第18話 美月の正体
深夜、私は学校に忍び込んだ。
第三の選択を探すために。そして、美月の正体を突き止めるために。
職員室は施錠されていたが、美術室の窓が開いていた。誰かが意図的に開けたのか、それとも...
廊下は不気味なほど静かだった。昼間の異様な活気が嘘のように。
目指すは生徒指導室。遠藤先生が管理している「理想の自分プロジェクト」の資料があるはずだ。
でも、その前に寄りたい場所があった。
美月のロッカー。
そこに、彼女の正体を知る手がかりがあるかもしれない。
ロッカーの鍵は、なぜか開いていた。
中を探ると、見慣れた鞄と教科書。でも、その奥に別の鞄があった。古い、使い込まれた鞄。
中を開ける。
大量の日記とノート。全て「月野美咲」の名前で埋まっている。
最初のページから読み始める。
『七瀬優花観察日記 Day1
彼女は完璧だ。朝7時43分に登校、挨拶は明るく、でも作り物っぽい。それでも羨ましい。私にはできない』
ページをめくる。
『Day15
優花の真似をしてみた。声のトーン、歩き方。鏡の前で練習。少し近づけた気がする』
『Day45
気づいた。優花も演技をしている。時々、素の表情が見える。暗くて、不安そうな顔。私と同じだ』
『Day78
もし、優花が消えたら、私が代わりになれるかな。いや、なりたい。優花として生きたい』
執念深い記録が続く。私の癖、習慣、好み、全てが事細かに記されている。
そして、ある日を境に記述が変わる。
『Day156
遠藤先生に見つかった。怒られると思ったら、褒められた。「素晴らしい観察力だ」って。そして提案された。本当に七瀬優花になる方法を』
遠藤先生が関わっていた。
『Day158
先生が見せてくれた。過去に「成功」した例を。望月さんは、クラスの人気者・由美になった。今も由美として幸せに生きている。元の望月さんを覚えている人は、もういない』
背筋が凍る。これまでにも、同じことが起きていたのか。
『Day162
準備は整った。後は、優花が弱った瞬間を待つだけ。先生が言うには、「理想の自分」に疲れた時、人は無防備になる。その隙に』
日記はそこで一度途切れ、新しいノートが始まる。
『新生活記録
私は七瀬優花になった。正確には、優花が演じていた「理想の優花」に。本物の優花は、月野美月として生きることを選んだ。交換条件みたいなもの』
交換条件。
『でも、完璧じゃない。優花の記憶が時々流れ込んでくる。彼女の苦しみ、彼女の嘘、彼女の本当の姿。思ったより、私たちは似ていた』
さらにページをめくる。最近の日付。
『優花(今は美月)が苦しんでいる。当然だ。月野美月という空っぽの器に入れられたんだから。でも、これでいい。彼女には「理想の優花」は重すぎた。私の方が上手く演じられる』
『遠藤先生が言っていた。「人格なんて服のようなもの。着替えればいい」と。でも、服と違って、一度着たら脱げない。私はもう、月野美咲には戻れない』
最後のページ。
『もし誰かがこれを読んでいるなら、知ってほしい。私は後悔していない。月野美咲として生きるより、七瀬優花として生きる方が幸せだから。たとえ、それが偽物でも』
日記を閉じる。手が震えていた。
美月は、最初から私になるつもりだった。そして遠藤先生が、それを手助けした。
「見つけたのね」
声に振り向くと、美月が立っていた。いや、今は七瀬優花として生きている彼女が。
「いつから...」
「あなたがここに来るのは分かってた。だって、私も同じことをしたから」
美月は近づいてきた。月明かりに照らされた顔は、完璧に私を模倣していた。
「怒ってる?」
「当たり前でしょ」
「でも、あなたも望んでいたはずよ。『理想の優花』から解放されることを」
図星だった。
「私は...」
「認めなさい。七瀬優花として生きるのは疲れたって。毎日演技して、完璧を装って」
美月は私の手を取った。
「私はあなたを解放したの。そして、あなたが捨てたかった役を、私が引き受けた」
「勝手に決めないで」
「勝手じゃない。あなたの日記、全部読んだ。中学時代の苦悩も、高校での演技も。あなたは助けを求めていた」
