第三話 {黄龍は下り上るものなり}

 高級線香の香りが漂う一室に、老人のしわがれた声が響き渡る。


「この地上には、天人様の血を引く人間がおる。【天人の家系】やら【天人の六族】とも呼ばれておるのう」


 貴堂は出仕達の列の間をすり抜けながら、説法室のあちこちを往復している。


「大昔の話じゃ。志月道における最高神・喜捨尊きしゃそんに仕えていた天魔童子てんまどうじは、地上に降りて人間と結ばれた。やがて子が生まれ、そこから天人の家系・君月きみづき家が始まった」


 ————あれ?と、秋輝は思った。自身が鶴姫から聞いた話と違うからだ。秋輝の記憶では、地上に子孫を残したのは天魔童子ではなく、その兄たちであったはずだ。


(姫が間違えるとは思えないけど……)


 秋輝は生まれてこの方、鶴姫が何かを間違えた所を見たことがない。その上、彼女の行住坐臥すべてには常に知性とカリスマ性が溢れており、知識一つにおいても誤りがあるようには見えないのだ。


「その後の天魔童子の行方に関しては、ほとんど記録がない。度々子孫の前に姿を現した、とも言われておる」


 ————そう。鶴姫曰く、天魔童子は現在、自らの子孫である君月家をつきっきりで監視しているとか。しかし秋輝には、なぜ由緒ある一族をそこまで厳重に監視しなければならないのか、昔から釈然としないままだった。


「今から千年程前。子孫は託宣を受け、この地に鎮静大社ちんせいたいしゃを設立した。その鎮静大社が月日を経て名を変え、今の志月大社となったのじゃ」


 秋輝は貴堂の声を聞きながら、手元の歴史書の該当部分を読んでいた。



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遥か昔、志月大社の創始者である君月聡道さとみちが、富士山噴火と大劫の再来を予言した。大社は最初、大劫に侵された富士山を鎮める目的で造られた。それと月の天人信仰を掛け合わせ、社は富士山を護り囲むように、三日月形に建てられている。

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「初日に伝えたように、最近になって車持くらもち門主が同じ予言をした。一度目の抽象的な予言と違い、詳しい時期や起きることが含まれておったのじゃ。とうとうその時が来た、ということじゃろう。じゃが、その予言はひとまず置いといて……」


 貴堂は右手の袖を一振りすると、話を切り替えるように胸を張りなおした。


「志月大社が出来てから直ぐに、君月家は六つの家系に別れた。【金月きんげつ】の君月家、【木】の車持家、【火】の阿倍あべ家、【土】の平土ひらど家、【金】の大伴おおとも家、【水】の石上いしがみ家じゃ」


「つまり、その六族が今の六門派なんですか―?」


「……伊藤、発言は師の許可を得てからしなさいと言ったじゃろうが。正解じゃ」


 おそらくこのクラス、いや学年で一番のやんちゃ坊主であろう伊藤の発言に、貴堂は彼をジト目で睨みながらも素直に答えた。講義後に説教をすることを胸に決めながら。


「志月大社には現在、六門派と呼ばれる六つの流派がある。大昔に天人の六族がそれぞれ開いた流派が、今の六門派となったのじゃ。それ故、代々六門派の門主はそれぞれ六族の長が務め、同時に少宮司も務めておる。中心の君月家のみが大宮司じゃ」


 つまり、志月大社には常に五人の少宮司と一人の大宮司がいて、この六人はそれぞれ六門派の門主でもあるということだ。


「ここでお前たちに一つ忠告じゃ。大宮司である斌之公以外の門主方のことは、決してと呼ばぬように。呼ぶときは、称号で呼ぶかと呼ぶようにしなさい。正式に行者になれば必ずいずれかの門派に属することになるから、覚えておくのじゃぞ」


