橙色の瞳孔
朝起きたらまずカーテンを開けて日光を浴びましょう、なんて地上波の健康番組を流していたらよく聞くが、大通りに面したアパート2階に住んでいる私がそんなことをすれば、間抜けな寝ぼけ面を近隣住民に晒すことになってしまう。節約術やら下町紹介やら、一見庶民に受け入れられ易いように構成されたテレビ番組から流れる情報には、時折自分がそれを享受できる環境からすらも溢れていることを実感させられる。そんな皮肉をつらつらを頭の中で考えながら朝食を食べてもシリアルの味は変わらないのだが、それでも付けっぱなしにしているテレビからは、目を引かざるを得ない情報が映し出された。
「全てを見通せる、ビヨンドグラス。空間コンピューティング技術の応用により、他人の感情を感知、従来の自動予測変換機能を応用した全く新しいコミュニケーション体験。すれ違いとはもう、無縁です」
「最初の発生から25年もの沈黙を破り、突如として発生した第二次色彩休暇から半年を迎えた昨日、世界各地では未だ復旧作業が続いているようです」
いつものように鏡の前で歯を磨いていると、左目が橙色に変色していることに気が付く。痛みは特にないし、充血しているわけでもない。ただ、ペイントツールで塗り潰したかのように瞳孔のみが橙色なのだ。当たり前だが、自分自身の顔は鏡や水面でもない限り、視認することは出来ない。家の中にいる分には特段気にも留めなかったが、一歩外に出ると、変に思われているんではないかと気になってしょうがない。私の自意識過剰さ故かもしれないが、すれ違う人にじろじろと見られている気がする。
サングラスをかけ、家を出る。セキュリティカードをリーダーにかざし、出社記録を残す。PCのファンの音しか響かない静かなオフィス。サングラスを外すと、視界に入る全ての人が、アクリル絵の具を水に溶かしたかのような「色」を纏っている。
「一昨日の休日出勤分の代休、今週取れないじゃん最悪。とりあえず上司のせいだわ」
「あいつの推しへのガチ恋もそろそろ収まってくんねぇかな......ないか」
「森本さん先週からずっとあそこに籠ってるみたいだけど、大丈夫かな」
その「色」に集中すると、たちまちに頭に流れ込んでくる声。他者とのコミュニケーションでは使うはずのない、本音。
「立花、まだビヨンドグラス使ってないの?」
「え、あ、実原先輩!おはようございます!これはあの、その、なんというか決してカラコンが片方外れたからとかではなくて、まあカラコンもそんなにした事ないんですけど、朝起きたらそうなってたというか実は元からそうだったと言うか」
「ふん。なんの話?」
「あ、いや!なんでもないです!」
「朝から元気だね。まあいいや。全然返信来ないから今日行く気ないのかと思った」
慌ててスマホのトーク画面を開こうとする立花。
「いやいいよ。目の前にいるじゃん。てか、まだスマホ使ってるんだ」
実原はビヨンドグラスを立花のデスクに置く。
「使ってみて。まあ、プロトタイプだけど。なにより私の自信作」
「あ、ありがとうございます」
ビヨンドグラスをかける立花、実原の方を振り向き、苦笑いを浮かべる。
「ん、片方のレンズディスプレイの色おかしい」
レンズを覗き込む実原、首にかけたネックレスのコインがそのレンズに当たる。
「はうっ」
「あ、ごめんごめん」
実原、ネックレスの先に付いたコインをシャツの中に仕舞う。
「そんなのしてましたっけ」
「あぁ、ちょっと森本さんから預かっててね。とりあえず、仕事終わったら一階のエレベーター前に集合で」
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