美月は自分の鞄から、私の古い日記を取り出した。
「これ、覚えてる?」
最後のページが開かれている。
『もう疲れた。理想の私を演じ続けるのは。でも、やめられない。みんなが期待しているから。誰か、私の代わりに七瀬優花をやってくれないかな』
私が書いた文章。確かに、そう願ったことがあった。
「だから、私が代わったの」
美月は微笑んだ。
「完璧でしょ? あなたより上手く七瀬優花を演じてる」
悔しいけど、事実だった。美月の方が「理想の優花」を完璧に体現している。
「でも、これは私の人生...」
「人生?」
美月は首を傾げた。
「七瀬優花の人生は、最初から演技だったじゃない。本当のあなたは、中学時代に殺したんでしょ?」
また、図星。
「だったら、演技を別の誰かがやっても同じ。いえ、もっと上手くできる人がやった方がいい」
「じゃあ、私は何になるの?」
「月野美月」
美月はあっさりと言った。
「でも、ただの美月じゃない。あなたが作る、新しい月野美月」
「意味が分からない」
「美咲も美月も、どっちも偽物だった。だから、あなたが本物の月野美月を作ればいい」
美月は窓の外を見た。
「実は、それが第三の選択よ」
第三の選択。あの手紙の続き。
「理想の自分になるか、消えるか。でも、三つ目の選択は『新しい自分を創る』こと」
「新しい自分...」
「過去も理想も関係ない。ゼロから作り上げる。月野美月という白紙のキャンバスに」
美月は私に向き直った。
「もう、七瀬優花には戻れない。その役は私のもの。でも、あなたには無限の可能性がある」
「そんな簡単に...」
「簡単じゃないわ」
美月の表情が真剣になった。
「私だって、七瀬優花になりきるまで、どれだけ苦しんだか。でも、今は本当に七瀬優花。記憶も感情も、全て」
確かに、彼女から月野美咲の面影は消えていた。
「あなたも選んで。過去の亡霊にしがみつくか、新しい自分を創るか」
美月は踵を返した。
「ちなみに、遠藤先生は元生徒よ」
「え?」
「三年前の翔太君。彼も理想の教師になることを選んだ。年齢? そんなの、書類をいじればどうにでもなる」
衝撃の事実。でも、今となっては驚かない。この学校では、何でも起こりうる。
美月は立ち去る前に、もう一度振り返った。
「日記、持っていっていいわよ。もう必要ないから。月野美咲の記録は、あなたにあげる」
「なぜ?」
「ヒントになるかもしれないから。彼女がどうやって自分を殺したか。そして、どうやって失敗したか」
美月の姿が闇に消えた。
残された私は、二冊の日記を抱えて立ち尽くした。
七瀬優花の日記と、月野美咲の日記。
二人の少女が、必死に理想を追い求めた記録。そして、二人とも消えてしまった。
今、生きているのは「理想の優花」を演じる美月と、宙ぶらりんの私。
新しい自分を創る。
その言葉が頭の中で響く。
でも、どうやって? 何を基準に? 誰のために?
答えは出ない。
ただ、一つ分かったことがある。
もう、過去には戻れない。
七瀬優花は、美月のものになった。
月野美咲は、とっくに死んでいる。
月野美月は、空っぽの器。
なら、その器に何を入れるかは、私次第。
朝日が昇り始めた。
新しい一日。
理想の自分週間は、まだ続いている。
でも、私にはもう関係ない。
理想も過去も捨てて、ゼロから始める。
それが怖いか、解放か、まだ分からない。
ただ、これだけは確か。
私は、私を創る。
誰でもない、新しい私を。
学校を出て、朝の空気を吸い込む。
ポケットの中で、スマホが震えた。
美月からのメッセージ。
『頑張って。新しいあなたを楽しみにしてる。 - 七瀬優花より』
皮肉なメッセージ。でも、どこか優しさも感じる。
きっと彼女も、同じ道を通ってきたのだろう。
月野美咲を殺して、七瀬優花になるまでの苦しみを。
私も、いつかは笑えるのだろうか。
新しい自分として。
歩き始める。
どこへ向かうのか、まだ分からない。
でも、立ち止まるよりはいい。
月野美月として、初めての一歩を踏み出した。
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