 出仕達は皆左右に首を傾げながら、貴堂の忠告の意味を考えあぐねているが、貴堂はその理由までは教えてくれなかった。


「午後の見学では移動でヘリに乗るので、皆そのつもりでいなさい」


「「「「「へ??」」」」」



 山中の木々の桜は、まだほとんど開花していない。しかし出仕たちは、それでも良いと思った。暖かくなってくると、花々は盛んになるが虫の活動も盛んになる。また、花粉は酷いが、もう寒くない。プラスもマイナスも入り混じる、そんな時期に、出仕一行は山奥のトンネルに集まっていた。トンネルの下で複数の自動車が疾風の如く通り過ぎていく。その為、一行はトンネルの上でたむろしていた。


「全員ヘリから降りたのう。今回は、多人数での土地の浄化の術を見てもらう」


 今日の見学では前回と違い、焦げ茶色の狩衣を着た行者が沢山いる。しかしその中に、一人だけ金色の狩衣の者がいた。


「眞宗様、何故こちらに?」


「貴堂さん。私は龍真りゅうしんさんの代わりです」


 すると、先程から眞宗の隣に控えていた少年が口を開いた。


「父上は容態が悪化して来られなくなりました。情けないことに俺はまだ一人で黄龍を呼び出すことができないので、眞宗様に来ていただいたんです」


 少年の狩衣は焦げ茶色だが、他の者と違い、華麗な紋様や繊細な光沢がある。


(多分、平土家直系の人だ)


 その少年は、眞宗以上に常に眉間に皺をつくっており、若くして武人として完成されたような顔をしている。元が美形だからか、その端正な顔立ちが余計に迫力を見せている。


龍聖りゅうせい殿。御父上のいち早いご回復を祈っておりますぞ」


「ありがとうございます。伝えておきます」


 名前に「龍」が入っているということは、やはりこの少年は、平土家直系の行者らしい。

 龍聖を観察していた秋輝の目は、すぐに隣の男に移った。彼も、秋輝を見ていた。彼に呼ばれているような気がした秋輝は、彼の前まで歩み寄った。


「秋輝。また会いましたね。嬉しいです」


「数日ぶりだね、先輩。僕も嬉しい」


 貴堂が変な声を出しながら秋輝を見た。


「眞宗様、彼と面識が??」


「ええ、まあ。前に一度話しただけですが……」


 各々会話を楽しんでいた周囲の行者たちが、チラチラとこちらを横目に見ている。大宮司と出仕の組み合わせが余程おかしかったのだろう。ましてや出仕たちに関しては、全員こちらに釘付けになってしまっている。初日に比べて圧倒的に近くで見る有名人に、興奮気味の者が多いのだろうことは明白だ。


「皆、注目。今回のぎょうについて説明するぞ」


 喧々たる若者たちの声を、貴堂が両手をパン、パンと二度叩いて止めさせた。


「儂らの下にあるこのトンネルは、昔、掘り進める過程で崩落事故があった。その時分に、多くの従業員が亡くなったんじゃ」


 貴堂の淡々とした声音とは裏腹に、出仕たちの顔が引き攣る。しかし、貴堂はこの沈鬱な空気に敢えて触れることなく説明を続けた。


「最近では、トンネルから大勢の人の呻き声が聞こえたと言う者や、通った人々が吐き気などの体調不良を訴えたりする事例が非常に多い」


 龍聖が、密かに袖の中で拳を握りしめた。


「ここにいる行者は皆、【土】の行者じゃ。【土】は六門派のうちの平土家にあたり、六属性の中でも中心核となる、重要な役割を担っておる。出仕諸君には、今から彼らが行う『大浄術だいじょうじゅつ』という浄化術と、神獣黄龍の召喚を見てもらう」


 貴堂の後ろでワラワラと動いていた【土】の行者たちが綺麗に整列し、先頭に眞宗と龍聖が立った。二人は両袖の先を合わせ、袖の中に隠した手をもぞもぞと動かしている。

 後ろに捌け、行者たちの神々しい御業を見守っている出仕の一人が控えめな声で貴堂に問うた。


「どうして袖先を合わせて手を隠すんですか?」


「法術使用の際に結ぶ手印は、基本的に他者に見せてはならないのじゃ。見てよいのは、正式にその術を伝授され、使用を許された者のみじゃ」


 すると、「はぁ~……」という出仕たちの小さく感心した声よりも、更に小さな声が聞こえてきた。先頭の二人を除く行者たちがブツブツと何かを唱和しているのだ。それは、複数の声が重なっているにもかかわらず、内容が全く聞き取れないほどの声量だ。


