第3話 味噌汁と氷の竜

朝。温度12.3度。湿度38%。シェルター第07区の空調は安定して稼働していた。




 しかし、アキラはその朝、いつものように起きてすぐ端末のエラーログに目を通し、眉をひそめた。




 《冷却ユニットA-12、7分間の出力低下を記録》




 「……機器異常か? 」




 冷却ユニットの役割は重要だった。眠っている人類を適正温度で保ち、体内活動を極限まで抑えることで、長期の維持を可能にしている。




 だが、それが一時的に出力低下を起こした――つまり、一部の冷却カプセルの内部温度が上昇した可能性がある。


 アキラは思案しながら、鍋を取り出す。乾燥ワカメ、人工豆腐、そして切り干し大根を細かく切って、出汁のもとに入れる。




 今日は、味噌汁にしたい気分だった。




 「なんだか暖かいものが……必要な気がする」




 湯気が立ち上り、ほんのりと香る出汁と味噌の香りが、シェルターの無機質な空間にわずかな人間らしさを取り戻す。




 そのとき、AIミレイの声が鳴った。




 《記録者ID221、コードネーム“エルネア”の夢に異常活性》




 「またか……今度はどんな夢だ?」




 《夢世界にて、巨大な“氷の竜”が現れ、都市を氷結。記録者は極寒の中で命の危機に瀕していたが、突如現れた“湯気をまとう器”により回復。以降、竜の動きが停止》




 「湯気をまとう器…? まさかこの味噌汁か、それ」




 夢ログを開くと、そこには氷の大地に膝をつく一人の少女の姿があった。手には、見慣れた漆塗の椀。中から立ち上る白い湯気に包まれて、彼女は再び立ち上がり龍の前へ椀を捧げる。




 すると、彼女の前に立ちはだかる巨大な“氷の竜”が、ゆっくりとその動きを止めて椀の中身をすすった。




 それは、熱や物理的な力ではなく、“温かさ”によって凍りついた心を溶かされたような、そんな場面だった。




 アキラは鍋の火を止め、味噌を溶かして最後のひと手間を加える。




 「……誰かは寒がってたのかもしれないな」




 具材が沈んだ透明な味噌汁を一口、すする。




 しみわたる温もり。それは体だけではなく、思考の奥のほうまで温めてくれる。




 AIの声が続く。




 《加えて報告。冷却ユニットA-12に連動する被験者の脳波にて、微弱な“覚醒前兆反応”を検出》




 「……は?!、起きかけたのか?」




 それはこの世界において、最も起きてはいけないことだった。全人類は夢を見ることで精神の均衡を保ち、無意識のまま時間を越えようとしている。目覚めれば、過酷な現実が待っているだけだ。




 だがもし――夢の中の“ぬくもり”によって、目を覚まそうとしている者がいるとしたら。




 それは、夢が単なる安らぎではなく、再起動の予兆である可能性を意味していた。




 アキラは味噌汁を飲み干し、端末を操作して言った。




 「ミレイ。A-12のカプセルをモニター。記録者ID221の状態を、リアルタイム監視に切り替えろ」




 《了解》




 彼は知ってしまった。


 食事は、彼らにとって“記憶”であり、“再生”の鍵となっている。




 それが、ほんの一杯の味噌汁だったとしても。







その夜、夢世界の少女・エルネアは、竜の残した氷の中で見た。


まだ知らぬ誰かが、遠い世界で火を灯し、温かな香りと共に、自分を呼び戻そうとしている姿を。

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