3-3

 ジェラートとカフェオレを用意してもらっている間に、わたしは瑞己くんにKeiの焼き菓子の包みを渡した。


「はい、これ。口に合ったらいいな。ペンも傘も、台本をぶちまけたときも、バザーのジェラートも、ありがとうね」

「そんな、大したことないです。お菓子、ありがとうございます」


 瑞己くんは焼き菓子の包みを大事そうに両手で受け取った。


「それにしても不思議だよね。ジェラートのときからだとするなら、わたしが壊れものの予知夢を見て、そのとおりに何かが落ちたり壊れたりするところ、全部、瑞己くんも目撃してるんだ」

「全部、ですか」

「今のところね。瑞己くんにはわたしがよくドジを踏むように見えてるんだろうなって思うと、それはちょっとカッコ悪いなって、我ながら情けなくなる」


「最初のジェラートは、そよ先輩が落としたわけじゃなかったでしょう? あのとき、僕、すごいなって思ったんです。全然迷わずに、目の前の女の子に自分のジェラートを差し出しましたよね」

「だって、あの子に泣いてほしくなかったから。それ以外、何も考えてなかったよ」


「直前まで、いちごにするか桜にするか、ずいぶん悩んでいちごを選んだのに、それをとっさに人に譲れるって、すごいですよ。この人はとても優しいんだなって思いました。それで、その数日後にまた図書館で見かけて」

「え、待って待って。本当に、春休みのバザーの件だけで、わたしを覚えちゃってたってこと?」


「すごく印象に残ったんです。あの、四月の公演の打ち上げのとき、そよ先輩とだけは辛うじてしゃべれる理由が自分でもわからないっていう感じのことを、僕、言ったでしょう? 今考えると、バザーで見かけたときの印象があったからだと思います」


 瑞己くんは、そこで一息入れて、さらに続けた。

「でも、本当のこと言うと、もっと前からなんです。そよ先輩のことは小学生の頃から知ってました。登志くんや真くんと一緒に舞台に立ってた姿、覚えてますから。どんな役をやってたか、そよ先輩が小四から小六までのぶんは全部言えます」


 わたしは恥ずかしくなって、つい、おどけてしまった。

「えー、そういう言い方されると照れるよー? わたし、こんな地味なのに、小学校時代の舞台のことまで瑞己くんに覚えられてたなんて。そんなにうまくやれてた? 調子に乗っちゃいそう」


「僕は本当のことしか言ってませんよ。それに、去年の八月公演もです。そよ先輩のこと、小学生のときのあの人だって、すぐにわかったし……あの公演がなかったら、僕、別の高校を受けてました。通信制で、学校に行かなくていいところ」

「そ、そうだったんだ」


「あの舞台を観たから、僕は小梅ヶ原高校に決めたんですよ。自分でもよくわからないけど、変われるんじゃないかって、あのとき感じたんです」

「わたしたちの舞台がきっかけで?」


 瑞己くんはうなずいた。


「僕は出席日数がギリギリで、内申点がかなり低かったんです。だから、本番の試験一発で入らなきゃいけなかった。小梅高ならその方法で入れる枠がちゃんとあるって、真くんに発破かけられて、勉強を見てもらって、どうにか受験前に追いつきました」

「そっか。苦労したんだね」


「はい。でも、これでよかった。やっと、少しずつ、感覚がもとに戻っていくのを感じてるんです。朝起きるとか、制服に着替えるとか、集中して勉強するとか、人としゃべるとか。高校に入ってから、びっくりするほど、僕は変わりました」


 瑞己くんはまっすぐな目をしていた。わたしはドキリとさせられる。

 その瞬間だった。


 パチン、と何かがはじけるような感じがした。はじけた途端、思い出した。夢で見た情景が、今目の前にあるものと重なった。

「あ……」

 わたしはこの場面を覚えている。確かに夢で見た。


「そ、そよ先輩? どうかしましたか?」

 思わず瑞己くんを見つめる。

「わたし、壊れものの予知夢で、今のこの場面を見たの。ねえ、瑞己くんのカフェオレのカップ、青い陶器だよね?」


 瑞己くんが怪訝そうな顔でうなずいた。

 わたしが見た夢では、そのカップが割れる。カフェオレがこぼれて飛び散って、それから……。


 キッチンの奥から「お願いします」という声が聞こえた。楓子ちゃんと詩乃ちゃんがすかさず立ち上がって、キッチンへ入っていった。

 二人はすぐにホールに戻ってきた。楓子ちゃんがわたしのジェラート、詩乃ちゃんが瑞己くんのカフェオレを運んでくる。


「お待たせしました。季節のフルーツ、桃のジェラートです」

 楓子ちゃんに「ありがとう」と言いながら、わたしは上の空だった。詩乃ちゃんの一挙手一投足が気になってしまう。

 そんなわたしの視線が、かえって邪魔になったのかもしれない。

 詩乃ちゃんが上目遣いでわたしをにらんだ。


「なぁに?」

「な、何でもないよ。お手伝い、えらいね。あっ、大丈夫?」


 カフェオレのカップをテーブルに載せる、その動きが危なっかしく見えた。だから、わたしはつい手伝おうとして、手を出してしまった。

 大きなお世話。余計なお節介。

 それは完全にわたしのせいだった。わたしの手を反射的に避けようとして、詩乃ちゃんがバランスを崩した。


 カフェオレのカップが床に落ちるありさまが、スローモーションみたいに見えた。


 ガチャン!

