第二章 君の笑顔と君の陰り

2-1

 ゴールデンウィーク直前の土曜日。

 我らが演劇部のわかば本編公演が市民ホールで上演された。

 ホールはお客さんで満席。立ち見も出たみたい。

 反響も上々だった。


 万雷の拍手というものを久しぶりに体感した。「うちの町の子たちは頑張ってるねぇ」みたいな、お義理の拍手ではなかったんだ。市民ミュージカルで知り合った大学生からも「大学演劇のコンクールで健闘できるレベルだよ!」と言ってもらえた。

 アンケートでは「脚本がよかった」という、ありがたい声をいっぱいいただいた。脚本担当としてクレジットされているのはわたしだから、わたしの名前も挙げていただいていたんだけど。


「何だか後ろめたいな。わたしひとりの力じゃないんだもん」


 部室で一人、わたしはつい声を上げてしまった。

 裏方のわたしは、大道具と一緒に顧問の先生の車に積まれて、一足先に部室に戻ってきたところだ。片づけられるものは片づけてしまった。ほかの部員が戻るのを待ちながらアンケート用紙をパラパラしてみたら、脚本を誉める文章が目に入ってきたというわけ。


 でも、買いかぶりなんだよね。

 わたしがいったん台本を仕上げた後も、結局は部員一同、本番ギリギリまで意見を出し合って演出に手を加え続けた。台詞をごっそり変えたところだってある。全員の台本が書き込みだらけになった。


 あんなふうに、台本がわたしひとりの手を離れて座組全員のものになっていくと、わたしはほっとする。

 最初にみんなの前に台本を出すときがいちばん恥ずかしいし、怖いんだ。わたしひとりが自分の中身を見せることになるから。

 その後、ほかのみんなもどんどん自分の中身をさらけ出しながら、演技をしたり台本に手を加えたりしていく。そうするうちに、恥ずかしさも怖さも消えてしまう。


「今回は特に、最初がきつかったなぁ」


 しみじみとつぶやく。

 何せ、いちばん初めに見せたのが、台本じゃなくて小説だったんだから。

 わたし、小説は一本しか書いた経験がない。運命の恋人たちの夢を文字に起こした短編連作だ。その唯一の小説の一部を演劇部のみんなに読んでもらったわけで。

 部員一同の返事を待つ間の気まずさと居たたまれなさを、まざまざと思い返すことができる。


「終わりよければすべてよし!」


 わたしは声に出して宣言した。思い返すのも、もうやめよう。

 紆余曲折あったけれど、わかば公演は大成功だったんだ。


 ほどなくして、部員がぞろぞろと部室に戻ってきた。車で運びきれなかった小道具や工具なんかをそれぞれ抱えている。「お疲れー」と言いながら部室に入ってきては、手にしたものをパパッと棚にしまっていく。

 まだ帰ってきていないメンバーは買い出し班だ。これから部室で開く打ち上げのために、お菓子やジュースを買いに行っている。


「みんな、お疲れさまです。お客さんに書いてもらったアンケートはここだよ」


 わたしがアンケート用紙の束をバサバサやると、先輩たちがこっちにやって来た。わたしはもう目を通したから、部長にアンケート用紙を渡して、衣装の片づけに加わる。

 一緒に裏方をやっていた友恵が、わたしに言った。


「アンケート、脚本のこと書かれてたでしょ?」

「うん。見たの?」

「いや、客席にいた友達からスマホに連絡が来ててね、『脚本にめちゃくちゃ感動した。アンケートにも書いたよ』って」

「わぁぁ、ありがたいけど申し訳ない。わたしが一人で書き上げたわけじゃないのに」


「そよちゃんの原案があったから、ちゃんと仕上がったんだよ。わかば公演『儚き君と、あの日の続きを』、いろんな人に刺さるロマンスになったよね」

「ありがとう。恋愛もの書くの苦手すぎて、いっぱい足を引っ張ったけど、みんなのおかげで形になりました」


 でも、と友恵はわたしに耳打ちした。

「あんなに大事にしてた運命の恋人たちの夢、こんな形でお客さんに公開しちゃってよかったの?」


 夢を記録するところから、あの小説は生まれた。

 それを打ち明けた相手は、今までたった二人。多摩子おばちゃんと友恵だ。

 なのに今回、こうして舞台にした。


 原案の小説は、明治時代編。横浜の商家の彼と、没落した華族の彼女。政略結婚で許婚となった二人は想いを通わせるけれど、不治の病によって引き裂かれてしまう。

 小説を何人かの先輩に読んでもらって、OKをもらってから台本にして、演劇という形で部員全員と共有して、短編公演は新入生の前で、本編公演は市民ホールいっぱいのお客さんの前で披露した。

 思い切ったことをした、と自分でも感じているけれど。


「たぶん、これでよかったんだと思う。自分でも不思議だけどね。このタイミングで見てもらわなきゃいけない気がしたんだ」

「見てもらう? 誰に?」

「わからない。でも、舞台作品との巡り合わせって、そういうものじゃない? ああいうきっかけだったからあの台本が書けたとか、そのタイミングだったから観劇した作品がすごく刺さったとか。理屈で説明できない何かが、よくあるでしょ?」


