第5話 国に殉じる

 イザベルの従者や侍女たちは、エルネスト王から『陣中見舞いに行かせる』と聞かされていた。しかし、王都を発ってすぐにイザベルが急に体調を崩し始め、あっという間に目を覚まさなくなった。


 日に日に衰弱していく彼女に人々は慌てふためき、王都に戻るべきだと、警護についていたエルネスト王の部下達に訴えた。だが、距離がある事を理由に一蹴されてしまった。


 ならばと、医師を探そうとしても『妙な輩を妃殿下に近づけられない』と拒絶され、そうしている間にもイザベルの呼吸は弱くなり――国境を前にして、息絶えた。


 冷たくなったイザベルを見て、警備兵たちは『陛下にお知らせする』とだけ告げると、まるで見捨てるかのように全員が引き返してしまったのだ。

 残された人々は僅かなもので、もはや急いで祖国に戻るしかない。騎士の一人が先駆けて、城に知らせに向かった。



 涙ながらに告げられた事実を、リュシアンはすぐに飲み込めずにいた。


 ――嘘だろう⋯⋯?


 イザベルは幼少の頃から、健康な少女だった。むしろリュシアンの方が風邪をひいて寝込んでしまいやすく、何度も見舞いにきてくれたものだ。うつしてしまうと危惧した自分に、『いいわ。そうしたら大嫌いな授業をお休みできるもの!』と笑っていた。


 そんな彼女が、突然死ぬはずがない。


 何かの間違いだろうと、リュシアンは彼女の身体が城に運び込まれるまで、ずっとそう思っていた。



 

 その日の夜、城の最上階の一室に、イザベルは運び込まれた。

 大きな寝台の上に横たえられたイザベルは、使者から伝え聞いていた通り、すでに息を止めていた。彼女に付き従っていた者たちや城の者は悲嘆に暮れ、先日まで戦勝に湧いていた城から泣き声が止むことはない。


 急死を怪しむ者も多く、血気盛んなマルセルなどは『殺されたに違いない』と憤りを露わにしていた。


 リュシアンだけは、一人静かだった。全ての感情を削ぎ落したかのように表情はぴくりとも変わらず、ただ黙ってイザベルを見つめるだけだった。


 深夜になって、人々は自室へと引き上げたが、リュシアンは一人とどまった。イザベルに付き添おうとしていた侍女に声をかけて、二人きりにしてもらいたいと頼み、扉を閉じた。


 薄暗い室内を横断し、リュシアンはイザベルの側に立つと、冷ややかに見下ろした。

 誰もが王女の死に涙を流し、悼んでいたが、彼だけはやはり違った。


「⋯⋯国を愛し、国に殉じること。それが貴女の生き方か。なんとも崇高な事ですね」


 白く滑らかだった肌は青く、唇は変色している。かつて、その身をくまなく愛撫したが、変わり果てた姿になったイザベルに、リュシアンは触れようとはしなかった。


「だが⋯⋯私は違う。貴女の弟を最期まで護ってやると思っていたのなら、貴女は甘い」


 そう告げるとリュシアンはイザベルに背を向けて、振り返ることなくその場を立ち去った。


 彼は部屋の外で控えていた侍女達に礼を言い、そのまま足早に立ち去ろうとした。侍女たちが一様に怯えた顔になったのは、彼から凄まじい殺気を感じたからだ。それでも、その中の一人が意を決して、彼に声をかけ、手にしていた物を差し出した。


「これを⋯⋯イザベル様が、リュシアン様に渡してほしいと」

「私に?」


「自分に何かあった時に、と前々から言われておりました」

「⋯⋯⋯⋯」


 侍女から受け取ったのは長剣だった。戦場を渡り歩くことが多い騎士への、最大の配慮だろう。だが、今のリュシアンにとっては何とも皮肉なもののように思えた。


 ――この刃で、私が誰を殺すと思う⋯⋯?


 狂気さえも感じさせる目で剣を見つめ、リュシアンは強く握りしめると、黙って立ち去って行った。




 半月後。王宮の大広間で、少年王の声が響き渡った。


「リュシアン、お前に将軍位を授ける」


 王の手から外套を受け取ったリュシアンは、深く首を垂れた後、その身に纏った。今や、彼は救国の英雄である。イザベルの死の衝撃もさめやらぬ中、戦功を上げた騎士達に恩賞を与える機会が設けられた。


 第一功を上げたリュシアンは、史上最年少で将軍の地位を手に入れた。


 式典が終わり人々が解散していく中、廊下に出たリュシアンに、マルセルが声をかけた。

「おめでとう⋯⋯って気分でもない⋯⋯よな」

 気まずげな同僚に、リュシアンはふっと笑みを零した。


「いや。今日は素直に嬉しい」

「そ、そうか⋯⋯?」


「あぁ、私はこの日を待っていた」

「⋯⋯?」


 首を傾げる同僚を残し、新たに背負った外套をなびかせ、彼は歩き去っていった。困惑した顔でマルセルが経っていると、別の騎士団長が「どうした?」と声をかけてきた。


「いや⋯⋯リュシアンがあんなに嬉しそうに笑うなんて⋯⋯不気味だ」

「⋯⋯イザベル様が亡くなられたというのに、あいつはずっと相変わらず冷静だったな。恋仲だったんじゃないかとお前は言っていたが、とんだ間違いだったのかもしれんぞ」


「⋯⋯⋯⋯。イザベル様の葬儀は明日だったな?」

「あぁ。しかし、不思議なものだな。亡くなられているというのに、身体が傷む様子がない。エルネスト王が何か怪しげな真似をしたとしか思えん」


「⋯⋯俺は毒を盛られたと考えている。向こうの国には、怪しげな秘薬があるそうだ」


 イザベルが変死したことで、騎士たちはエルネストに憎悪を募らせていた。だが、相手は大国の王である。大勢の護衛に守られている男に、刃を届かせることは到底難しいことだ。

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