第3話 江田祥哉(加害者)
本当に運が悪い。もう一ヶ月も前のことだから既に過去の話になってると思っていた。しかもよりによってあの地味な理科教師から叱られることになるとは全く想定もしていなかった。それにしても、ちゃんと誰もいない教室で怒るとか、少なくとも俺を個別に呼び出して人の目がつかない場所で指導するべきじゃないのか。放課後とは言えあんなに人がいっぱい通る所でガッツリ「いじめ」というワードを出すんだから、相当生徒を怒るの慣れてないんだと思う。まあ見るからに弱々しいからそれもそうかと変に納得する。もしかしたら俺が初めて怒られた生徒かも分からない。
あの理科教師、確か安部先生だった。前からあの人は人としてあんまり好きじゃない。例えば、普通の授業じゃなくて自習にしたらどうせ喜ぶだろうって、こちら側を見下しているようなスタンスがどうも気に食わない。確かに定期テストはびっくりするほど簡単だし、怒鳴ったりなんかしないし、一部の女子は理系イケメンだなんてはしゃいだりもしている。ただ先生の割に若いだけだと俺は思うけれど。
とにかく安部を支持する人は割と多いけど、授業中周りがザワザワしてても一切注意しないのも、「俺は大人だから敢えて注意しないんだ。」とか安部先生は思っていそう。変にプライドだけは高くて、授業は雑だし、教師としてまったく模範的じゃないと思う。
何回でも思ってしまうけど、なんでよりによって安部にバレたか。多分笠岡がチクったんだろうけど俺らの泣き虫担任にチクってくれた方が全然マシだった。あの人は時間が経てば一人で勝手に泣き出すから、説教が心に染みている演技をしていればそのうち終わる。でも安部は思ったよりも厄介そうだし、何より無駄に女子人気が高いから叱られているところをクラスの女子に見られたことが嫌だ。
そもそも俺は笠岡を別に「いじめていた」わけじゃない。確かに殴ったことは事実だけど向こうにも相当非があった。
俺と笠岡は二年三組のクラスメイト。でもいわゆるスクールカーストの影響なのか、あいつと連む機会はほとんどなかった。俺はカースト最上位!笠岡は多分下の上くらい。学校は社会の縮図だとよく言われるけど、ある意味社会以上に厳重な秩序が整っている様にも思える。俺がクラスで仲良い人をあげるとしたら同じ陸上部の人らとか、前々回の席替えで前の席になった奴とか、まあそれなりにいるんだけどその中の一人、泰輝はちょっと他とは違う存在だと思ってる。泰輝を一言で表すとおぼっちゃま。お父さんが社長らしくて実家が物凄く太いから正直こんな普通の公立高校じゃ浮くレベル。普段会話してても昼ご飯に使う金額や毎月のお小遣いなんかがやっぱり俺らとはかなり違う。泰輝は別に自分の財力をひけらかしたりはしないけれど、無意識に露呈する金銭感覚の差異なんかが生粋のおぼっちゃま感を演出している。
泰輝は俺らと同じカースト最上位に属している訳なんだけど、もしも金持ちの息子じゃなかったらここに入れてないんじゃないかっていつからか思うようになった。少なくとも俺は最上位に属するために見た目、会話、いかに目立つかとか色んな努力をしてきたつもり。他の人たちも「ここに居るべきクラスメイト」になるために何かしらの試行錯誤をこなしてきたんだと思う。そんなの大袈裟だって思うかもしれないけれど、高校生の俺らにとってはクラスこそが社会なんだから、どれだけクラス内での立ち位置が重要かを分かってほしい。
それに比べて泰輝は無自覚に金銭感覚が狂ってるから、当たり前のように些細なお礼として昼飯を奢ったりする。努力したのは泰輝の親なのに、周りの人らは泰輝を「漢気ある」とかって称賛するから結果としてカースト最上位に持ち上げられる形で今まで居座っている。あいつはただの帰宅部のくせに。俺らのグループから離れろなんて言わないけど、自分の力でここまで来ましたみたいな顔をするのはやめて欲しい。たまたま父親が社長だったから、そして俺たちが金持ちじゃないから運よく認められているだけだろう。嫉妬という言葉で片付けてしまえば、それで終わりだけど、あいつがもし金持ちだらけの私立高校に進学してたらそれこそ笠岡くらいの立ち位置が関の山だと思う。だからまあ、とにかく俺は泰輝のことを認められずにいる。裏金で実力以上の大学に入学するようなそんな卑怯さを纏っているようにも思える。もうちょっと謙虚に生きようとは思わないだろうか、あいつはきっと金がなければ臆病すぎて何もできない。少なくとも今のようには生きてられない。
