岸田勇作 56歳 動画配信者になる

@nannba

第1話 余命一年と、動画配信

「さあ……今日も、動画を上げるか。」


岸田勇作、五十六歳。

古びたノートパソコンの電源を入れ、動画投稿サイトの管理画面を開く。

いつもの日課。手元に置いたマグカップから立ちのぼる湯気だけが、静かな部屋に動きを与えていた。


さかのぼること、一年前。

私は脳腫瘍の診断を受けた。


最初のきっかけは、些細な違和感だった。

新聞の文字がぼやけたり、味噌汁の味が妙に薄く感じたり。

けれども、疲れか年のせいだと、どこかで片付けていた。

何しろ、半年前の健康診断ではオールA。

医者も「問題ないですね」と笑っていた。


だが、ある朝、台所で突然ふらつき、そのまま倒れた。

念のための検査を受け、CTを撮り、MRIへ回され──

診察室のモニターには、はっきりと白く染まった影が映っていた。


「……かなり進行しています。手術や放射線も難しいかもしれません。

 平均的には……一年程度、ということもあります。」


医師の声は、冷静だった。だがその言葉の一つひとつが、骨に染み込むようだった。


帰り道、秋の風がやけに冷たく感じた。

家族には、まだ何も言えなかった。


その後の三日間、私はほとんど何もできなかった。

テレビの画面をぼんやりと眺めながら、夕方になり、また朝になり……

時間だけが、容赦なく過ぎていった。


何のために生きているのか。

残された時間を、どう使えばいいのか。

誰かに会いたいわけでも、何か特別な夢があったわけでもない。

ただ──焦りのような、空虚のようなものが胸の中で広がっていった。


そんなとき、スマホの通知がふと目に入った。

いつもなら飛ばすような広告動画。だが、なぜかその時は、画面を閉じずに見てしまった。


『あなたは、好きなことをして生きていますか?

 残された時間で夢を叶える──動画配信で人生を変える。』


「……好きなこと?」


その言葉が、妙に引っかかった。

何十年も、考えたことがなかった。

若い頃、ラジオ番組に投稿しては、採用されたかどうかで一喜一憂していたあの頃。

誰かに自分の言葉が届くのが、ただ嬉しかった。


思えば、あれが最後だった。

「好きなこと」に心を動かされたのは。


「どうせ……もうすぐ死ぬんだ。

 なら、最後くらい、自分のために生きても、いいだろう。」


声に出してみたその言葉は、思いのほか軽かった。

でも、胸の奥に火がともるような、不思議な感覚があった。


そして私は、動画配信を始めることにした。

五十六歳、余命一年──名もなき男の、小さな挑戦の始まりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る