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 わたしが住む小梅ヶ原市は、少し変わった町おこしをしている。

 というのは、何と、ミュージカル。

 地域住民による、小梅ヶ原市を舞台にしたミュージカルを、毎年上演しているんだ。二幕形式で、公演時間は通しで三時間を超える。なかなか本格的なミュージカルだ。


 毎年オーディションから始めて、みっちり三ヶ月の稽古期間があって、公演は千人近く入る市民ホールでおこなわれる。

 ミュージカルだから、もちろん、台詞も身体表現も歌もダンスもある。出演者は、中学生までの子どもを中心に五十人くらい。脚本や演出、照明や音響といった裏方さんや、指導や監督をしてくれるプロの劇団の皆さんを入れたら、座組の人数は百人を超える。


 こういうことを毎年やっているのが、我らが住む町、小梅ヶ原。

 ちなみに、この「我らが住む町、小梅ヶ原」というのは市歌のサビのフレーズだ。公演の終わりにみんなで歌うのが毎年の定番になっている。何気にノリのいい曲だから、何でもないときにまで「♪小梅ヶ原~」と口ずさんでしまう。


 なんてことを語っちゃうわたしは、当然ながら、市民ミュージカルの舞台に何度も立っている。

 初めて出たのは五歳のときだ。演劇を観るのが大好きな母が意を決して「親子出演」枠に応募したのがきっかけだった。母はわたしが小三のときに観客に戻ってしまったけれど、わたしは小学六年生のときまで毎年出ていた。

 中学に上がってからは、舞台に立つことより、裏方の仕事に興味が移っていた。だから、中学の三年間は、音響、小道具、照明、演出、そして脚本アレンジと、裏方のスタッフとしていろいろやらせてもらった。


 そんなわたしが高校で演劇部に入って裏方を担当するようになったのも、ごく自然な流れだった。うちの高校の演劇部は、全国大会を目指したりせず、地域に根ざした活動で我が道を行っている。

 演者五十人という大きなミュージカルしか知らなかったわたしには、部員十五人の演劇部は、新しい驚きの連続だった。何と言っても、とにかく人手が足りないんだ。

 ナレーションをしながら照明の操作をしたりとか、公演前日まで衣装や小道具の制作に追われたりとか、毎回バタバタしてしまう。

 だけど、トラブルや失敗も含めて本当に全部、演劇って楽しい。


   *


 四月は、我らが演劇部も新入部員の獲得のために奔走するシーズンだ。

 とはいえ、部活動紹介の集会でもらえる枠は、たったの十五分。

 そんなんじゃ全然物足りないってことで、ゴールデンウィーク直前の土曜日に、市民ホールで公演を打つのが毎年恒例になっている。こっちは上演時間が約六十分と、それなりにしっかりした造りの作品ができる。


 四月の公演は二つまとめて「わかば公演」と銘打たれている。集会でやる十五分が「わかば短編」、市民ホールのほうが「わかば本編」。短編を本編の予告みたいな造りにして、「続きは四月何日土曜日、市民ホールで!」とやるわけ。


 ところが。

 わたしは相変わらず、盛大に悩んでいる。もう新入生を迎えて、本編公演まで三週間を切っているのに、脚本と演出が固まらない。

 悩み続けているのは、やっぱりラストシーンのこと。今日もまた、わたしは夜更かしをして、演出プランを書いたり消したりしている。


「ああ、つらい……これだっていう正解がわからない……」


 今回の公演は、わたしが原案から脚本執筆、そして演出まで担当することになっている。先輩たちも「そよ香カラーにしちゃってね」と全面的に任せてくれた。

 そよ香は器用だからできるでしょ、という先輩たちの信頼が重い。


 この春休みには、シェイクスピアから現代演劇、歌舞伎やオペラや人形浄瑠璃まで、いろんなジャンルの恋物語の台本を読んだり映像を観たりした。どうにかして、恋の表現というものを理解したくて。