自分の中でそのような感情が沸々と湧いてきたある日、ホームルームが始まる少し前に泰輝は何やら焦りながら財布を開け閉めしていた。俺が何の気なしにそんな姿を見ていると泰輝は言った。
「なんか、財布の中身が明らかに減ってるんだよね。」
泰輝はいつだって意味分からないくらい紙幣を財布に入れていた。平気で二万、三万ぐらい。膨れすぎて締まりきっていないほどだった。
「えマジで?やばいじゃん。」
泰輝は指を湿らせて紙幣を一枚一枚慣れた手つきで数えた。あいつ曰く一万二千円ほど消えているらしい。そんな大金を持ってくるから、自業自得感が否めないけれど、もしこれが本当ならば立派な盗難事件だと内心ドキドキもした。
「やっぱりない。」
「落とした?どっかに。」
「いや、俺明らかに怪しい人知ってんだよね。」
「え盗んだってこと?誰が?」
泰輝の細長い指が示す先には数人のクラスメイトと会話する笠岡が座っていた。その時笠岡がどんな人間かよく知らなかったけれど、わざわざ人の財布からお金を盗むようなリスキーな行動を起こす人には到底思えなかった。ただ泰輝は教室移動の際にトイレに行ってて少し授業に遅れて、その時、笠岡が一人で教室内、しかも泰輝の席のすぐ近くに居たんだと言う。確かに笠岡も授業には少し遅れていたけれど、保健室に居たって先生に報告していたし、泰輝の証言にどれだけの信憑性があるのか分からない。でも泰輝はひたすらに「笠岡が取ったんだ。」と言い続けた。あいつも嘘つくタイプじゃないしなと思いながら泰輝の証言を聞いた。そして時間が経つにつれて、本当に笠岡による「財布の金窃盗事件」が起きたんだと俺は思うようになった。数ヶ月前、男子トイレに落書きがされてた時も結局このクラスのやつが犯人だったし、これが大ごとになったら担任の先生はまた泣いちゃうだろうなって思った。でも、裏を返せばそれだけ本気で俺らのことを心配してくれてるんだから凄いのかもしれない。泣くほど生徒の過ちを悲しめるのは。
そしてその時俺は思った。先生に報告する前に俺が笠岡を問い詰めてお金を返させれば、大ごとにならないで済むし、何よりも泰輝に「お前とは違うんだ」ってところを見せられるんじゃないかって。
「その話が本当なら俺が取り返してきてあげようか?」
「笠岡から?」
「そう。」
泰輝は自分の財布をパタンと閉めて俺の目を見た。
「頼んでもいい?」
「うん。あんまり大ごとにしたら後でダルいし。」
臆病だからお前にはこんなこと出来ないだろう。伊達にスクールカースト最上位やってねえんだよ。金に物を言わせてのし上がってきたんじゃない。俺も笠岡の方を見ながら強くそう意気込んだ。
次の日の放課後、笠岡が一人になったタイミングで俺は近づいた。辺りに人がいなことを確認しながら。軽く緊張もしながら。
「なあ、ちょっと。」
「どうした?」
「何か隠してることあるんじゃないか?」
声をかけて俺は唐突に問い詰める。
「え?何が?」
笠岡は分かりやすく動揺していた。
「全部分かってるんだよ。こっちから言わせんな。」
「本当に何?分かんないよ。」
借金取りってきっとこんな気持ちなんだろうなと思った。笠岡の瞳は左右に泳いでいる。俺はそれを逃すまいと追いかける。「全部知ってる」と追い討ちをかけた。
「急に変なことを言い出すな。何を知ってるって言うの。」
「じゃあ言ってやるよ。泰輝の財布から金取ったんだろ?」
「泰輝の財布?」
「ああ。」
笠岡は遠い昔の事を思い返すような顔をした。ほんの昨日の話だろ、あの時の顔本当に白々しい。
「取ってないよ。」
「泰輝が言ってるんだよ、お前が取ってるところ見たって。」
笠岡はため息をつきながら時計を見た。
「適当なこと言ってるんじゃない?」
こんなん、埒が開きそうになかった。クラスメイトの財布から金を抜いておいてよくもまあこんな汚い真似ができるなと今思っても腹が立つ。
「とにかく返せよ。泰輝から奪った一万二千円。」
