第2話

 少女の依頼内容を聞いたグレイヤは無表情のまま彼女を見つめながら手のリンゴをかぶりついた。


「好きな人が一生あんたのそばにいられるにしてほしいって?」

「はい。もっと詳しく言うと、ワタシと結婚するようにしてくださいっ!」


 少女が机をバンと叩きつけると同時に、勢いよくグレイヤに顔をぐっと近づけてきた。机の上の果物がその衝撃で軽く跳ね上がる。

 だが、そんな圧のある距離感にもグレイヤは動じることなく、ただじっと少女を見つめながらもぐもぐとリンゴを噛み続けていた。


「その好きな人って誰」

「イヴァンという、ワタシと同い年の男の子です。あの子はですね、幼馴染でとっても頼もしいし、頼りになるし、辛い時そばにいてくれるし、ワタシの話をよく聞いてくれるすごーく優しいやつなんです」


 自分の好きな人に対して話す少女の目がキラキラ輝いた。


「それにめっちゃイケてるんです。うちの村でイヴァンよりイケてるやつはいません。頼りがりあるし、イケてるから村の女子たちがしょっちゅう話しかけてくるんですよ。それを全部ガードするの、すごく大変だったんですよ。知ってますか」

「知らん」

「いや・・・本当に聞いたわけじゃありませんが。ともかく、ワタシはイヴァンのことが大好きです。多分あの子もワタシのこと好きだったと思うし」

「だったって?」


 グレイヤは口の中のリンゴをもぐもぐと噛みながら聞いた。リンゴの甘酸っぱさが口の中にふわりと広がっていく。そして少女はグレイヤの問いに答えるように深いため息を吐き出した。


「それが数ヶ月前にうちの村に引っ越してきたあのクソ女に、イヴァンを奪われちゃったんですよ」

「奪われたって?」

「もともとイヴァンのそばにいるのはワタシだったのに、いつの間にかあのクソ女に取られちゃったんです。あとワタシと話す回数もどんどん減っていくし、ワタシだけ見てたイヴァンの目はもうワタシじゃなくあのクソ女に向いちゃってるんですよ・・・」


 キラキラ輝いていた少女の目がいつのまにか絶望という闇に沈み、すっかり光を失っていた。


「幼い頃はワタシと結婚するって言ったくせに」


 少女は静かにつぶやいた。どこか寂しげな様子だった。

 黙って少女の話を聞いていたグレイヤは、食べ終わって芯だけになったリンゴを適当に放り投げ、ゴミ箱に投げ入れた。そして次に、バナナを手に取ると皮をむき始めた。


「つまり、魔法でそのイヴァンって男の子があんなのことを好きになるようにしてほしいってわけ?」

「はい。魔女様ならできるんですよね」

「ふ〜む、どうかな」


 グレイヤはバナナの皮を剥くことに夢中で、少女の方に目線さえくれないまま、ざっと答えた。やがて皮をむき終えると、真っ白な果肉が姿を現した。グレイヤは口を開けて、大きくかぶりついた。噛みしめるたびに、バナナの甘い香りが口の中いっぱいに広がっていく。

 グレイヤは甘いバナナの味を味わいながら、再び口を開いた。


「恋とかそういうの、ワタシはよくわかんないけど、あんた本当にあの子のことが好きなら、あの子の幸せを祈るべきじゃない?」

「え?」

「もしワタシが魔法であんたとあの子を結んでくれるとして、果たしてあんなとあの子は幸せになれるかな」


 グレイヤは「恋」という感情についてよくわからないが、今まで本を通して学び、研究してきた結果ーー恋とは、その人の幸せのために、自分のものさえも惜しまずに手放すことだと理解していた。


「そうやって結ばれたらあんたは幸せかもしれないけど、あの子はどうかな。あのイヴァンって男の子は、自分の好きな人と結ばれる方が幸せなんじゃない?」

「・・・・・・」

「あんたが好きな人と結ばれたいと願ってるみたいにさ」


 グレイヤの言葉に少女は沈黙した。自分でも、グレイヤの言っていることが正しいと思わざるを得なかったのだ。グレイヤはそんな少女を見て無表情に尋ねた。


「それでもあんたは本当にイヴァンと結ばれたい?」


 グレイヤの問いに少女はなんとも言えない表情を浮かべた。口元は笑っているものの、瞳は虚露だった。その奇妙な笑みの裏に込められた感情はあまりにも複雑で、一体何を思っているのか読み取ることはできなかった。普通の人だったら背筋が凍るような雰囲気を漂わせていた。しかしその相手はグレイヤ。最初からちっとも変わらぬ表情で少女を凝視する。

 少女はグレイヤのことをじっと見つめて静かに口を開いた。


「魔女様は恋をしたことありますか」

「ない」

「やっぱり」


 無愛想なグレイヤの答えに、少女はまるで予想していたかのように静かに俯き、小さく呟いた。そしてゆっくり顔を上げ、グレイヤをまっすぐに見据えて口を開いた。


「魔女様が言ったこと、それ口で言うほど簡単なことじゃないんですよ。もちろんワタシも全部わかってるし、理解もしています。ですが、頭ではわかってる絵けど、この心はどうしても納得できないんです」


 少女は悲しげに拳で自分の胸を強く打ち付けた。


「イヴァンがワタシよりあの女のことが好きだって気づいて、そう諦めようと頑張ったんだけど、無理だったんです。『あいつはワタシに何の興味もない。だからバカみたいにワタシ一人で好きでワタシ一人で苦しんでるだけ。だから諦めよう』って自分に言い聞かせてこの感情を捨てようとしても、イヴァンと会うと全部無駄になっちゃうんです。イヴァンと会って喋ったり笑ったりしてると、知らず知らずのうちにあいつに対する感情がまた蘇ってきて・・・また苦しめるんです」


 少女は深いため息をついた。その一息には、言葉にはしきれないほどの想いが詰まっていた。


「それでその日家帰ってベッドに倒れ込んで『こんなじゃダメ、これじゃ辛くなるだけだ』って何度も何度も言い聞かせて湧き上がった感情を抑えようとするんですが、あいつがワタシじゃなく他の女の手を繋いで挙式に入場する姿を想像すると、涙が出るほど心の底が痛くなってきて。イヴァンがワタシじゃなく他の女と一生を添い遂げると思うと、死ぬほど胸が痛くなって・・・耐えられないんです」


 少女の声がかすかに震え始めた。少女は顔を上げてまっすぐにグレイヤを見つめた。その瞳には涙が溜まっていた。


「魔女様、さっき聞きましたよね。それでもイヴァンと結ばれたいって。はい、ワタシはそれでもイヴァンと結ばれたいんです。たとえそれが正しい方じゃないとしても、魔法で結ばれた偽りの関係としても、ワタシは彼と結ばれたいんです」


 少女は一切の迷いもなく、きっぱりとした声でそう答えた。


「イヴァンがワタシじゃなく他の女と挙式に入場するなんて、絶対嫌です。ワタイじゃなく他の女と一生を添い遂げる姿なんて見たくありません。イヴァンの隣には、ワタシが居たいんです。ワタシがイヴァンの彼女になりたいし、ワタシがイヴァンの手を繋いで挙式に入場したいです。ワタシが・・・ワタシがイヴァンの妻になりたいんですっ。ですから魔女様」


 少女は切々とした顔で両手を胸の前でぎゅっと握りしめながら、魔女グレイヤに一歩近づいた。


「どうかワタシとイヴァンを結んでください」


 少女の切なる願いが、グレイヤの耳にそっと響き渡った。

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