 友恵は肩をすくめた。


「そういう論法でいくなら、今回の舞台は、そよちゃんの運命の恋人が観に来るからってことになるよね」

「う、運命の恋人って、何それ? 何度も言ってるけど、あの夢の続きが今の自分だなんて、わたし、思ってないよ」


「いや、あんな夢をずっと見ていながら無関係です傍観者ですって、それは無理がある気がするんだけど」

「だけど、夢を見たせいで泣きながら起きるとか、そういう感じじゃないんだよ。わたし、舞台でも本でも、感情移入したらすぐ泣くでしょ。あの夢はもっと遠いっていうか、他人事の距離感っていうか」


 いや、もしかしたら、心を鈍らせることを無意識に選んでいるのかもしれない。

 だって、あれだけくり返し見る夢に毎度泣かされていたら、心がすり減ってしまいそうだ。眠るのが怖くなる。夜、眠りにつくたびに、最愛の人との死別を体験することになるかもしれないなんて。


「他人事の距離感ねぇ。そよちゃん、夢の中で誰の視点なの?」

「うーん……場面によるかな」

「少なくとも小説に書き起こしてあるのは、彼女視点だよね?」

「まあ、明治の話はそういうふうにした。でも、誰の視点ってわけでもないし、誰の感情がハッキリわかるって感じでもないから……」


 台本では、そのへんの視点のブレや制約に関しても修正が入った。彼の役を務める先輩が「演じていて違和感があるんだが、男が本音を語りすぎじゃないか?」って言い出したんだ。

 改めて見直してみたら、確かにそうだった。

 物語の主軸は彼女で、お客さんと視点を共有するのも彼女のほうだ。彼は、彼女にとってどことなくミステリアスな存在のはずなのに、彼が台詞で語りすぎたらバランスが成り立たない。


 でも、それなら彼の心情や立場をどう説明しようか? それをクリアするために新たな工夫が必要になって、全員で意見を出し合った。

 そんなふうに、演じながら鋭い指摘をズバズバ入れてくれる仲間たちだから、とても信頼できる。わたしが頭の中でこね回すばかりだった物語が、頼もしい仲間たちの実演と分析を経て、どんどん鮮やかな姿を得ていった。


 ふと。

 ひときわにぎやかな声が部室の出入口から響いてきた。


「主役は遅れてやって来る、なんてな! 待たせてすまねえな、皆の衆!」


 よく通る声の持ち主は、くんだ。普段から舞台用の声の張り方をしてるんじゃないかってくらい、本当に声が大きい。

 登志也くんの隣で、しんろうくんがしかめっ面をしている。


「耳元で叫ぶな。うるさい」


 そりゃね、肩を組まれた状態で登志也くんの大声を聞かされたら、耳がキンとするよね。

 じょう登志也くんとあらまき真次郎くんは、わたしより一学年上の先輩だ。でも、「先輩」じゃなく「くん」づけで呼んでいるのは、二人が市民ミュージカル時代からの演劇仲間だから。


 二人が並んで立つと、とにかく華がある。子供の頃から見慣れたわたしの目にも、登志也くんと真次郎くんがイケメンなのはよくわかる。


 登志也くんは、目が大きくて眉がくっきりした、彫りの深い顔立ちだ。運動神経抜群で、演劇部随一のアクションスター。勉強の成績もいいらしい。ただし、元気がよすぎるというか、落ち着きがないというか、もはや小学生男子みたいというか。

 真次郎くんは切れ長な目が涼しげで色白、薄い唇の赤さが色っぽい。演劇部と科学部を掛け持ちしていて、頭のよさは超高校級。でも、性格にはちょっと難あり。常に眉間にしわを寄せていて、言葉の切れ味が鋭すぎるし、ひたすら無愛想で偏屈だ。


「役を演じてる間は、二人ともあんなに健気な雰囲気だったのにな」

 わたしが思わずため息をつくと、友恵も深くうなずいた。

「登志也くんの演技、透明感があるんだよね。儚い役もうまかった。真次郎くんは笑顔に気品があって、今回はまさに貴公子だった。なのに、役を離れたらこれだもんね」


「顔と頭はいいけど、残念なイケメンに分類されるやつ」

「そう、それ。舞台上の姿を鑑賞するだけっていうのが、あの二人の正しい使用法だと思う」


 真次郎くんが登志也くんの腕を払いのけながら、廊下のほうを振り向いた。

「おい、そんなところで何してる? いいから、さっさと来い」

 誰かそこにいるみたい。


「で、でも、やっぱり僕は……」


 聞こえるかどうかの小声を、わたしの耳はしっかり拾った。

 ドキッとした。

 そう何度も聞いたわけではないけれど、わかる。覚えている。

 いや、でもそんな、まさか。


「いいから来い!」

 真次郎くんが腕を伸ばし、ぐいっと、その人を引き寄せた。

 やっぱり、そうだった。


「相馬、瑞己くん」

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