「一万二千円?」
「ああ。」
「新種のカツアゲか?金が欲しいなら泰輝からせびったらいいじゃないか。」
馬鹿にするような口調でそんな言葉を俺にぶつける。俺は本当にもう、ついカッとなって体育倉庫の辺りで笠岡を殴ってしまった。立派な罪を犯しておきながら正直に吐かない笠岡に対する怒りに、このままお金を取り返せずには泰輝に会えないという焦りが乗っかった。笠岡はなぜか抵抗をしなかった。誰かが助けてくれるという確信を持っているかのような、そんな表情に俺は見えた。俺が冷静になるまでに何発殴ってしまったのだろうか。やり過ぎた、そもそも殴ってしまったことが間違いだとは気づいている。でもそれ以上に怒りと焦りが大き過ぎたから、感情のコントロールが効かなくなってしまった。拳が笠岡に触れたその瞬間から始まった後悔は時間と共に消えることもなく、絶え間なく続く。それが今日になっては爆発的に大きくなってしまった。
でも俺はその日以降も定期的に笠岡に泰輝の金のことを問い詰めたりした。しつこく言ってもあいつは一向に正直な事を言おうとしない。しかも昼休みや放課後、笠岡は気づいたら教室をいなくなっていることが多くなった。教室から脱出するように何処かへ消えてしまう。
どうしよう、泰輝にあんなにカッコつけたこと言っちゃったのに。結局「ごめんお金取り返せなかった。」だなんてダサ過ぎて言えやしない。どんどんと時間だけが過ぎていく、殴った日からもうすぐ一ヶ月が光のように訪れようとしている。もう一度呼び出して笠岡に強く言うべきか、そんな計画を立てている時、突然安部に叱られてしまった。今後教員や生徒の間でどれだけ「暴行事件」が広まってしまうか分からないが、絶対に俺と笠岡の関係は監視されて、むやみに近づいたりも出来ないだろう。もう俺は一万二千円を取り返すことができない。ああもう本当に運が悪い。勝手にいじめた事にされるし、女子に怒られてるとこ見られるし、笠岡は相変わらず腹立つし、泰輝にはダサいって思われるだろうし。何一ついいことがないじゃない。でもやっぱり笠岡が「いじめ」って形でチクったのが一番ウザい。あいつ本当にヤバいやつだって思う。罪から逃れるために嘘を重ねまくってる。今回のことが思ったよりも大ごとになってクラスに広まって、スクールカーストを滑り落ちたらどうしよう。ああまた新しい不安が湧き出てきた。
そういえば泰輝は暴力を振るうような人間をひどく軽蔑していたな。「いかなる事にも恵まれていない人が自分を守るために暴力を使うんだ」と。そしたらもう暴力を振るった時点で俺の負けじゃないか。泰輝は俺のこともお構いなく軽蔑するのだろうか。「俺の一万二千円は結局どうなったの」なんて急に言われたら俺は口籠ることしかできないだろう。
こんな事になるんなら泰輝なんて最初から気にしなければ良かった。なんで俺は泰輝が金の力でスクールカーストを駆け上がってたとしても、それでもいいやって無視出来ないんだろう。なんでこんなに苛立ってしまうんだろう。
安部は笠岡に直接謝るよう言ってきた。「謝んなきゃ今回の暴行事件がもっと大沙汰になるよ。」って、この人もきっと俺の謝罪で全てを丸く収めたいんだろうと思う。俺だってそれは同じ思いだから謝る事にするけど、なんて謝罪すればいいのか、あいつが悪いのに。あいつの窃盗事件なのに、俺の暴行事件に差し代わってる。「違うんです。いじめたんじゃないんです。」って安部に訴えても全く聞く耳を持たない。なんで物事を多面的に見ようとしないんだろう。こうなってしまうとやっぱり殴ったら負けなんだなって事を今更になってひどく痛感した。あいつが沈黙する度に俺が悪者に染まってゆく。クラスで俺を弁護できるのは泰輝だけ。
明日からの学校生活に暗雲が立ち込めた。不安よりも恐怖に近い感情が心をいっぱいにする。このクラスの誰もが俺よりもマシな生活をしている様に見えた。俺がこのクラスで誰よりも居場所が無い。異常に喉も渇く、トイレも近くなる。
何が怖いのか、漠然とし過ぎてもう説明できない。ただ今まで積み上げてきたこの自分が一瞬で水の泡になってしまう気がした。
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