。一気に襲って来られたら、太刀打ち出来ない数だ。


「──遅くなりました、理事長」


「すみません、足留めに手間取りまして」


 不意に、幾つもの足音と共に声が聞こえた。はっとして志恵が音のした方を向く。男子寮側の通路から現れたのは、四人の人影。


「──世界史の山路先生、体育の火ノ宮先生、保健室の先生に……それに、あれは大乃君……?」


 それらの人物の登場に志恵は動揺を隠せない。同時に、『やくさいさまの集い』会員達からもざわめきが起こる。


 集まったのは十一人、どれも志恵にとっては見知った顔だった。土岐は一般の生徒には馴染みの薄い人物だが、『植物研究会』所属の志恵にとっては、何度も話した事のある近しい人間だ。男子寮の寮母伏見も普段の関わりこそ無いものの、全く知らない訳ではない。


「……全員揃ったな? さあ、これでようやく儀式が進められる」


「もう『やくさいさま』の目覚めは始まっているようっすね。『ヨモツシコメ』が湧き出してるのがその証拠っす」


 十人の『蛇』達に目を遣る理事長に、大乃が陣を指刺しながら応える。クラスメイトでもある大乃の言葉に、志恵は愕然とした。大乃は桐野達を指して『ヨモツシコメ』と称した。それは昔、日本神話で読んだ事のあるイザナギとイザナミの話に出て来る、イザナミの手下の名ではなかったか──。


「待って、今、ヨモツシコメって……! じゃあ、じゃあ、もしかして、やくさいさまって……!」


 叫ぶ志恵に、担任の若城が声を掛ける。その表情は、何を今更、という呆れを含んでいる。


「そうだ羽々木、『やくさいさま』はイザナミ様なんだぞ。そうか、知らなかったんだな。まあ仕方無いか、羽々木は理系志望だもんな」


「いいえ若城先生、文系でも日本神話は範疇外ですわよ。何せ日本史の教科書に神話は載っておりませんもの」


 若城の言葉に野槌が肩を竦めて返した。この異質な空間で交わされる余りにも日常めいた会話に、志恵は眩暈を覚えそうになる。そしてそんな二人を諫めるように、理事長がジロリと皆を睨み付けた。


「そんな話はどうでもいいだろう。これからイザナミ様が復活するのだ、気を引き締めろ。──さあヨモツシコメ達よ、そのお嬢さんを拘束しろ、但しイザナミ様の依り代となる大事な身体なのだ、丁重にな」


 鋭く理事長が命令を下す。途端、桐野達ヨモツシコメが動き出した。鈴の音をものともせず、志恵に近付いて来る。言葉にならぬ悲鳴を上げ、志恵はぎゅっと絹田さんを抱き締めた。


 幾つもの手が志恵に伸ばされる。穢れを撒き散らしながら怨念めいた圧が迫る。もう駄目だ──志恵が観念し、目を瞑ってずぶずぶと泥に座り込んだ、その瞬間。


 ──轟、と空気を裂いて何かが飛来した。


 それは鈍銀の燐光を輝かせながら瘴気を割り、術式陣の結界へと突き刺さる。硝子の割れるような音と共に結界が破壊され、そして志恵を護るように目の前の泥濘に突き立った。


 深みのある鈍銀の燐光を纏うそれは、三つ叉の槍。畏れおののくようにヨモツシコメ達が後ずさる。そして、張りのある低く良い声が地下神殿に響き渡った。


「させねェぜ、ンな事よォ!」


 きゅう、と絹田さんが鳴き、声を上げた人物に向かって駆けた。この場の誰よりも背の高いその人物は、絹田さんを受け留めると子狸を肩へと乗せる。かがり火に照らされ口端を歪めて笑う、その人物は──。


「──眞柴先生!」


 志恵が泥の中から叫ぶ。空覇は大股で陣へと近付くと槍を引き抜き、そして志恵へと手を差し伸べた。


「怖い思いをさせてすまなかったな。羽々木、立てるか?」


 真っ直ぐに空覇を見上げ頷くと、志恵はその手を取った。大きくて、熱くて、安心する──その手は以前、志恵をあの沼から助けてくれた手と同じだった。やっぱり眞柴先生だったんだ──志恵の鼓動が強く跳ねる。