 カップが割れた。カフェオレが床に広がった。

 わたしは固まって動けない。みんなそうだった。

 最初に動きを再開したのは、詩乃ちゃんだった。


「ごめん! ごめんなさい、瑞己兄ちゃん! このカップ、瑞己兄ちゃんのなのに……瑞己兄ちゃんが作ったカップなのに!」


 悲鳴みたいな声で謝るうちに、詩乃ちゃんの大きな両目から涙があふれ出した。

 夏美さんが雑巾やちり取りを手に飛んできた。楓子ちゃんが雑巾を受け取って、すかさず床を拭き始める。詩乃ちゃんは夏美さんに抱きついた。夏美さんは詩乃ちゃんの頭をぽんぽんと優しく叩いた。


「詩乃、これじゃ動けないわ。ごめんなさいね、そよ香さん。服は汚れていない?」

 夏美さんに声をかけられて、ようやくわたしは、はっとして動きを取り戻した。


「わ、わたしのせいです。ごめんなさい。わたしが詩乃ちゃんの邪魔をして……」

「いいえ。詩乃に持っていかせたわたしが悪いんですよ。もちろん、瑞己くんみたいな身内が相手のときしか、こういうことはさせないんです。詩乃もめったに失敗しないのだけど」


 楓子ちゃんがちり取りにカップのかけらを集めている。かけらと言っても、こなごなになったわけではない。大きく四つか五つに割れている。

 瑞己くんは椅子から立って、詩乃ちゃんのそばに膝をついた。泣きじゃくる詩乃ちゃんの頭をなでてあげながら、優しい声で言った。


「謝らなくていいんだよ。形あるものはいつか壊れるんだから。もともと、ひびも入っていたしね。もうすぐ割れてしまうかなって、僕も思ってた」


 その声の優しさに、わたしはたまらない気持ちになった。

「ごめんなさい。わたし……」


 こうなることがわかっていたのに。

 夢に見たとおりの出来事。今までと違って、起こる前に予知夢の情景を思い出せた。なのに、避けられなかった。

 瑞己くんはひざまずいたまま、わたしを見上げて微笑んだ。


「そよ先輩も、気にしないでください」

「でも……そのカップ、瑞己くんが作ったの?」

「はい。ずいぶん昔に陶芸の体験教室で」

「じゃあ、世界に一つしかないものなんだよね。ごめんなさい」


「気にしないでください。ほら、詩乃ちゃんも泣かないで。このカップ、手びねりといって、電動ろくろを使わずに成形したんですよ。だから厚みが均一じゃなくて、たぶん、もともとそんなに頑丈ではなかったんですよね」

「だけど……」


 瑞己くんは困ったような顔で笑っている。

「大丈夫ですってば。これ、僕専用のカップだから、お店の迷惑にはなってないし。僕、しょっちゅうここに来る上に、いつもカフェオレなので、専用のカップを置かせてもらってるんです。このくらい、本当にいいんですよ」


 瑞己くんは平気そうに言ってくれるけれど、わたしも詩乃ちゃんも何て返せばいいかわからない。黙るしかなくて、鼻の奥がツンと熱くなってきた。

 楓子ちゃんが助け船を出すように、乾いたタオルの上にカップのかけらを拾って、瑞己くんに尋ねた。


「瑞己兄ちゃん、陶器って、パテでくっつく? 瑞己兄ちゃんが看板作ってくれたとき、素材に合わせてパテとか接着剤とか使い分けて、いろいろくっつけてたよね」

 ああ、と瑞己くんは手を打った。その顔がパッと輝いた。

「それだ、楓子ちゃん。パテでくっつけて金継ぎをすれば、割れたり欠けたりしたところは全部きれいになる」

「金継ぎって何?」


 首をかしげる楓子ちゃんに、瑞己くんは答えた。


「伝統的なものづくりの技の一つだよ。割れた器を漆で継いで、漆の上に金箔をかぶせる。そうすると、割れた箇所が金色の筋模様になって、初めからそうデザインされていたみたいに、おもしろくて個性的な器に生まれ変わる」

「へえ。その金継ぎってやつ、瑞己兄ちゃんもできるの?」

「駅ビルの書店に金継ぎのキットが売ってた。去年読んだ小説に金継ぎのことが書かれてて、自分でもやってみたかったんだ。このカップで試してみようかな」


 瑞己くんは、楓子ちゃんの手から、割れたカップをタオルごと受け取った。

 夏美さんが仕切り直すように手を叩いた。


「そういうことなら、怪我をしないように、カップを紙で包んであげるわ。瑞己くん、気をつけて持って帰ってね。それじゃ、カフェオレも作り直してきますか。ああ、そよ香さん、ジェラートが溶けないうちに召し上がってくださいね」


 楓子ちゃんが夏美さんを手伝って、床を掃除した道具を片づける。詩乃ちゃんはもう一度だけ瑞己くんに謝って、キッチンに引っ込んでしまった。

 瑞己くんが椅子に座り直して、わたしに笑顔を向けた。


「そよ先輩、ジェラートが溶けますよ?」

「うん……」

「あ、金継ぎがどういうものか、見せましょうか。僕、好きなんですよ。完全無欠で使用されてない美術品より、人の手を経てきたんだなってわかる道具のほうが、親しみが持てるから」


 瑞己くんはスマホで検索して、金継ぎで修理されたものの画像を見せてくれた。茶碗、皿、湯呑み、それから、ガラス細工のかんざしもある。

 普段のわたしなら、「すごいね!」って一緒に楽しめた。欠けがあるのがかえって魅力になる、そういう道具はわたしも好きだ。


 でも今は、つらい。瑞己くんがその手で作ったもの、きっとお気に入りだったはずのものを、わたしが壊してしまったのだから。

 勧められるままに食べたジェラートも、ひんやり甘くておいしいはずなのに、ちゃんと味がわからなかった。


 瑞己くんのカフェオレが運ばれてきた後、お客さんが増えてしまった。だから結局、夏美さんとも楓子ちゃんとも詩乃ちゃんとも、それっきり話せなかった。

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