第5話 紅茶事変

「いただきます……」


円盤状に薄く伸ばされた生地。


その上には、中東諸国にもない淡黄色の絨毯のようなチーズと、冠位十二階を思わせる多色の野菜が載っている。


その名もピザだ。


私は8等分されたピザの一切れを手に取った。


その上のチーズは蚕の糸のように細く伸び、やがて千切れる。


「チーズとは一体……?」


私は好奇心の奴隷だ。


疑問は口をついて出た。


すると、向かいのシュリュッセルが吹き出す。


「いきなり話し始めたと思ったら、チーズの製造方法!? 君って本当に面白いよね」


……お前には言われたくない。


「ごめんなさい。つい不意に口に出してしまいました。しかし、気になるものは気になるのです」


シュリュッセルは「うんうん」と理解したような、していないような素振りを見せる。


「えっとね……チーズは牛乳に乳酸菌や凝乳酵素を加えて、乳成分を凝固させた凝乳を発酵・熟成させたものよ。こんな返答でよかったかな?」


なるほど、私の故郷でいう酪や蘇のようなものか……。


しかし、酪や蘇は牛乳を煮詰めて固めたものである。


製法が違うとは興味深い……。


「えーと、反応してよ……今のってボケるべきだった?」


私は無愛想だ。


「いや、とても良い返答です」


シュリュッセルはクスクスと微笑む。


やがて私はピザを一口頬張った。


カリッ、サクッと歯ごたえのある生地に、甘酸っぱいチーズが口いっぱいに広がる。


直後に香辛料で味付けされた豚肉の旨味が溢れ、みずみずしい赤い野菜とよもぎ……?を思わせる香草が爽やかさを加える。


それはまるで、一つの物語を味覚と食感で読んでいるようであった。


「おいしい……」


「こんなにじっくり味わう人なんて、初めて見た!もしかして君、料理研究家?」


なんだそれ.....?


「食に興味のある、名もなき学者です。お見知りおきを」


よく分からなかったので、少し芝居がかったように振る舞ってみた。


対して、シュリュッセルも頬に手を当て、演者のようにわざとらしく微笑む。


「その舌、もらっても良いいかなー?」


「はい?」





「ご注文のコーヒーです。ごゆっくりどうぞ」


テーブルに置かれた硝子の容器には、黒い液体が入っていた。


「これはコーヒー! 覚醒作用があるから、飲むタイミングには気をつけてね」


またもや知らない飲み物だ。


「既に夜ですよ。寝かせないつもりですか?」


「睡眠は不要よ。今夜中にやらないといけないことがたくさんあるんだもの」


シュリュッセルは人差し指をピンと立てて見せる。


「やらないといけないこととは……?」


「うーん。その前に、現状を伝えておいた方が理解しやすいかな」


現状……。


「分かりました」


「じゃあまず、今あたしが調査している依頼について。名称は『連続紅茶輸送船沈没事件』。3年前にキャンドラー商会の所有する紅茶輸送船6隻が、相次いで沈没したという事件よ」


沈没……。


つい先ほど難破した私には、耳を塞ぎたくなるような苦い言葉だ。


それに「紅茶」とは、以前師匠から聞いた謎多き飲み物だ。


興味深い.....。


「それは、単なる偶然が重なった事故ですか? それとも何者かによる意図的な事件ですか?」


後者なら厄介だ。


「それが、分からないの……」


シュリュッセルは頭を横に振った。


まさか……。


「しかし、3年前の事件をなぜ今になって依頼されたのですか?」


シュリュッセルは頷く。


「それには理由があるの。まず、事件の後について話すわね」


やはりそうか……。


3年間放置されていた事件だ。


一筋縄ではいかないだろう……。


「事件の後、王国政府は『再発防止のため、真相が解明されるまで紅茶の輸入を禁止する』と発表したんだ。単なる事故とは思えないし、事件で千人もの人間が死んだからね……」


「その措置はまだ続いているのですか?」


「残念だけど、そうなの……でも、紅茶は元々王国で一番愛されてた飲み物で、国民は紅茶を飲んで休暇を過ごすほどだった。あたしも飲みたかったなー」


シュリュッセルは両手を合わせ、天を仰ぐ。


私も紅茶の味には興味がある。


機会があればぜひ飲んでみたいものだ……。


「話を戻すけど、紅茶の輸入禁止で国内は大混乱に陥った。紅茶の価格は跳ね上がり、富豪による買い占めや、紅茶を狙った襲撃、窃盗が横行したわ」


なぜ、一つの食品のためにそこまで……。


「事態を沈静化させるため、政府は紅茶の取り扱いを政府のみに定めた。そして、今なおその状況が続いている……ここまでの流れを人々は『紅茶事変』と呼んでいるわ」


あまりに壮大な話で、理解が追いつかない。


「大変ですね……」


今の私には、この言葉しか思いつかなかった。


「いいかい君、ここからが本題だ!」


場の空気を変えるように、シュリュッセルは立ち上がった。


「はい」


私は間の抜けた返事を返す。


「つい先月のこと、キャンドラー商会にある一報が舞い込んだの。それは、紅茶船の乗船者の一人が生存しているという情報。その人物の名前は『春酉(チュン二アオ)』」


私と境遇が似ているのか、シンパシーを感じた。


だが、なぜ今になって生存情報が……?


疑問は積もるばかりだ。


「その後、商会は春酉から沈没事件について聞くべく彼女を探した。だけど行方不明で……」


なぜ行方不明に……?


単なる人違いだった可能性も否めない。


「そこで商会が捜索者を募集した。で、あたしが一番乗りで引き受けたってわけ! 待遇も素晴らしくてね……そして一緒に、あの沈没事件の真相解明も引き受けたの」


さらりと、難題まで引き受けるとは……。


「一番乗りとは、並外れた情報収集能力ですね」


「まぁ、名探偵だから当然ね!」


と、シュリュッセルはカッコつけたように帽子に手を置いた。


「ところで、待遇が素晴らしいとは……?」


「もう、すぐ変なところに反応するんだから! まあ、それが今夜忙しくなる理由なんだけどね……」


なるほど……私が助手として捜索に加わるから、私の分まで待遇を交渉したいということだろうか。


あくまでも予想だが.....


「ごめんなさい。厚かましい質問でした」


「いいの、いいの〜。じゃあ、現状も伝え終わったし、最初の『今夜やるべきこと』について話そうか」


「お願いします」


シュリュッセルは不意に硝子のコップを手に取り、にやりと微笑む。


「そうだ!その前にコーヒーを飲もうか! 儀式があるから、コップを持って」


儀式……?


私は言われるままにコップを持つ。


「そして、お互いのコップを近づけて底でコンと当てる! その時に『プロースト』って言ってね」


ぷろーすと……?


シュリュッセルがコップを私の方へ近づける。


私もそれに倣い、彼女のコップの底に当てた。


カチン……


「プロースト!」

「……プロースト」


その声は静かなレストランに響いた。


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