 でも、舞台の演出を学ぶのって、テスト勉強とは違うんだ。やればやるほど、知識だけは身につくけれど、たどり着くべき答えはわからなくなっていく。


「どうしよう、本編公演……」


 わかば短編は、入退場を含めて十五分という短さだし、内容的にも「これは予告編!」と割り切っているから、現三年生たちの演技力と勢いで乗り切ることができそうだけど。

 去年の八月公演と文化祭でも、わたしは一年生にもかかわらず、脚本と演出をやらせてもらった。

 わたしが中学卒業までずっと市民ミュージカルにずっと参加していたことは、先輩たちも知っている。現三年生の一部は、市民ミュージカルで一緒の座組のメンバーだったし。


 ただ、あの台本を最終的にまとめたのはわたしだったけれど、原案は部員全員でアイディアを出し合った。一からわたしが作ったわけではなかったんだ。

 演目は、『ガリヴァー旅行記』を下敷きにしたファンタジー作品だった。


「私たちは、船医ガリヴァーがたどり着いた不思議な島の住人」


 そんな思いつきの一文から始まって、自分は島で唯一のぼったくり宿屋をやるとか、元船乗りの老人をやるとか、帽子屋とか裁判官とか女王とか、いやそれはアリス混ざってるじゃんとか、どうせなら鬼ヶ島と竜宮城も混ぜちゃえとか。

 部員がそれぞれ自由すぎる発想で奇妙な登場人物を次々と挙げていくのを、わたしが議事録にして、それをもとに台本に仕上げた。

 ちなみに、ガリヴァー役は舞台上にいなかった。客席いっぱいのお客さんたちをガリヴァーに見立てる構成だったんだ。アドリブでお客さんをいじり倒す役者がいたおかげもあって、すごく盛り上がった。


 でも、今回は原案からわたしが一人でやっている。いい台本がないかと訊かれたときに、何となく、こう答えてしまったんだ。


「わたしが書いた小説があるんだけど、これをもとに台本にするのはどうかな?」


 あのとき、どうしてそんな提案をしたんだろう?

 自分で思い返してみても不思議だ。台本だけじゃなく実は小説も書いているなんて、演劇部のみんなに打ち明けるつもりはなかったのに。


 今までに書いたことがある小説は、ただ一作。短編連作形式の恋愛小説だ。

 小説の完成度は、各編でまちまちだ。全然詰めきれない話もある一方、今回舞台にする一万字くらいの話が、いちばんきれいにまとまっている。たぶん。自信があるわけではないけれど。一応、読んでくれた部員は「悪くない」って言ってくれたけれど。


 去年のガリヴァーはコメディタッチで話が進んでいって、最後に伏線が全部回収されると、ほろっとくる。そんなタイプの作品だった。

 今回のは、切ない恋愛ファンタジーだ。想い合っているのに結ばれず、輪廻転生を繰り返す恋人たちの話。全体が切ないトーンで進んでいって、それがパッと反転する希望のラスト、という構成になっている。

 でも。


「構成はいいけど、具体的な演出、どうしよう? ラストできれいなどんでん返しを決めるには何が必要?」


 ラストというのは、とうとう現代に転生した二人が出会うシーンだ。

 二人とも、前世の記憶を持っているわけではない。でも、目が合ったそのときに、二人は運命に気づく。

 そのシーンの演出に、わたしは頭を悩ませている。


「決まらないなぁ……インパクトがやっぱり弱い。でも、仕方ないよね。わからないんだもん、恋って。だいたい、あの小説だって、わたしの感情が入ってるわけじゃないし」


 ぐちぐちと言い訳をつぶやき続けてしまう。

 実際、わたしのことを子供の頃から知っている先輩たちからは、原案となる小説を見せたときに「珍しいな」って言われたんだ。


「へー。そよも恋愛ものなんか書くのか。想定外だったな」

「まったくだ。細かいところまで行き届いた作品だが、どうやって設定を考えたんだ?」


 芸能人級に整った顔の先輩二人に冷静な分析の視線を向けられて、わたしは笑ってごまかした。

 確かに二人の言うとおり、奇妙なことなんだ。

 わたしは台本ありきの恋のシーンでさえ、照れたり戸惑ったりで表現が全然うまくいかなかった。苦手だっていうのは公言していた。そのくせ、自分から恋の物語の短編連作をみっちりと綴っているなんて。