 しかし立ち上がりかけたところで、視線の向こう、空覇の背後でヨモツシコメ達が蠢くさまに志恵はハッとする。


「眞柴先生、後ろ!」


「──この、死に損ないどもがッ!」


 空覇が振り向きざま、槍を片手で薙いだ。鈍銀の燐光が斬撃となって孤を描く。ギャアァ、とおぞましい悲鳴を上げてヨモツシコメ達が一撃のもとに霧散する。


「眞柴空覇!? 蛇達が足留めした筈ではなかったのか! それにヨモツシコメ達を屠るなど、な、何と言う事を……!」


「それはこっちの台詞だな。人を人とも思わねェ、死者すら冒涜する所業。反吐が出るぜッ!」


 理事長の怒号が響く。対する空覇は冷静で、しかしその深淵めいた瞳には義憤の炎が宿っている。


「こっちへ! 早く! 巻き込まれたら怪我だけでは済まないぞ!」


 一方、その後ろでは雷火が『やくさいさまの集い』会員達を避難させるべく、安全な場所への誘導を開始していた。もしこのままイザナミが復活したならば、彼らの命もただでは済まない筈だ。


「雷火までもが邪魔をするか……! 計算では千人まであと一人、あと一人でイザナミ様が復活するというのに! 何故邪魔をする!」


 激昂する理事長に、志恵を下がらせてから空覇が向き直る。


「逆に問うが。アンタは何でこんなにまでしてイザナミ復活に執着する?」


「イザナミは死を統べる神であると同時、復讐の神なのだ。最も愛していたイザナギに裏切られ、生者への復讐を誓った神なのだよ。故に、復讐を誓う八色の者にとって、最高の神となるのだ」


「復讐、か。──何にそんなに拘ってるんだ、八色ってのはよ」


 空覇はちらり背後を確認した。雷火と志恵が、気を失った桜谷を二人で運ぶ姿が見える。もう他には誰も残ってはいない。理事長はそれに気付いていないのか、それとももうどうでも良いのか、ますます声を張り上げる。


「──かつて遠い昔、八色(ヤクサ)の村は穏やかな所だった。しかしある時、戦に敗れた落ち武者達が村を訪れたのだ。村人達は不憫に思って彼らを受け入れ、看病し食事と寝床を与えた。やがて回復した彼らは村に感謝し、村で生きると決めた、かに見えた」


「まあ、よくある話だな。それで?」


「しかしある日、彼らは村を裏切った。村の半数を殺し、女達を奪い、村を支配しようとした。凶刃から逃れた村人達は団結し、彼らと戦い彼らを殺した。しかし村人達の怨みは凄まじく、それだけでは怒りが収まらなかった。世の不条理全てを怨んだ。──そして旅の外法者から教わった、イザナミを崇めるに至ったのだ」


 空覇は話を聞きながら半眼で理事長を睨む。──確かに村人の怒りはもっともだ。しかし元は善良な村人達の事だ。何も無ければ、そのまま怒りは大を追う毎に薄まっていったに違い無い。旅の外法者というのがどういう出自かは分からないが、外法者は村人達を利用し、また村人も喜んでそれに乗ったのだろう。


「あと一人で千人だ! しもべたる八色雷公(ヤクサイカヅチ)を揃え、地を死穢で穢し、千人の魂を捧げ、依り代を用意すればイザナミ様は復活する! さすれば八色の絶望を、不条理な世に知らしめる事が出来るのだ! 悲願の達成だ!!」


「……狂ってやがる」


 空覇は奥歯を噛み、理事長と『蛇』達を見回した。平然と頷いている者達が大半だが、火ノ宮や山路のように顔を強張らせ蒼褪めさせている者もいる。彼らとて一枚岩では無いのだ。──そこに勝機がある筈だ。


 ──不意に、地鳴りが聞こえ始めた。志恵の悲鳴が聞こえる。空覇が振り返ると、地面のあちこちが割れ、そこから赤黒い汚泥が染み出している。泥は次々と形を成し、奇怪なヒトガタとなって呻き、蠢き始めた。理事長の哄笑が地鳴りに重なる。


「さあ、イザナミ様の手下、黄泉の軍勢も現れ始めた。──復活はすぐそこだ!」


  *

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る