「祝詞や真言も手印と同様じゃ。伝授された者以外、耳にすることはできん」


「「「「「はぁ~~……」」」」」


 しばしの間、洗練された緊張感を孕んだ静寂が続いている。その時間は、やけに長く掛かっているように思えた。聞こえるのは、行者たちのギリギリ声になるような囁き声での唱和と、手印を結ぶ際の袖が擦れる微かな音のみだ。


「龍聖、始めますよ」


「はい」


 二人の合図と共に、青空が僅かに暗くなった。一同の真上、一番暗い点から黄金の光が出現し、徐々に膨張していった。空中から漏れ出るその眩耀の隙間から、龍が頭を覗かせた。巨大な頭が地に向かって下りていき、続く胴体が、光の隙間から滑らかに伸びていく。


「あれが、大地を支える土の象徴、神獣黄龍じゃ」


 眩いばかりに輝く黄金の龍に見惚れている出仕たちに向かって、貴堂が行者たちの行を邪魔しない程度に語る。


「今からこのトンネルを龍の通り道にする。土地の浄化において、大規模な道路などの場合は、最後に龍道を通すのが良い。ここは山中の道路しかない場所だが、人里などで龍道を通すと、その道路沿いの店が栄えていったりするんじゃ」


 貴堂は愉快そうに口角を釣り上げて言った。


「見ていて面白いぞ、少しずつ建物が立派になっていく様は。時間はかかるがのう」


 一同の頭上で、ようやく全身を現した黄龍が円を描くように飛び回っている。その様は、如何なる魔も薙ぎ払うようなとんでもない迫力がある。黄龍の放つ力強い気は、この世の者では到底持ち得ることのできない、凄まじいエネルギー量を持っていた。

 暫く黄龍が空中を旋回した後のことであった。ブツブツと何かを唱えていた眞宗が、声を大きくして祝詞を奏上し、それに続くようにして全行者が同じく声を上げて合唱を始めた。直後、天空を勇猛果敢に駆け回る黄龍が、トンネルの入り口に向かって一直線に急降下し始め、その速度も急激に上がっていく。


「貴堂先生、この祝詞は聞かれてもいいんですか??」


 脇にいる女出仕の質問に貴堂が答える。


「いいんじゃ。これは六門派の秘術以外にも使われる、一般的な祝詞じゃからの。誰が使っても良いんじゃ」


 黄龍がトンネルに入り、中を物凄い速さで通っていく。しかし、黄龍の巨体が数多の自動車に当たることはなく、物理的な干渉はないことが窺える。トンネル内から噴き出す覇気の轟音や咆哮もきっと、一般人には聞こえていないのだろう。

 皆が目を細め、長いトンネルの出口を見据える。出口が少し暗くなったかと思うと、黄龍の纏う金光の末端が漏れ出てきた。その金光は、故意的であり自然的な魂の神秘を讃えているようであった。

 とうとう黄龍が、トンネルの出口から頭を見せた。黄龍はスムーズにその身体を現し、勢いを落とすことなく上空へと昇っていく。すると、空の一部分にも金光が生じ、黄龍はその光を目掛けて飛んでいく。


「黄龍が帰っていくのう」


 そう呟く貴堂に、出仕の一人が問うた。


「どこに帰るのですか?」


 貴堂は暫くの間答えなかった。黄龍が光に入っていき完全に姿を消すのを見届けた後、空を眺めていた遠い目を戻し、質問をした出仕を向いて答えた。


「龍の世界じゃよ。我々人間が住むこの人間界のように、龍には龍の住む世界がある」


 質問をした出仕が教諭の礼を言うと、貴堂は出仕全体に向けて声を掛けた。


「以上が、【土】の行者たちによる大浄術と、【土】の門派の守護神獣・黄龍によるトンネルの龍道化じゃ」

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