 あの小説には秘密がある。

 わたしが自分の頭で考えてつくりだした物語ではないんだ。


「夢で見たままを書いてるだけだし。どうやって細かいところまで設定してるのかって、わたしにもわかんないよ」


 幼い頃からくり返し、ひとつらなりの同じ夢を見続けてきた。だから、すっかり覚えている。

 あの夢の登場人物が誰なのか、ハッキリとはわからない。なぜわたしがあの夢を見るのか、その理由もわからない。


 いや、もしかしたらこうかな、と思っている理由はある。

 わたしはメッセンジャーなんだ。この夢のことを伝えるべき相手がいる。その人の代わりに、わたしが夢を見ている。


おばちゃん……」


 わたしが十二歳のときに亡くなった大叔母のことを思い出す。あの夢の続きに連なる人が、多摩子おばちゃんだった。切ない恋の思い出を生涯、抱き続けた人。

 ため息。

 現実逃避、やめよう。


「考えなきゃ。ラストシーンのインパクト。ちゃんと伏線を張らなきゃ。回収したら『あっ』と声が上がるようなやつ……」


 小説と舞台では、印象に残る表現が違う。現代に転生した二人は、見つめ合ったその瞬間、運命に気づく――という小説版のラストは今のままで一応まとまっているとしても、舞台でやるとなると、このままじゃ地味すぎる。

 舞台の演出は、映像ともまた違う。役者の顔をアップにできるわけじゃない。だから、視線だけの表現だと、市民ホールいっぱいに入ったお客さんには伝わりにくい。もうひと工夫、あったほうがいい。


「見つめ合ったそのときに、か。いや、何か小道具が必要かな?」


 転生を繰り返す二人を確かにつなぐもの。

 たとえば、ありふれてるかもしれないけど、アクセサリー。いつも身につけている古めかしいペンダントとか。

 とりあえず思いついたそのアイディアをノートに書いてみて、はたと気づく。


「ダメだ。江戸時代にペンダントってないよね。うわー、どうしよう?」


 物語のプロローグには、運命に翻弄される二人が初めて出会うエピソードを短い尺で入れている。それが江戸時代の話なんだ。

 転生した二人が生きた明治時代だって、ペンダントって身近なものだったのかな? ちょっとよくわからない。衣装は着物なんだ。


 江戸時代でも明治時代でも現代でも同じように、運命の二人をつなぐ「何か」。

 一体、何があるだろう?

 江戸時代って、ざっと二百年前ってことでしょ? 身近にある、そんな古いものって……いや、ある。


「お寺の椿! 確か、樹齢が二百歳以上だって言ってた!」


 それと同時に、今朝のことを思い出した。

 冬の名残の椿の花を見上げて、うっかり転びそうになっていた男の子。目が合ったのをきっかけに、つい話しかけてしまった。だって、わたしもあの椿が好きで、同じように見とれてしまいがちだから。

 あのとき、胸がじんわり温かくなったんだ。くすぐったい気持ちになって、笑ってしまって、鼓動が走って。

 偶然の出会いに、ちょっと感謝したりして。


「そっか、これだ。そこにあることは変わらないまま、木が成長することで、時間の経過も見せられる。白く縁取られた、赤い椿の花。これだ……!」


 気づけば、わたしはノートにペンを走らせていた。

 お気に入りのペンではないから、インクの出がいまいちで、たびたび紙に引っかかってしまう。それがじれったい。

 もっと速く、もっと確かに、ペンよ、走って。

 頭の中に浮かんだ大切なイメージを、逃してしまわないように。


 真っ白だったページは、だんだんと埋まっていく。

 ノートに書きつけたアイディアをもとに、パソコンで作っている台本にアレンジを打ち込んで、できれば明日にはみんなに見せたい。早く印刷して、稽古に入れるように。


「いけるいける。台本、これで完成させられる!」


 ぱちん、とパズルのピースがはまったみたいだ。

 ずっと書きたかったのはこれだ、と心が叫んでいた。

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